7章―2
文字数 4,029文字
そんな中、レントは話を再開させる。
「君達三人は、これで立派に社会に出ていける。私から教えることはもう……」
「ちょっと待って」
その時、トルマが話を遮った。
「レント先生、こんな時に言うのも何なんだけど……[潜在能力]が効かない時があるんだよね」
レントの動きが止まる。同時に、生徒達の涙もピタッと止まった。
「目を介する[潜在能力]を持つ人なら心当たりあると思うけど……レント先生、僕はあなたの心だけはどうしても読めない。何故なのか教えてほしい」
「そういや……」「確かに……」と、ヒビロ、リベラ、アビニアが同時に呟く。相手と目を合わせることで[潜在能力]が発揮する四人が、揃って同じ意見を持っている。
レントは、悲しそうな目で微笑んだ。
「そうだね、そのことについても言うべきだね。私も、生まれた時から[潜在能力]に目覚めている。『相手の[潜在能力]の効果を無効化すること』……そして、『目を合わせた相手の[潜在能力]を一時的にコピーすること』」
全員が息を飲む。彼の話では、全ての生物は[潜在能力]を『一つ』持つのではなかったか?
皆の言いたいことが分かったのか、レントは大きく頷いた。
「今研究されている神話は、全てが事実だとは限らない。[潜在能力]についてもそう。まだまだ分からないことだらけなんだ。私の場合も、例外に当たるのかもしれない。神話について研究するようになってから、この『不思議な力』が何なのか分かったくらいだからね。最初はコピー……[能力複製]だけだと思っていたけど、ここで君達と接するうちに気づいたんだ」
神話の研究者にもほとんど知られていない[潜在能力]。それについてレントが詳しかったのは、自分も持っていたからなのだ。
「ここにいる生徒の全員が[潜在能力]に目覚めていたのは、もしかしたら無意識に同じ者同士、惹かれ合ったのかもしれないね。私は遠い昔……大切な友人達を皆亡くしてしまったことがある。だから、居場所を失ってしまった孤児達を見ると、当時の彼らを思い出して放っておけなくなるんだ」
全員が愕然とする。レントの過去を聞くのは初めてだったが、いつも優しく笑っている彼が、こんなに辛い過去を背負っていたとは。ノレインは、自分がまた泣いているのに気づいた。
「私の『夢』は、居場所を失った人を一人でも多く助けること。その人達に、生きる喜び、楽しさを知ってもらうこと。そして……その人達が立派に成長し、ここを卒業してもずっと元気で、幸せでいてくれること」
レントは笑ったまま、一筋の涙を零した。
「皆ここに来る前は一人きりだったかもしれない。でも、私達はこの場所で『家族』になった。ここを離れてまた一人になったとしても、『家族』がいることは変わらない。そのことを……忘れないで欲しい」
全員、言葉に出すことができなかった。これまでの『思い出』が溢れ返り、胸が苦しくなる。レントもまた、言葉が詰まりそうになりながら告げた。
「これで……第一期生にとっての、最後の授業を……終わりにするよ。ヒビロ、ルイン、ニティア……今まで、よく頑張ったね……ありがとう」
卒業する三人の最後の授業が終わった。だが、しばらくは誰も席を立つことが出来なかった。
――
湿った細かい霧が肌に心地良く張りつく。ノレインはノートを持ち、一人で森の中を歩いていた。
昼食を終え、最後の自由時間。この一週間、彼は『家族』との『思い出』を作ろうと、常に誰かの傍にいた。だが、ここにいられるのも今日で最後。どうせなら、思い入れのある場所を一人きりで見て歩き、心に留めたいと思ったのだ。
図書室、ガーデン、リビング、音楽室。誰もいないがらんとした空間に佇むと、『思い出』と共に寂しさが溢れ出す。
ノレインはその場所ごとの風景、これまでの記憶をノートに文章として記した。画力のある人だったら、絵として残しただろう。だが残念ながら、絵は決して上手くない方だった。
文章だったら後で読み返しても情景が蘇る。ノレインは淡々と、ノートに書き続けた。
そして、『家』の中はあらかた見終わったため、外に出たのだった。
「(ブロード湖は最後にとっておきたい。次はどこに行こうか……)」
森の通り道で足を止め、ノートを開く。そういえば、この辺りを一人きりで通ったことはほとんどない。いつも隣にメイラ、ユーリット、ヒビロがいた。誰もいないと、この森はこんなにも静かなのか。
思ったことをそのままノートに書いている途中、あることを思い出した。
「そうだ、あの場所に……」
ノレインはノートを閉じ、足早に歩き出した。
――
森を抜け、山道をひたすら登る。雲の多い穏やかな空模様は、まだ昼の半ばの色をしていた。
ノレインは、数日前メイラに教わった『この世で一番美しい場所』を目指していた。そこからは彼らが過ごしてきた世界が全て一望出来る。前来た時は眩い夕暮れだったが、昼間だとどのような姿を見せるのだろう、と、気になったのだ。
息を切らしながら進んでいたが、急に道が開けた。覚えのある感覚に、ノレインは足を慌てて止める。ゆっくりと平らな足場の崖に近寄り、目の前の景色に目を細める。
ノレインは、目を大きく見開いた。ここの空は穏やかだったが、森から『家』、ブロード湖、針葉樹林と広葉樹林の林道にかけて、薄く霧がかかっていた。その幻想的な様子は、彼が初めてこの地にやってきた時とまるで同じだったのだ。
六年前の記憶が浮かび上がる。霧の中に突如現れた神秘的なブロード湖。手を差し伸べたレントの優しい笑顔。自分の居場所と、『家族』を得た喜び。
視界が涙でぼやけ、手で拭う。ノレインは崖に腰かけ、ノートを開いた。この気持ち、この想いを忘れないうちに、急いでペンを走らせる。
「(やっぱり、ここはこの世で一番美しい場所だ……!)」
この素敵な場所を教えてくれたメイラに、今自分が見た景色を真っ先に伝えたい。ノレインは、夢中になって書き続けた。
――
ロープを伝い、幾度となく訪れた秘密基地に足を踏み入れる。
ここにも、一人きりで来ることはなかった。時には森の涼しい空気を楽しむために。時には遊び疲れて休憩するために。そして。時には、この場所で欲をぶつけ合うために。
ソファに腰かけ、部屋全体を見回す。使いこまれて味のある床や壁の木の板には、よく見ると落書きや不自然な染みが見える。ノレインは思わず苦笑した。ノートを開き、書きこみながらしみじみと思う。
「(私もユーリも……色んなことをさせられたのに、よくここを嫌いにならなかったな……)」
ユーリットと一緒によく森で遊んだものだが、休憩のためにここを訪れると、変態に絡まれることがよくあった。酷い時には『二人の変態』が待ち伏せしていたこともあり、当時の惨事を思い出し、ノレインは思わず背筋が寒くなる。
ふと、ペンを止めた。卒業したら、変態に襲われることもなくなるのだろうか。
そう思った矢先、床の下からみしみしと音がした。「誰かがロープを登る音か?」と考えているうちに、入口から赤茶色の髪がちらりと見えた。
「……あ」
目をそらす暇もなく、姿を現したヒビロと、ばっちり目が合ってしまった。
ノレインは、最悪の状況を予感し青ざめる。しかし、意識と体が切り離される感覚もなく、ヒビロはノレインの隣に腰を下ろした。
「ははっ、俺だって毎回毎回飢えてる訳じゃないさ」
[催眠術]にはかかっていない。ノレインはようやく深い息をついた。
「なッ、なんだ……目を合わせても[催眠術]がかからないって、本当だったのか……」
「失敬な。それくらい時と場所をわきまえているつもりだぜ」
ヒビロはひとしきり笑い飛ばし、ノレインのノートに目を留めた。
「それ、何だ?」
「今までお世話になった場所のこと、忘れたくなくて……メモして回っているんだ」
「そっか、俺と同じだな」
「手ぶらなのか?」
「あぁ。心に留める方が俺には合ってる」
ノレインはノートを閉じ、目の前のローテーブルに置いた。静寂が流れる。昨晩酷い目に遭ったばかりなのに、あの得体の知れない恐怖は全く感じない。
「ルイン……昨日は、ごめんな」
ヒビロは、突然呟いた。
「メイラのおかげで……って聞いて、悔しくなったのさ。でも、あんなことしちまうなんて……どうかしてるよな」
弱々しく首を横に振るノレインに、ヒビロは深く頭を下げる。
「ルインを傷つけてしまって……本当に、すまなかった」
「ヒビロ……」
ノレインは膝をつき、ヒビロの肩をがっしりと掴んだ。
「頭を上げてくれ! 過ぎてしまったことは仕方ないし、戻せない。でも、ちゃんと謝ってくれて、嬉しかった」
ゆっくりと頭が上げられる。その赤茶色の瞳をしっかりと受け止める。
「そんなことで、私はヒビロを嫌いになったりしない。……初めて出来た『友達』だからな」
ノレインの一言に、ヒビロは小さく息を飲む。そして、ようやく柔らかな笑顔を見せた。[催眠術]にはかかっていない。二人は長い間目を合わせながら、笑い合っていた。
「でも、昨日言ったことは本気だぜ」
ヒビロはそう笑い飛ばし、ソファに身を投げる。昨日言ったこと。[世界政府]役人になり、ノレインの『夢』を助けた後『一生のパートナー』として、共にすること。
思い出して顔を真っ赤にさせるノレインに、ヒビロは茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばした。
「なんなら、今ここで誓いの儀式でもあげるか?」
ノレインは慌てて飛び退き、ノートで顔を覆う。
「かッ……、考えさせてくれッ!」
今にも顔から火が出そうな勢いに、ノレインは気が動転していた。彼のその告白は、どう考えてもプロポーズそのものだ。ヒビロは笑い転げる中、「まぁ、返事はいつでも待ってるさ」と一言残した。
(ログインが必要です)