第7話

文字数 3,823文字

「落ち着いたか?」
「……はい」
 恥ずかしさと罪悪感でかなりいたたまれない気持ちになっていたが、ここで逃げ出すわけにはいかない。
「よし、そしたらこのあとは……」
 急にレンナさんが異変を覚える。
『警告、空間子の変化を検知。悪魔種が転移してきます』
 ミオの警告まで聞こえてくる。悪魔……? なんだそれは?
 レンナがある方向を向いているのに気づいて俺も目を向ける。空間が歪んでいる。いや、見なくても何か変な……今までの人生では感じたことのないような、五感とは違う感覚があった。だが、初めてのことによくわからなかったのだ。
 何もないところから人が出てくる。ただ、形状は人っぽいが、人間ではない。ところどころにおかしい箇所がある。体の一部が皮膚ではなく、プラスチックのような突起であったり、金属光沢を持った表面となっている。それに加えて体中からこてこてとした紺と黒を基調とした装甲のようなものも見える。恐らく女性だ。髪は短いがこれも人間のもののようには見えない。まず一本一本の太さが一センチほどあって、金属の棒のようだ。髪の毛同士がぶつかりながらシャラシャラと音を立てている。瞳が鮮やかな青い色だが、人間のような涙によるつや感が一切ない。
『優真様、迎撃します。現状で悪魔はかなり強い相手です』
 まて、まだ攻撃するな。相手の立場がわからない、と脳内でミオを制止する
 姿を見るや否や、レンナがすぐさま膝をつく。
「里奈様、このようなところにいかがしたのでしょうか」
 里奈と呼ばれた者がこちらを見て微笑む。
「レンナ、そこにいるのは?」
「優真と言います。おそらく神々の創造物です。記憶がありません。種族は人間を名乗っております。犬人が領内に入っており令虫に追わせていたところ、倒されたため私が状況を確認しに来て発見しました。優真。こちらは里奈様。我らが仕える悪魔種の方だ」
 悪魔……?
「そう。よくやったわ。まだ未報告なのかしら?」
「はい。先ほど会ったばかりです」
 これを聞いた里奈はどこか、邪悪に笑ったように見えた。
「素晴らしいわ。レンナよくやったわね」
 里奈がレンナの頭を撫でようとする。
 何か、嫌な胸騒ぎがする。なんだかはわからない。でも、あの手には善意がないように見える。だが、この場でどうしようって言うんだ。間に割って入るわけにもいかない。
 俺は何もできず、推移を見守る。
 里奈はそのままレンナさんの頭を撫でて、手を離した。レンナはこれをとても喜ばしいことのように顔を緩ませている。

 次の瞬間までは――。

「レンナ。あなたを失うのは本当に勿体ないわ。でも、仕方ないわね」
 何かを答える間もなかった。レンナの上半身が爆ぜた。跡形も残らないレベルで破裂し、力なくその場に残った下半が倒れる。何の音もしなかった。彼女の柔らかい体、優しい声、撫でてくれた手。すべてが一瞬で消えてなくなった。

 ……え?

 心の奥底から、誰かに説明を求めたかった。目の前の事態があまりに理解できなすぎて、視界が歪んでいく。
「さあ、これで目撃者は消えたわ。あなた新種ね」
 里奈の笑顔がどんどん邪悪なものへと変わっていく。
「やっと見つけられた。しかもまだほとんどの構成情報を展開できていない」
 そう言って自分の手を合わせながら、彼女の姿が消える。そして、真後ろから声が聞こえてきた。
「あなたの体、いただくわ」
 囁くように、それでいて明らかに悪意に満ちた声が耳元で発される。
 俺は動転してその場に転ぶ。
 どうやって真後ろまで来た。それに……レンナさんは? レンナさんはどうなって……。
『優真様、迎撃します。明確な敵です』
 茫然としている中でミオが勝手に攻撃を開始する。
「エルホーミングガトリングタウザンドヒートライトファスト十二ストレングス十二」
 再びたくさんの青白い光が舞う。だが、里奈と呼ばれた奴はところどころにワープしてこれを難なく避けていく。かなりの弾を放ったが、全く当たる気配がない。
「いきなりね。まだ何もしていないじゃない」
 里奈は余裕あり気に空中に座りながら足をプラプラさせている。
 俺は戦闘のほぼすべてをミオに任せっぱなしだ。体もいつの間にか宙に浮いていて、見えづらいが前方に透明のシールドのようなものも出てきている。
「レンナさんは、レンナさんはどうなったんだ」
 この言葉に里奈はキョトンとする。
「どうなったって、どう見ても死んだでしょ。もったいなかったわ。でもこのことを知っているのは私だけにしておかないと困るのよね」
 何でもないかのような彼女の声色に、俺は怒りが湧き出てきた。本当はもっといろんな感情がある。悲しさ、苦しさ、痛ましさ。でも今は怒りでそれを忘れようとしている。
「ふざけるな! 部下なんじゃないのか!」
「そうよ。だからなに?」
「命を粗末にしたんだぞ! 許されることじゃない!」
 里奈は俺のことを値踏みするように見据える。
「元人間のあなたが珍しいことを言うわね。あなたはじゃあ粗末にしないの?」
 言葉に詰まる。さっき俺は令虫を殺してきてしまったばかりだ。いや、忘れたいと思っているが、忘れてはならない。助けを求めてきた犬人も俺が殺してしまったんだ。たしかに直接やったのはミオだ。だが、俺はその状況を静観していたし、許可もだした。自分が殺したと言っても過言ではない。
「あなたさ、元人間でしょ? あなたが生きていた周りには何があった?」
「何って……」
「食べ物は? 医療は? 便利な道具は? そう言うものって何万、何億もの命の上にあるってことをわかって言っている?」
「そ、そんなの仕方が」
「仕方ない? そうよ。仕方がないの。命を奪う理由って全部仕方がないで何とか説明できるわよね。私もそう思うわ。それに私を責めるならレンナも責めるべきよ」
 笑顔でそんなことを言ってくる。
「レンナだって命を奪っていたわ。戦争中だもの。獣人を殺すのは仕方のないことよ」
 獣人……もしかして、助けを求めてきていた犬人なんかは獣人に部類されるのだろうか。それをレンナさんが? だがそれは関係ない。
「詭弁だ! 戦争をやめれば彼女は殺さなくて済む! それを仕組んでいるのは上官のお前の責任だろう! それに、レンナさんは意味もなく殺されていた!」
「あたしたちが戦っている理由もよくわかっていないのね……。あなたは彼女の死に何か別の理由があるとは思わないの? あなたの言うところの仕方のない理由が」
 何だそれ……。意味がわからない。レンナさんはあんなに優しくて、考える知性もあって、決して仕方がないで殺していい相手ではない。
「彼女は人間と遜色ない! それを仕方がないで殺していいわけがない!」
「いやいや、彼女だって人間のように振舞える犬人とか狼人を殺しているんだって。あなたの仕方がないで分ける境はなによ? 何を持って命を峻別しているわけ?」
 そう問われて答えに窮する。生きていく上で、俺だってこれまで命を奪ってはいただろう。だが、それに対して何も感じていなかったわけではないし、大切にしていなかったわけでもない。だが、彼女の言う峻別の境を俺は答えられない。
 そんな俺を見て、彼女はにんまりと笑う。
「当ててあげよっか。あなたはそんなこと微塵も考えていない。あなたにとって命の峻別なんてどうでもいいことなのよ」
「ちがう……! レンナさんは、優しくて、理性があって、決して悪とは思えない!」
 何とかそう声を絞り出しながらも、彼女の言葉に真っ向から反論することができない。
「だからそれってさ、つまり、あなたにとって都合がいいか悪いかでしょ。あなたから見て優しいんであってそうじゃない面だってあるって。仕方がない、この言葉がもうそう言っているじゃない。その人にとって都合がいいか悪いかだけよ」
 里奈が光輝くビームサーベルのようなものを取り出す。
「そう言うわけで私もあなたの体を頂くわ。これは私にとって、仕方がないことだもの」
 里奈が目の前にワープしてくる。もうサーベルは頭上に掲げられている。
 たぶん、これはミオの力でも避けられないと直感する。
 くそっ、こんなやつに……。
 もう、終わりなのか?
 何だよこの異世界転生。
 全然……楽しくない。
 
 ……当たり前だ。

 俺は自分にとって都合のいい異世界転生しか考えてこなかったんだ。楽しくなくて当たり前だ。努力もせず、ずっと夢を見るだけ。彼女の言う通り、俺は今までの人生をすべて仕方がないで片付けてきていたんだ。勉強ができないのも仕方がない。自分に才能がないのも仕方がない。山あり谷ありの青春を送っている友人たちと違うのも仕方がない。そうやってすべてから一歩引いてきていた。前の世界で死んだときも、自分の死に対してどこか他人事だった。俺はまだ、自分の人生を生き抜いていない。だから死んでもなお普通でいられたんだ。

 死にたくない。

 他者の命が無くなっていくのを目の当たりにして、初めて、本心からそう思えた。まだ俺は人生で何もしていない。何かをやりたいと初めて思えた。なんでもいい。なんでもいいから。一秒でも長く、生にしがみつきたい。

 だが、そう願ったところで、彼女のサーベルは容赦なく降りてくる。
 この世界はどこまでも非情にできているようだ。命は簡単に失われるし、自分がどれだけ強く願ったところで叶わない。前の世界と一緒だ。
 そして、彼女のサーベルが――。
 振り下ろされた。
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