第6話

文字数 1,598文字

 そのあと、俺は結局言い出せなかった。彼女に言われるまま、ついていくことにする。
「あたしたちは虫人と言う種族だ。見ての通りほとんどの奴が虫の見た目をしている。その中でもあたしは蜂の種族だ。お前は……虫人には見えないが、言葉が通じる段階で味方であると思っている。虫人の言葉は特殊でな。普通の奴は声帯構造上喋ることができない」
 言葉……そんなことより、いいんだろうか。本当にこのままでいいんだろうか。胸の奥で何本もの鋭い棘が彷徨っているかのようだ。バレている。でも、この蜂人はまるで咎める様子がない。それとも、心の中では俺から自首するのを待っているのだろうか。
「虫人は皆結束力が高い。仲間のために戦う種族でな。今は獣人たちと戦争中だ」
 戦争中。彼らも戦争に巻き込まれて死んだってことにならないだろうか。いや、そもそもこのレンナって虫は俺を疑っていた。逃げ切れるわけがない。
「なあ、お前、何か思い詰めていないか? 顔が青ざめているぞ」
 そう言ってレンナは俺を覗き込んでくる。本心から俺を心配してくれる表情だ。虫人の顔なんて見たことがないから表情なんてわからないはずだが、そう直感した。
「あ、いや、その……」
 胸が苦しい。手が震えて呼吸もままならない。
 逃げるか……。逃げてどうするんだ。その後は? ここは異世界。なら自分に逃げる場所や隠れる場所はない。それに彼女から逃げてどうするんだ。罪からは逃げられない。
 眩暈がしそうになるのを必死に堪えながら深呼吸をして自分の手を見つめる。

 浅ましい。

 自分はなんて浅ましいんだ。この期に及んで逃げることを考えている。向き合おうとすらしていない。……これじゃ、ダメだ。
「あの。その……俺は、あなたの、仲間を……」
 声が震える。胸が本当に苦しくて、次の言葉が出てこない。息をいくら吸っても酸素がないかのようだ。頭がくらくらして、自分の卑しさが汗と共に吹き出してくる。
「令虫か? 令虫がどうしたんだ?」
 心臓の音しか聞こえない。殺してしまった。命を奪ったんだ。虫人がどういう人生を送り、どういう家族関係があってどういう交友を持つかは知らない。それに、それが仮になかったとしても関係ない。いくつもの命を自分が奪ったんだ。
 立っていることができなくなって、膝をつく。そして、泣き出してしまった。このレンナと言う虫人からしたら意味がわからないだろう。いきなり膝から崩れて泣き出したんだ。いや、俺が殺したと言うことを知っていれば逆に察することができるだろうか。だが、レンナさんはそんな俺の姿をキョトンとした顔で見ている。
「……殺して、しまい、ました」
 蚊の鳴くような息だけの声で絞り出す。そして、俺はそのまま苦しさで泣き崩れた。泣きたいのは俺じゃない、死んでいった者のはずだ。なのに、なんで俺が泣いているんだ。意味がわからない。なんて非情な人間なんだ。

 だが、そんな俺を見て、レンナは俺を優しく抱きしめてくれる。
 柔らかい。
 見た目は虫なのに、虫のような硬さはどこにもない。女性に抱かれたことなんて母親にしかないし、その記憶もだいぶ前のものだが、間違いない。人のように温かくて、優しさがこもっている。
 涙が溢れた。
「優真。お前は優しいんだな。大丈夫。大丈夫だ」
 彼女は笑みとともに声をかけ、俺の頭を撫でてくれる。
 俺はいっそう涙がこぼれてきてしまった。人前で泣くなんて恥ずかしいのに、そんなことを考える余裕もなく体が奥底から震えて、彼女の優しさにどうしても甘えたかった。
「あれは令虫と言ってな。卵からいくらでもかえる。知性も多少はあるが、簡単に生み出せる。優真が気に病むことはない。その優しさはちゃんとあたしが受け取った。あの子たちも今日までの生を全うできたことを喜んでいるだろう」
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい……! ごめんなさい」
 
 やっと、この言葉が出た。
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