6章―1
文字数 4,594文字
「卒業文集?」
ノレインの疑問が部屋中に響き渡る。
この日の授業の終わりに、レントが卒業する三人に課題を出した。他の生徒達もどよめく中、ヒビロが混乱した様子でレントに質問を飛ばす。
「先生、卒業まであと二日だぜ? 作文が得意なルインはともかく、俺やニティアがこんな短時間で書くなんて難しすぎねぇか?」
皆ちらっとニティアを見る。相変わらず無口で無表情だが、彼が纏う雰囲気は『絶望』そのものだった。ブーイングを受けたものの、レントはいつものようににっこりと笑う。
「文集と言っても大層なものじゃないよ。原稿用紙一枚程度でも十分だから」
「いやいや、むしろそっちの方が難しそうだし」
「先生、なんで卒業文集なんてやるんだ?」
ノレインの質問に、レントは原稿用紙数枚を三人に手渡しながら語る。
「卒業した後のために、皆にはきちんとここでの生活を振り返って欲しいんだ」
「卒業した後のため?」
ノレインとヒビロの声が見事に重なる。思わず顔を見合わせた二人を見て、レントは声に出して笑った。
「うん、君達がこれからの人生に迷わないようにね。私は、『夢』こそが生きるための道標になると思うんだ」
「ということは……」
ヒビロの呟きに、レントは大きく頷いた。
「そう。『夢』をテーマに、これまでの自分や将来の自分の姿を、自由に書き表してみて」
――
「夢、かぁ……」
昼食が終わり、ノレインとヒビロは図書室の机に突っ伏していた。一緒に自習中のメイラとユーリットも、二人の様子を見て共に宙を見上げる。
「そういえば、将来のこと……真剣に考えたことなんてなかったわ」
「勉強することで精一杯だったけど、勉強って、そもそも社会に出るために必要なんだよね?」
「あぁ。何のためにするのかってことが重要なのさ」
くたびれた様子でペンを指で回すヒビロに、メイラは質問を投げかける。
「あんた、卒業後は就職しないで文系の大学に行くのよね? 何かなりたい職業でもあるの?」
ヒビロは、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに満面の笑みをメイラに向けた。
「先生以外に言うのは初めてだが……、俺は法律を学んで、将来は警察官になる。そしていずれは[世界政府]まで登りつめてやるのさ」
「えぇっ、警察官⁉」
「どこからどう見ても警察に捕まるレベルの変態じゃない!」
「失敬な!」
三人が大騒ぎする中、ノレインは一人、ヒビロの明確な『夢』に言葉を失っていた。
「(まさか職種まで絞っているなんて……、それに比べて、私は……)」
「ルインはもう、『夢』はあるんだよね」
「えっ」
思いつめていた最中、ユーリットに呼びかけられ我に返る。話題はいつの間にかこちらに向いていたようだ。
ノレインは卒業後、自動車整備士になるために工場で働く。しかし、そこが『夢』のゴールではなかった。
「ほら、いつも言ってるじゃない。人生をかけた大きな夢!」
彼の『夢』、それは、居場所のない孤児達をレントのように救う活動をすることだ。
「孤児はミルド島だけじゃなくて、世界中に数えきれないくらいいる。みんなを助けるためには車での移動が欠かせないから自力で整備できるように、まずは修行するのよね?」
「あ、あぁ……」
「どうしたの、元気ないわよ?」
どこか迷いの見えるノレインに気づいたメイラは、急に心配そうになる。
「確かに夢はあるけど、それは職業でもなんでもない。本当に、『夢』と言っていいのか……」
「立派な『夢』だと思うよ。だって、ルインが自分の考えで決めたことなんでしょ?」
ユーリットが間髪入れずに即答し、ノレインは言葉が詰まる。ヒビロとメイラも大きく頷いていた。
「ユーリの言う通りよ! 大きな目標があれば、仕事が何かなんて関係ないわ!」
「あぁ。今更迷うことはないと思うぜ」
ノレインは、『夢』を持った時のことを思い返した。
ここに来てから数年経ち、孤児だった頃の生活を忘れかけた時、授業の中で世界の情勢を学んだ。このミルド島以外にも四つの[島]があることを初めて知ったのだが、どの[島]でも、自分達と同じような境遇の孤児がいる、という事実に衝撃を受けたのだ。
ここにいる『家族』は運良くレントに拾われたからいいものの、そうではない者の方が圧倒的に多い。その時、自分もレントのようになりたい、と強く感じたのだった。
卒業も控え、今後の進路を決めるうちに本来の目的を見失いかけていたが、三人の励ましでようやく目が覚めた。
「皆……ありがとう」
「よーし、俺も気合い入れなきゃな」
「あら、散々悩んでたくせにどうしたのよ?」
「今ので書き出しがピンときたのさ。じゃあな」
ヒビロは筆記用具を片づけると三人にウインクを投げ、図書室を後にした。
「……あいつにアドバイスした訳じゃないのに」
メイラが不服そうに呟くと、ユーリットも「確かに」と頷いた。
――
ヒビロが去って十分程経過した頃、図書室のドアが開いた。それぞれの作業に没頭していた三人は、一斉に顔を上げる。
「あっ、みんなここにいたんだね。私も同席していいかな?」
「いいわよ、座って座って!」
ノートを数冊抱えたリベラは、メイラの隣の席に腰かける。その様子を見て、ユーリットは首を傾げた。
「あれ、ニティアは一緒じゃないの?」
ニティアは、用事がない限りほとんどの時間、リベラの傍にいる。ユーリットの問いかけに、リベラはくすっと笑みを零した。
「例の原稿を書くために、部屋に閉じこもってるよ」
ノレイン達は授業中の彼が漂わせていた、まるでこの世の終わりが来たかのようなただならぬ雰囲気を思い出す。
普段はほぼ言葉を発しないニティアが、どんな作文を書くのか。気になるところではあるが、その前に完成させられるのか、何処となく心配だ。
「ルインも原稿、書いてるんだよね?」
「あぁ……でも、なかなか進まなくてな」
そっか、と苦笑しながら、リベラはノートを机に広げる。
「リベラ、その本は何?」
メイラはふと、見慣れない分厚い本に目が留まった。
「これ? 医学書だよ」
「なっ、何でそんなむずかしそうな本を?」
ユーリットの質問に、リベラは少し恥ずかしそうに口を開いた。
「私、医者になって病院をつくるのが夢なんだ。体が弱かったから、具合が悪くなる度に、先生に遠くの病院に連れて行ってもらうのが申し訳なくて……だから、この近くに病院があったら便利だと思ったの」
三人は、突然の告白に目を見開いた。ヒビロだけでなく、リベラも既に明確な『夢』を持っていたことに驚きを隠せない。
「もしかして……ニティアが薬学部の大学に行くのって」
「うん。私の『夢』を叶えたいって言ってた。……このことを話すの初めてだから、なんだか恥ずかしいね」
リベラは頬を赤く染めながら微笑む。ニティアが進路を決めた理由は今まで謎だったが、この話を聞いて思わず笑顔になった。
「ルインの『夢』は分かるけど、二人はどう?」
いきなり話題を振られ、メイラとユーリットは気が動転する。
「ぼ、僕はまだ決まってないけど……みんなの話を聞いてて思ったのは、好きなことをやりたい、かな?」
「そうだな。来年はユーリの番だから、今から考えといた方がいいぞ」
「ちょっとルイン、プレッシャーかけないでよ!」
ユーリットはノレインの発言に慌て、彼の腕にしがみついた。
「そっ、そうだ……メイラは? やっぱり写真家になるの?」
「……えっ」
ユーリットの問いに、メイラは咄嗟にノレインと顔を見合わせる。彼女の表情は何故か不安一色だったが、少し間を置いて「えぇ」と回答した。
――
ノレインは、メイラと共に廊下を歩いていた。というのも、リベラが二人に『気晴らしに散歩してきたらどうかな?』とアドバイスしたからである。
ユーリットもついて行こうとしたが、リベラの視線に気づき、図書室に残った。どうやら彼らは、ノレインとメイラを二人きりにさせたかったらしい。
二人は会話を交わさぬまま、ただ歩く。ノレインは、メイラの様子がおかしいと感じていた。普段は明るい笑顔のまま絶えずお喋りしている彼女が、神妙な面持ちで黙っているのだ。
思えば二人きりになったのは昨日以来だ。互いの気持ちを確かめ合った後だから、何を話していいか分からないという理由だろうか? 考えこむものの、どうやらそのような雰囲気ではない。
「(どうしたらいいんだ……?)」
気まずい空気が流れる中、ノレインは薄い頭を掻く。とりあえず行先を相談しようと思い、口を開いた瞬間。
「あーっ、ちょうどよかった☆」
廊下の向こうから、ソルーノが駆け寄ってきた。ノレインは思わず身構えたが、メイラが傍にいることを思い出し緊張が和らいだ。
ソルーノは二人の手を取ると、そのまま走り出した。
「ちょ、ちょっと、何なの?」
「うふふ、いいからこっち来て☆」
悪戯っぽく笑うソルーノに、二人は困惑しながらついて行くことにした。
ソルーノはリビングの入口で立ち止まると、手招きして中に入った。続いて入室すると、どこからか甘い香りが漂ってきた。
「僕の新作だよ、味見してみて☆」
キッチンの奥から、ソルーノは何かが乗った皿を持って近寄ってくる。リビングのテーブルに下ろすと、椅子を引き二人に座るよう促した。
「シュークリームだよ、レント先生が教えてくれたんだ☆」
「へぇ……いただきます」
二人は添えられたフォークを手に取り、一口試食する。口に入れた瞬間、顔がほころんだ。
「美味しい! ソルーノ、あんたやるじゃない!」
「やったぁ、ほめられた☆」
ノレインとメイラは笑顔で互いを見合わせ、シュークリームを夢中で食べ進めた。
ソルーノは最近、菓子作りにはまっている。今日のように試作しては他の生徒達に味見させているが、意外なことにどれも美味しいのだ。
「ふぅ、ごちそうさま……美味すぎて名残惜しいな」
「どんどん上手になってる気がするわ!」
「えへへ☆」
舌を出しながら笑うソルーノに、ノレインはふと思ったことを口に出した。
「そういや……何でお菓子作りを始めたんだ?」
彼にはこれといった趣味はなく、強いて言うなら『他の生徒に悪戯すること』。今まで何度も何度も被害に遭ってきたノレインから見て、ようやく没頭出来る趣味を見つけたと感じたのだ。
ソルーノは二人の向かいに腰かけ、ご機嫌そうに両腕で頬杖をついた。
「僕ね、レント先生の作るお菓子が大好きなんだ☆ ここに来て初めて甘くておいしいものを食べて、すっごくうれしかったの。それでね、こないだ先生がお菓子を作ってるところを見かけて、一緒にやろうって誘われたんだ」
うっとりとした様子で目を輝かせる姿に、『紫の魔女』の面影は全くない。
「そしたらね、とても上手にできたの! 先生のお菓子もおいしいけど、自分で作るともっとおいしくなるような気がしたんだ☆」
「あんた、これから絶対上手くなるわよ。このあたしが保証するわ!」
「えへへ、メイラありがと☆」
ノレインは、ソルーノも『夢』を持っていることに気づいた。今はまだ趣味の範囲内だが、上達するにつれて明確な『夢』になるだろう。
出会った当初は『恐怖の対象』だったが、自分が卒業して数年後、再会した時は別人のようになっているかもしれない。
この時、レントが言っていた『生きるための道標』の意味が分かった気がした。
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