7章―1
文字数 4,353文字
――ガゴオオオオォォォォォォン!!
火山がすぐ間近で爆発したような衝撃を受け、ノレインは飛び起きた。
すっかり夜が明け、薄いながらも陽光が差している。当然ながら天変地異ではないようだ。同じように起こされたのか、ノレインの隣でヒビロが忙しなく辺りを見回している。
「なっ……なんだ? 地震か!?」
部屋の家具は倒れておらず、揺れ続けた様子もない。
「いや、違うな。だったら……」
ヒビロは辺りを見て首を傾げた。すると、急に鋭い殺気を感じて言葉が詰まる。ノレインはその殺気に触れた瞬間、数日前の朝の出来事を思い出した。部屋のドアが吹っ飛び、殺し屋のような佇まいの人物が獲物、いや、『変態』を蹴り飛ばしたこと。
床に目を落とす。そこには、重すぎて開閉させるのも難しいはずのドアの残骸、今となっては金属の塊が横たわっていた。
「ルインから離れなさいって何度言えば分かるのよおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
怒号を上げながらメイラが走り寄り、あっという間にヒビロを蹴り飛ばした。奇襲を避けきれずに宙を舞う。ヒビロは間一髪身を屈め、気絶を免れたが頭から無様に落下した。
メイラは殺気を纏ったまま、ヒビロの前に仁王立ちする。
「やっぱり昨日の違和感はこれだったのね。まったく、油断も隙もないんだから……!」
いててて、とあまりの激痛にうずくまる『変態』。メイラは床に落ちていたヒビロの服を持ち上げ、勢い良く体に叩きつけた。
「いつまでもここにいられると不愉快だわ、……ていうかさっさと着替えなさい!!」
「ぎゃあああああああ!!」
彼女の攻撃が急所に命中し、悲痛な叫び声が上がる。ノレインは思わず目をそらした。
メイラによって強制的に起こされ、薄れていた記憶が段々と鮮明になる。
昨夜、この部屋で二人きりになり[催眠術]が解けた後、逃げようとしたが強引に押し倒された。必死の抵抗も虚しく、気づいたら意識を失っていたのだ。
ノレインは、遠い昔に一度味わった、得体の知れない恐怖を思い出す。不思議なことに、当時の雰囲気と全く同じで。それは
「あ……あのなメイラ、俺を殺す気か?」
ヒビロはよろめきながらも着替えたが、未だに股間を押さえている。その様子を冷たく見下ろし、メイラはスッと右脚を構えた。
「そうね、今度は確実に仕留めるから覚悟しなさい」
「わあああ! わ、分かったからそれだけは勘弁してくれ!!」
ヒビロは反射的に立ち上がり、逃げるように部屋を後にした。ちゃんと去ったか目で追うメイラの後ろ姿からは、相変わらず殺気が出ている。ノレインは、胸が酷く痛むのを感じた。
「……ごめんなさい。ドア、また壊しちゃったわね」
メイラは振り返らぬまま、力なく呟いた。ノレインはベッドから下りようとするが体勢を崩し、かけていたシーツと一緒に床に落下した。
突然の物音にメイラは振り返るが、何が起きたか悟り、真っ赤になって慌てて顔をそむけた。
「あっ……ぁ、あたしもう行くわ! もうすぐご飯の時間だから、遅れないでね!」
メイラはあたふたしながらもノレインを見ないようにして、走り去った。ノレインもまた、シーツで体を隠しながら顔を真っ赤にさせていた。心臓はまだ早鐘を打っている。
「み……見られた、のか……?」
体中が熱い。治まりそうにない動揺の中、ノレインは一人溜息をついた。
――
「お前らなぁ……、何度同じことを繰り返せば気が済むんだ? あぁ⁉」
リビングに入ろうとすると、呆れたようなゼクスの怒号が聞こえてきた。
もしかして、と思い急いで中に入ると、案の定ヒビロとメイラがゼクスの前に並んでいた。ノレインに気づいたユーリットは慌てて駆け寄り、「ご、ご愁傷さま……」と複雑な様子で呟いた。
ゼクスが鋭い眼光のままノレインを見ると、それに気づいた二人が同時に振り返る。メイラはノレインの顔を見るなり、反射的に目をそらした。
「ゼクスさん……ご、ごめんなさい……」
ノレインはその場に膝をつき、うなだれた。しかしゼクスは更なる怒りを向けることなく溜息をつく。
「はぁ……お前のせいじゃねえってこないだも言っただろ……」
「そうだぜ、ドアを壊したのはメイラだしな」
「ちょっとヒビロ、もとはと言えばあんたが」
「お前ら二人共だ‼」
ヒビロとメイラは同時に跳ね上がった。怒り狂うゼクスを、トルマが後ろから抑えにかかる。
「まぁまぁ、ドアの修理も今日で最後なんだから、大目に見てやってよ」
その一言に、リビングにいた全員がしんみりとする。卒業式は明日なのだ。今夜ヒビロがまたやらかさなければ、本当に最後となる。ゼクスは肩をすくめ、ヒビロとメイラに釘をさした。
「もし今日もまた壊したら……今度こそ容赦しねえからな」
二人は互いに睨み合っていたが、ゼクスの視線におとなしく引き下がった。そのタイミングを見計らったかのように、レントがキッチンの奥から料理を運んできた。皆それぞれ席につく。
ノレインは向かいのテーブルを見て、度肝を抜かれた。ニティアが真っ白になってもたれかかっていたのだ。その視線に気づき、リベラが解説を入れた。
「ニティア……結局寝ないで原稿を書いていたみたい」
昨日から相当苦戦しているだろうと予測していたが、まさかこれ程とは。しかも、燃え尽きている様子から、きっと完成していないと思われる。
「ル……ルインは? できたの?」
隣で、メイラの上擦った声が聞こえた。
「あぁ。でもちょっと手直ししたいから、提出はまだの予定だ」
「できたんだ! さすがルイン!」
ユーリットがにっこりと笑った背後で、ニティアの背がぴくりと動いたのが見えてしまった。ノレインは、申し訳なさそうに苦笑いした。
談笑しているうちに全てのテーブルに料理が運ばれ、レントは皆に呼びかけた。
「食事に入る前に、皆に言っておきたいことがある」
全員がレントに注目する。レントは一人ひとりを見回し、口を開く。
「今日はこの後、卒業する三人にとっての最後の授業をするよ。ここにいる全員……トルマとゼクスにも、来て欲しい」
指名された助手の二人は、互いに顔を見合わせた。この二人も参加しての授業は、約一週間前[潜在能力]の説明があった時以来だ。
レントはまた、重要なことを教えようとしている。誰もが皆、そのような予感がしていた。
――
朝食を終え、全員がレントの書斎にぞろぞろと入室する。相変わらず本と資料で散らかっているが、誰一人つまずくことなく(ゼクスだけがつまずきかけた)席についた。
レントが黒板の傍に辿り着く前に、ヒビロが原稿用紙を手に立ち上がる。
「先生! 原稿、出来たぜ」
「ありがとう、書き直しはしなくて大丈夫?」
「あぁ、俺の実力を全部出し切ったから、後悔はしてないさ」
レントは原稿用紙を受け取ると、ノレインとニティアにも訊ねる。
「君達はどうかな?」
「私は……もうちょっと手直ししたいから、後で」
「分かった、明日の卒業式まででいいから焦らないでね」
ニティアの悲しみに打ちひしがれた表情が目に入ったのか、レントはやんわりと締め切りのタイミングを告げた。
ヒビロの原稿を黒板の横の机に置くと、レントは眼鏡をかけ直し、咳ばらいをした。
「さて、五日前に私が言ったこと……覚えているかな」
五日前。[潜在能力]の授業をした日だ。ノレインはごくりと喉を鳴らし、手を挙げる。忘れられるはずがない。それについて悩み、必死で解決策を探してきたのだから。
「卒業する前に、[潜在能力]を完全にコントロール出来ていること」
レントはノレインの回答に、大きく頷く。
「その通り。コントロールの方法は一つだけじゃなく、人によって向き不向きがある。ここに残る生徒達のためにも、君達三人が出した答えを発表して欲しいんだ」
ノレインの横で、ヒビロが手を挙げる。
「じゃ、まずは俺から。目を合わせないってことが大前提だが、時には相手の目を見て話したいことだってある。能力を使いたくない時は……その相手に敬意を払うようにしてるのさ」
ほとんどの生徒が首を傾げ、メイラにいたっては「は?」と声に出していた。
「俺は邪念の塊だからな、すぐこうなってほしい、ああなってほしいって思っちまう。でも、敬意を持つようにすると[催眠術]なんてかけるのが申し訳なくなるのさ。こう見えてメイラのことも、ちゃーんと尊敬してるんだぜ」
ヒビロはメイラに向かってウインクを投げる。メイラは突然の告白に意表を突かれ、頬を赤く染めた。
いつもいがみ合っている二人だが、それは大体ノレイン絡みの時だ。勉強やスポーツに関しては互いに切磋琢磨し合ういいライバル関係だった。ノレインは、今朝方殺し合いに発展しそうだったこの二人の関係性を羨ましく思った。
「ほら、次はニティアの番だ、しっかりしろよ」
「…………」
ヒビロは、ニティアの背を叩く。真っ白に燃え尽きていたニティアは、力を振り絞りよろよろと立ち上がる。
「…………、風と、仲良くすること。……能力は…………敵じゃない」
ニティアは低い声で、途切れ途切れに喋った。だが、最後の一言ははっきりと聞こえ、皆の心にしっかりと届いた。
伝えきった直後、ニティアは力尽き、その場に崩れ落ちる。彼の様子を見たレントはほっと息をつく。
「緊張して足が震えたんだね、ゆっくり休んでて。……じゃあ最後に」
レントは、不安げにノレインを見る。目が合った瞬間、一気に緊張が走る。だが、ノレインは両手をぐっと握りしめ、勢い良くその場に立ち皆の正面を向く。
「私はあの授業の後、どうすればいいか不安だった。だから皆から話を聞いて、色々考え続けてきた。最終的には、[潜在能力]は手品の一種だと思うのが一番合っているみたいだ」
納得した様子で口を開けたユーリット、なるほどと言いながら頷くリベラやトルマ、柔らかい笑顔で見つめてくるヒビロ。皆様々な反応を見せていたが、ノレインの目はメイラの真剣な表情が真っ先に飛びこんできた。
「でも、それだけじゃない。思い出、安らぎ、笑顔、希望、愛、夢……皆が教えてくれたことが心に残っている限り、私は前を向いていられる。一人では絶対に答えが出なかった。だから、ここにいる皆のおかげだ。私に力を貸してくれて、ありがとう……ッ!」
ノレインは感極まり、必死で目頭を押さえる。皆の顔は涙でよく見えないが、拍手が聞こえてきた。レントの手が両肩に置かれる。じんわりと温もりを感じ、ようやく心の底から安堵出来た。
「三人共、自分自身が納得できる答えに辿り着いたようだね。本当に、良かった……」
レントは声を震わせ、ノレインを抱きしめた。
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