8章―3
文字数 3,497文字
ノレインは二十五歳になったが、自動車整備士の仕事を変わらず続けている。『夢』への挑戦も実行出来ていない。生活を安定させるには時間がかかり、歯痒い思いをするばかりだった。
だが、本日は大きな節目の日である。大型バスに似た銀色の車を見上げ、ノレインは感慨深く眺めていた。
「ねぇパパ! このくるま、すっごくおっきいね!」
互いに良く似た二人の少年が、自分を取り囲むようにはしゃぎ回っている。ノレインは彼らの茶色い癖っ毛を撫で回し、「そうだろう!」と得意げに笑った。
「ねぇ、早く中に入ってみましょ!」
車体の真横についたドアの前で、メイラが急かすように手招きしている。ノレインは二人を抱きかかえ、彼女に続いて乗車した。
この少年達は、ノレインとメイラの息子である。メイラと結婚したのは、彼女が卒業した数ヶ月後のこと。二人はノレインの社員寮で暮らし、共働きを始める。メイラの職場は近所にある小さな出版社。彼女はもうひとつの『夢』である、写真家になれたのだ。
そして二年後、二人の間に双子の男の子が生まれる。兄はデラ、弟はドリと名づけたが、彼らの見た目は瓜二つを通り越し、全く同じだった。だが彼らは一つだけ、異なる『個性』を持っていた。
「ねぇママ。このドア、パパのへやみたいにおもくないね!」
「ちょっとデラ、またパパの『昔話』読んだでしょ!」
「ほんとだ! 『おうち』のドア、すっごくおもそう。でも、こわしちゃうママもすごーい!」
「ドリ! 恥ずかしいからこれ以上『覗き見』しちゃだめ!」
メイラはあたふたと交互に叱るが、当の本人達は無邪気に笑っている。あの『修羅場』も見られたのだろうか、と、ノレインは震え上がった。
デラとドリもまた、生まれた時から[潜在能力]に目覚めていた。レントによるとデラの力は[過去透視]、ドリの力は[精神感応]らしい。[過去透視]は目が合った相手の過去を読み取り、[精神感応]は相手の脳に干渉出来るという。
デラは『昔話』を読むように過去を観賞し、ドリはデラの見た『昔話』を即座に『覗き見』する。まだ幼い二人は、[潜在能力]を玩具として使いこなしていた。
笑顔の絶えない新しい家族を苦しませないために、夫婦はひたすら仕事に励んだ。そして今日、『夢』への第一歩を踏み出そうとしていた。
「キッチンは思ったより広いわね。冷蔵庫の他に、オーブンも入れようかしら」
「奥の二部屋も良い感じだな。これなら最大八人は迎えられそうだぞ!」
ノレインとメイラは真新しい内装に浮足立つ。この車は大型のキャンピングカーであり、一家の新しい家だ。
『夢』のためには移動手段が必要である。加えて、居場所のない人々を救うのなら住む場所も必要だ。メイラと意見を出し合った結果、『移動する家』を思いついたのだ。
この日のために、二人は大型車両の運転免許を取得していた。今日は週末で仕事も休み。天気も良く視界も良好。これでようやく、『夢』を叶える準備は整った。
「よし! 早速、始めるとするか!」
ノレインは運転席に飛び乗る。メイラは慌てて双子をチャイルドシートに乗せ、助手席についた。
真新しい銀色のキャンピングカーはエンジンを震わせ、走り出した。
――
目的地はミルド島の小さな町。昼間でも人通りは少なく、寂れた雰囲気が漂っている。
ノレインは車内にメイラと双子を残し、記憶を頼りに、日の当たらない路地裏まで辿り着いた。ここは、ノレインがレントと出会った場所だ。
彼はぼろぼろのまま死にゆく自分を見捨てることなく、手を差し伸べた。その喜びは今でも鮮明に覚えているが、この辺りの風景もまた、全く変わっていない。ノレインは恐怖で足が竦み、逃げ出したくなった。
すると、視線の先に孤児らしき少年を見つけた。建物の外壁によりかかり、ぼんやりと座りこんでいる。衣服は汚れ、表情は抜け落ちたように虚ろだ。その姿はまるで、昔の自分のようだった。
ノレインは彼に近寄り、そっと手を差し伸べる。
「ここにいるのは辛いだろう。私と一緒に……」
少年は突如、ノレインの手を払い除けた。無気力だった目はきつく吊り上がり、恐怖一色に染まっている。少年は威嚇したまま、暗闇の奥に走り去った。
ノレインは手を引っこめるのも忘れ、震えていた。
手を払われた瞬間、長らく忘れていた『恐怖』が蘇る。自分は『家族』のおかげで人の温かさを知ったが、相手は深い傷を負ったまま。『恐怖』に囚われた孤児にとって、他人は『敵』でしかないのだ。
「おかえり、どうだった……」
車内に戻ると、出迎えたメイラ達から笑顔が消える。ノレインは座席に崩れ落ち、悔しさを滲ませた。
「『恐怖』を取り除くのは難しいこと、すっかり忘れていた……」
メイラは悲痛な表情のまま俯く。双子も揃って泣きそうな顔をしている。きっと、先程の『過去』を読み取ってしまったのだろう。
ノレインは腕で顔を覆う。今の自分には、居場所を失った人を救うことは出来ない。長年抱き続けた『夢』は叶わないのか。
その時、携帯電話の着信音が鳴り響いた。ノレインはズボンのポケットから電話を出し、通話ボタンを押した。
『ルイン、突然ごめんね。今ちょっといいかな?』
「ユーリじゃないか! どうした、また何か辛いことでもあったのか?」
『ふふっ、違うよ。レント先生からの伝言なんだけど……』
電話の相手はユーリットだった。彼はどこか嬉しそうに詳細を語り、ノレインは思わずその場に立ち上がった。
「同窓会、だって⁉」
――
一週間後。一家を乗せた銀色のキャンピングカーは、広葉樹林の並木道を進んでいた。途中で双子が同時に歓声を上げる。瞬きをする間に、広葉樹は針葉樹へと変わっていた。
緩やかなカーブに差しかかると、可愛らしい水色の一軒家が見えた。この家の家主はユーリットである。彼は卒業後、植物の知識を深めるために花屋で働いていたが昨年独立し、『家』の近所で植物園を開業した。
徒歩圏内のため『家族』も頻繁に訪れ、『家』に滞在中の際はノレイン達も遊びに行くことが多い。ユーリットは店に来たレントから『同窓会をやろう』と誘われ、ノレイン達卒業生に連絡したらしい。
第一期生の卒業後、同窓会は予定通り三ヶ月に一回行われた。だがノレイン達が多忙になるにつれて半年に一度、一年に一度に減り、今ではすっかり開催の機会がなくなった。
卒業式だけは必ず行こう、と決め、ノレインは予定を調整している。それでも全員集まることはなく、必ず数人は欠けていた。ユーリットから電話があった後日改めてレントから連絡が入り、今日の同窓会は卒業生が全員揃うという。
「皆集まるのは、本当に久しぶりね」
メイラは助手席で、嬉しそうに呟く。ノレインも運転に集中しながら大きく頷いた。この道を最後に通ったのは数ヶ月前、アビニアの卒業式の時だ。つい最近のはずだが、この車で通るのは初めてであり、心が弾む。
針葉樹の並木道は急に途切れ、ブロード湖と『家』が姿を現した。奇しくも静かな雨が降っており、ノレインは『始まり』を思い出した。
『家』の前には車が数台停まっている。その横に停車し、ノレイン達は外に出た。
「おかえり! まってたよ!」
玄関先で待ち侘びていた幼い少女が、真っ先に駆けてくる。黒髪を耳の下辺りで二つ結びにした少女は、デラとドリの手を取り一緒にはしゃぎ出した。少し遅れて焦げ茶色の髪の少年が追いつき、慌てて傘を差した。
「ミン、雨に当たるとかぜ引くだろ?」
「ごめんなさい、コンバーおにいちゃん……」
彼はふっと微笑み、少女と双子を傘の下に入れた。この『兄妹』は、SBの新しい『家族』である。
黒髪の少女ミンは、双子と同い年の二歳。生まれて間もない頃、『家』の玄関先に置き去りにされていたところをレントに発見された。
彼女にとって、自分達『家族』は本当の家族だった。だが成長するにつれて、自分が孤児であると気づくだろう。ノレインは、ミンが屈託なく笑う度に胸が痛むのだった。
茶髪の少年コンバーは一年前、レントに拾われた孤児だった。彼は九歳であり『恐怖』を感じていてもおかしくない年齢だが、『家族』の手を煩わせることはなかったという。きっと、ミンの『兄』になろうと努力しているのだろう。
メイラはしゃがみ、『兄妹』の頭を優しく撫でた。
「二人ともお出迎えありがとう。さ、行きましょ!」
『家』の前では、レントが笑顔で手を振っている。ノレイン達は手を振り返し、『家族』の待つ『家』に向かって並んで歩き出した。
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