8章―2
文字数 3,322文字
考え事をしていたノレインは、すっかり照れてしまったヒビロに急かされ我に返った。
笑顔のまま頷くレントと目が合う。ノレインは原稿用紙を手に立ち上がった。今度は自分が、『家族』への感謝を伝える番だ。息を深く吸いこみ、口を開く。
「……全てはここから始まった」
先程までヒビロを囃し立てていた聴衆は、ノレインの声に一気に静まり返った。
「居場所のない孤児だった私は、ここに来てから実に様々なことを学び、体験し、考え、身につけてきた。それは、
彼にアドバイスをしてきた一人ひとりが、その言葉に胸を打たれていた。
「同じ境遇にあった『家族』の皆とは、共に助け合い、時には喧嘩もしながら、多くの時間を過ごしてきた。その中で、……いつしか、私達は『夢』を抱いた」
ノレインは原稿用紙から目を離し、皆を見る。自分を見る皆の目は、真剣そのものだった。
「いずれはここを卒業し、それぞれの道を進んでゆく。ずっと共に過ごしてきた『家族』と離れるのは寂しい。だが、大切な皆の『夢』は、私の『夢』でもある」
読んでいるうちに、涙がこみ上げてきた。だが、ノレインは我慢して語り続ける。
「落ちこんでいた時、ここにいる全員が励ましてくれた。私はもう一人じゃない。私には、……『家族』がついている。だから、例え遠く離れていても、皆を応援し続けたい」
『家族』がついている。そう言おうとして一瞬言葉が詰まり、震えてしまった。『家族』全員から同じ言葉をかけてもらった時のことを思い出したのだ。
「世の中にはかつての私のような孤児が大勢存在する。より多くの孤児達を救い、ここで得た全てを知ってもらうことが私の『夢』だ」
原稿用紙に涙が落ちる。自分でも気づかないうちに、泣いていたようだ。ノレインは一呼吸置くと、よく通る声で締めくくった。
「卒業はゴールではない。『夢』への第一歩を踏み出す、『始まり』のための序曲なのだ」
原稿用紙をすっと下ろす。しばらく静寂に包まれていたが、いきなり拍手が巻き起こった。
滝のような涙を流すニティア、嬉しそうに笑うヒビロが目に入る。その視線の先では、レントが顔をくしゃくしゃにさせながら笑っていた。
――ガタン‼
その時、激しい物音と「ぉわっ⁉」という悲鳴が聞こえた。全員が音のする方向へ顔を向ける。ノレインの目に飛びこんできたのは、立ったまま自分だけを見ているメイラだった。
「やっぱりあたし、もう我慢できない!」
彼女の真後ろでは、飛んできた椅子に潰されたゼクスが呻き声を上げている。それに気づく余裕もなく、メイラはノレインに向かって叫んだ。
「確かに、あたしには『趣味』と言えるものもあって、その道を究めたいって思う気持ちもあるわ! でも……それより、それ以上に、ルインの『夢』に感動したの! あたしだって、あなたの力になりたい‼」
ノレインは、昨日の夜のことを思い出す。彼女がこの時言いかけたのは、このことだったのか。
「この一週間、ルインがいっぱい悩んで、苦しそうにしてきたのを見て、こっちも辛かったわ。これから大きなことをやり遂げようとするなら、また同じようになるかもしれない。そんなの、黙って放っておけないわ! いつもあなたが笑っていられるように、ずっと支えていきたい。だから……」
メイラは強い目でノレインの両目を捉え、はっきりと宣言した。
「ルイン! ……いいえ、ノレイン‼ あたしと、……結婚してください‼」
ノレインは口を開けたまま、メイラと目を合わせたまま、長いこと突っ立っていた。この場の誰も口を開かない。
やがて、よろよろと一歩前に出ると、ノレインは一気に駆け出し、メイラを抱きしめた。
周囲から大歓声が沸き起こる。しかし、二人にはそれらが全く耳に入らず、腕の中の相手の温もりだけを噛みしめていた。
困った時にはいつも助けてくれたメイラ。
自分に『人を好きになる気持ち』を教えてくれた彼女となら、これから先どんな困難が待ち受けていても、絶対に乗り越えていける。ノレインは、はっきりとそう思ったのだった。
――
ずっと降り続いていた雨は、いつの間にか止んでいた。
『家』の外へ出た皆は、目の前の景色に歓声を上げる。太陽が輝き、ブロード湖の上空に大きな虹がかかっていたのだ。
「きっと、三人をお祝いしたかったんだね」
レントは虹を見上げながら、感慨深く呟いた。虹をカメラに収めたメイラは、抱えていた三脚をブロード湖の目の前に置く。
「虹が消える前に、さっさと写真撮っちゃうわよ!」
幅の広い踏み台を運ぶゼクスとヒビロに向けて、激を飛ばす。ヒビロはメイラに文句を返した。
「オイオイ、何で祝われる側の俺がこき使われなきゃならねーんだよ⁉」
「うるさいわね、それなりに力があるんだから文句言ってないで働きなさい!」
相変わらず喧嘩ばかりの二人に、全員が笑い出す。
踏み台が三脚の向かいに置かれ、アビニア、ウェルダ、ソラの三人がその上に乗る。残った皆は前列に並び始めた。
「先生、前に出て」
「私は端でいいよ、それより主役の三人が……」
「ニティアは自分が中心に来るのは恥ずかしいって。それより育ててくれた先生が前に出るべきだって言ってるよ」
「……そう、ありがとうニティア」
リベラがニティアの意見を代弁すると、レントははにかんで前列の中心に立った。
卒業式の後、レントの提案で、卒業写真を撮影することになったのだ。メイラは三脚に愛用のカメラをセットし、皆の下へ駆け寄った。
「セルフタイマーかけたから、いつ撮られてもいいように顔作っときなさいね!」
「よし、じゃあルインとユーリは俺の隣な」
「ちょっとヒビロ、ルインに余計な手を出したら許さないわよ!」
「分かってるって、最後ぐらい大目に見ろよ!」
ヒビロがノレインとユーリットの肩を抱くと、すかさずメイラから文句が飛んでくる。だが「最後ぐらい」との言葉に、先程のメイラのプロポーズを認めたらしい。彼の腕の中で、ノレインとユーリットは互いに見合わせながら、寂しそうに笑った。
レントの左隣にはノレイン達がいて、右隣ではメイラとリベラが寄り添いながら笑っている。リベラのすぐ後ろではニティアが、彼女を見守るように愛しげな眼差しを向けていた。
「ソラ、主役の三人より目立っちゃだめだよ」
「なによぉ、せっかく写真にうつるんだから、かわいいポーズ決めたっていいじゃない!」
「ま、まぁまぁ……二人とも落ち着いて」
踏み台の上では、左端のアビニアと右端のソラが言い争いを始めてしまった。二人に挟まれたウェルダは、慌てて牽制しようとする。
「微笑ましいねえ……この際だから僕達も」
「ちょっ、引っつくんじゃねえよ!」
「皆楽しそうにいちゃいちゃしてるんだから、こっちだって負けてられないよ。ねぇ、ゼクス?」
「うっ、うるせえ!」
踏み台の下、ソラの隣で佇んでいたトルマはゼクスの腕を取る。ゼクスはその腕を振りほどこうとしたが、意外と力が強く、中々離れない。
「ん~、まだかなぁ……あっ! ちょうちょだ☆」
ユーリットの隣で待ちくたびれていたソルーノは、湖のほとりにひらひらと舞う蝶を見つけ、駆け出してしまった。
「(この瞬間が、いつまでも続いてくれればいいのにな……)」
ノレインはヒビロに抱かれながら、束の間の喧騒に浸っていた。
この写真を撮り終わったら、いよいよ旅立ちの時だ。嬉しいことも悲しいこともたくさんあったが、もうすぐ次のステージに進まなければならない。
だが、愛と希望に満ちた笑顔溢れるこの思い出は、いつの日か、夢を追う中で疲れた心の安らぎとなるだろう。
ノレインは恐れずに前を向いた。一人きりになろうとも、彼の傍には、いつだって『家族』がついている。目の前では光り輝く虹と、七色に照らされたブロード湖が静かに見守っていた。
そして。
カメラはこの幸せな風景を勢い良く、切り取った。
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