第31話

文字数 1,783文字

全く気付いていなかったわけじゃない。どこか、気づかないフリをしていたんだ。なぜなら、ずっと望んでいたから。アニメやラノベに出てくる異世界転生。そこでは美少女たちと出会い、自分だけに特別な力があって、目的に向かって進んでいく。自分が高校生をやっていたときには絶対に訪れない役回りだ。
 だが、ここでは違った。助けようとした犬人を殺してしまったり、その姉に泣き崩れられたり、優しくしてもらった虫人が死んでしまったり、世話になった野人が殺されてしまったり……。次から次へとやってくる事象は悲しくて辛いことばかりで、胸が痛まないときがないほどだった。
なんの痕跡も見つけられていないが、ここにはかつて人類文明があり、日本があり、俺が暮らしていた家があり、俺の部屋やスマホやゲーム機もあったのだろう。
「……? 優真さん、大丈夫?」
 体がぽわぽわと浮いているようで心臓の音がやけに大きく聞こえる。手足がしびれているような、でも無感覚であるような奇妙な違和感があり、自分の状態がよくわからない。
俺は……きっと、失望しているんだ。人類文明がすべて失われてしまった失意、何もない自分だからこそ膨らませ続けた期待が打ち砕かれてしまった無念、そして、高校生のときと同じくまだ何もできていない自分に。これらが絶望となって押し寄せているのに、それが強すぎて脳が拒絶反応を起こしている。
イリュが俺の顔を覗き込んでくる。だが、彼女の目を見る余裕すらない。
「ねえ、どうしたの? なにかあったの?」
 普段の柔らかい声ではなく、鋭い彼女の声が飛ぶ。俺の異常に違和感を覚えたのだろう。
 犬人も……人間と戦っていたんだろうか。人を殺したんだろうか。俺の家族や友人を。
 ミオの言葉が脳裏によぎる。
イリュは……俺の敵?
それを思った途端、強い吐き気に襲われる。
そんなの嫌だ。
彼女との付き合いはそんなに長くない。けど、彼女が悪人だなんて到底思えない。だれとでも仲良くしようとする彼女が悪人なはずが……。
ハッとしながらイリュの言葉を思い出す。彼女は虫人と生存競争をしているだけだと言っていた。だから殺す殺されるなんて普通のことだと。人間もその範疇に入るのだろうか。生存競争相手なら別に数多くの人間を殺してしまっても、普段はニコニコしていられるのだろうか。獣人の中で見ると犬人は弱いらしいが、その犬人だって自然治癒力や身体能力で言えば明らかに人間よりは上だ。お互い素手で戦ったらどちらが勝つかは明瞭である。
じゃあミオの言っていたようにすべてを駆逐するのか。
違う。絶対に違う。そんなの、間違っている。
 
イリュが何かに気付いたのか少し驚いた表情で俺を見ている。
俺が、彼女に対して少なからず敵意を持ったことがバレたのだろうか。この場で戦わなきゃいけないのだろうか。頼りになる彼女と。
心臓の音が速くなる。
 そんなの……間違っている。
 戦いたくない。絶対に違う。
 イリュが意を決したような顔をしている。
 この世界は待ってはくれない。とくに命のやり取りに関しては待ってくれない。言葉を尽くすことよりも、戦い尽くすことを優先させる。すでに何度も経験した。
やっぱり、戦わなきゃ、いけないのか……。
頬を伝う何かを感じる。
なんだこれ……。
一瞬気を取られた隙に、彼女は俺を。

抱きしめた。

「……優真さん。その、嫌だったらごめんね。でも、優真さん、すごく苦しくて、今にも死んでしまいそうな顔をしていたから」
 温かい。
 この温かさは……同じだ。蜂人のあの人と同じ温かさだ。柔らかくて、優しさがあって、イリュの場合毛がふさふさとしていて気持ちいい。
「……大丈夫、大丈夫だよ。優真さん。どんなに苦しいことがあっても、あたしがいるよ」
 このとき、頬を伝っているものの正体がやっとわかった。
涙だ。
 ……そうだ。
 温かさに溢れる彼女……彼女たちと戦うことが、苦しくてしかたがなかったんだ。
 俺は……どうして、彼女と戦うなんてことを……。
「イリュ……。ごめん……。その……少しだけ、一人にしてもらえないか。どうしても、今考えたいことがあるんだ」
 俺は今どんな表情をしているんだろうか。イリュはそれを見て、とくに何を聞くでもなく頷いてくれた。彼女の温かさに甘え続けたいという気持ちを持ちながらも、この問題は自分で向き合わなければならない。他ならない俺の問題だから。
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