6章―2
文字数 3,027文字
図書室を出た直後の気まずさはすっかり消えた。ソルーノの菓子で『安らぎ』を得たからだろう。二人はシュークリームの感想を言い合っていたが、話題はレントやトルマの手料理まで飛躍した。
「そうそう、ゼクスさんが病み上がりのトルマさんを手伝おうとしたこともあったわね!」
「あぁ。あの時の夕食は、はっきり言ってまずかったな」
当時の惨状を思い出し、同時に笑い出す。不味い料理もまた、ひとつの『思い出』だ。
「これから一人になる訳だし、私も料理に挑戦してみるか」
ノレインは何気なく呟く。卒業後は一人暮らしする予定だが、毎日外食だと経済的にも不安だ。メイラもしんみりとした表情に戻ったが、すぐに目元を緩ませた。
「だったらあたしもやるわ。ルインが帰って来た時、ご馳走してあげたいもの」
「メイラ……」
ノレインは目頭が熱くなる。すると、何処からか呼び声が聞こえた。二人で辺りを見回すと、森の入口から三つの人影が現れた。
「おーい! ふたりともー、何やってんのー?」
「わたしたちもまぜてまぜてー♪」
「ぬはあッ!」
ウェルダとソラに突撃され、ノレインは地面に引っくり返った。遅れてやってきたアビニアは、喘ぎながら彼女らを引き剥がす。
「ちょっ、ちょっと君たち……ルインの頭がこれ以上大けがしたら、どうするの……」
「アビ、これ以上ってどういう」
「ま、まぁまぁ、みんな落ち着いて!」
メイラに宥められ、ノレインは言葉を飲みこむ。このような時こそ心を静めなければ、と深呼吸を繰り返した。
「ねぇねぇルイン、また手品やって♪」
頼みたくてうずうずしていたのか、ソラはこちらの服の裾を掴んでくる。ウェルダも「いいね、見たい見たい!」と同調し、ノレインは再び彼女らに押し倒された。
地面の草が薄い頭を撫で、ひんやりとくすぐったい。ノレインは堪らず口を割った。
「あ、あぁ! 分かったからとりあえず退いてくれッ!」
「やったー♪」
ハイタッチするウェルダとソラの横で、アビニアが「毛を出す手品以外にしてね」と注文を出す。ノレインは慌てて上着のポケットを探り、ほっと息をついた。いつ手品をしてもいいように毛は持ち歩いているが、その奥に片づけ忘れた道具があったのだ。
「それでは、ちょっとした幸せになる手品をご覧くださいッ!」
両手を開き、何もないことを示す。空気中で何かを大げさに掴み、丸めるように左手に抑えこむ。そして右手をゆっくり前に出した。
――バチン!
指を勢い良く鳴らした直後、左手からカラフルな造花が溢れ出た。観客全員あっと驚く。ノレインは花を一輪ずつ配りながら高笑いした。
「ぬははははッ! どうだ、普通の手品も出来るんだぞ!」
「すごいすごーい♪」
「ごめん。毛以外の手品もできるなんて、知らなかったよ」
アビニアは恥ずかしげに花を受け取る。ノレインはまた地面に引っくり返りそうになりつつ、「それしかやってなかったか?」と首を傾げた。
「ルイン、卒業したら手品はどうするの?」
ふと、ウェルダが疑問を口にする。ノレインが考える暇もなく、三人は次々に騒ぎ出した。
「えーっ、もっと見たい! ねぇルインおねがい。かえってきたら何度でも、手品を見せてね!」
「そうだよ。ここでやめるなんてもったいない!」
「まぁ、毛以外の手品ができるって分かっちゃったから、他のも見たくなるよね」
ノレインは思わずメイラの顔を見る。彼女は満面の笑みで、頷いていた。
「あぁ、約束する。まだまだたくさんのレパートリーがあるんだ。全部見せてやるからなッ!」
――
三人組が去った後も、ノレイン達はブロード湖のほとりに座っていた。ゆらゆらと揺れる湖面や、穏やかな空をただ眺める。交わされる言葉は少ないものの、同じ時間を心地良く共有していた。
「やっぱり、『趣味』って大事よね」
メイラは造花の茎をくるくる回しながら、独り言のように呟く。ノレインもしみじみと頷いた。
先程手品を披露した時も、心が晴れ晴れとした気分だった。卒業後は練習する暇も見せる機会もないと思っていたが、ソラ達のおかげで続けてみようという気持ちになった。
「ねぇルイン、何で手品を始めたの?」
メイラは手を止め、こちらを覗きこむ。そういえば、手品を始めるきっかけは『家族』に話していない。
「昔読んだ小説の影響だな。主人公の所属するサーカスの団長が、よく手品をするんだ。読んでるだけでもその情景が浮かんできて、それはもうすごかった。だから実際に試してみたくなったんだ」
「面白そうね! あたしも読んでみようかしら」
ノレインは一気に目を輝かせ、興奮気味に捲し立てた。
「あぁ、図書室にあるから是非読んでほしい! ファンタジー小説だから夢中で読めると思うぞ。ユーリにも紹介したんだけどな、不思議な力を持つ登場人物が手品をこなすように次々とトラブルを乗り越えて……おっと、これ以上はネタバレだな」
危うく物語の結末を言いかけ、ノレインは慌てて口をつぐむ。その時、メイラは緊迫した様子で「待って」と遮った。
「今、『不思議な力』って言わなかった?」
「え? ……あ、あぁ。確かに言ったぞ。それがどうかしたか?」
メイラはこちらの呼びかけに答えず、ぶつぶつ呟きながら考えこんでいる。ノレインは彼女に耳を寄せた。
「不思議な力、手品、……そうよ。これよ!」
突然叫ばれ、ノレインは地面に引っくり返る。メイラはノレインに馬乗りになり、肩をがっちり掴んで歓喜した。
「ルイン! [潜在能力]は『手品』だと思えばいいのよ‼」
ノレインは息を飲んだ。鍛錬、平静、自己暗示。[潜在能力]の制御方法は限られると思いこんでいた。だがメイラのアイデアは、それらとは全くの別物だ。『手品』のレパートリーに加えてしまえば、きっと上手く扱えるのではないか。
「メイラ、君は天才だッ!」
感極まり、ノレインはメイラを勢い良く抱きしめた。涙がぼろぼろと溢れてくる。メイラの明るい笑い声も、次第に涙声になる。
ノレインは体を起こし、心を落ち着かせようと深呼吸した。
「ちょっと、練習していいか?」
メイラは「えぇ」と微笑み、そっと目を閉じる。ノレインは震える右手を前に出し、いつもの調子で口上を始めた。
「それでは! あなたの[
意識をメイラに集中させ、指に力をこめる。そして。
――バチン‼
指を鳴らす音が、湖全体に反響する。
しばらくしてメイラはゆっくりと目を開け、急に胸元を押さえた。
「うぅっ、なんだか体がおかしいわ!」
彼女は大げさに倒れこみ、草の上を転げ回る。[潜在能力]が暴走したのだろうか、と青ざめた瞬間、メイラはにんまりと起き上がった。
「うふっ、どう? いい練習になった?」
「なッ、なんだ……これ以上驚かせないでくれ」
メイラはこちらを見てぷっと吹き出す。ノレインも彼女につられ、ひとしきり大笑いした。
すると、急に辺りが明るくなった。二人は上空に目を向ける。分厚い雲を裂くように、眩い夕日が差しこんでいた。
「ルインったら、今日の天気の[潜在能力]を開花させたようね」
スポットライトのような夕日は、ブロード湖の中心を眩しく照らす。『手品』が成功したかどうかは分からないが、手ごたえはばっちり残っていた。
ノレインは上空に目を向けたままメイラを抱き寄せる。二人はぴったりと寄り添い、不思議な光をいつまでも見つめ続けた。
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