3章―3
文字数 2,747文字
「ねぇ、湖のところまで散歩しに行こうか」
リベラはノレインとニティアに提案する。二人は同時に頷いた。何をする訳でもない、しかし、ブロード湖の傍だったら気持ちが落ち着くかもしれない。
三人は外に出る。昨日とは打って変わり、穏やかな日差しがブロード湖を照らしていた。
ふわっ、と、暖かい風を感じる。ニティアが風を吹かせたのだ。まだ肌寒い外の空気が、心地良いものに変わる。
「ニティア、ありがとう」
リベラはニティアを見上げ、嬉しそうに微笑む。彼の表情は相変わらず読めないが、その背中から喜びが滲み出ていた。
「ルイン、……『安らぎ』って、大事だと思うんだ」
ノレインはリベラの一言に、首を傾げた。
「ほら、さっきのトルマさんのお茶とか、ブロード湖の景色とか。溜息が出るくらいほっとするよね。そのほっとしている時間は、嫌なことなんて考えられないでしょ? さっきは気にしないようにするって言ったけど、安らぎを見つけることが一番簡単かもしれないね」
心を落ち着かせる方法。確かに、トルマの茶を堪能した時は一瞬ではあったが、不安が消えたような気がした。
「でも、悩んでいる時に安らいでいるなんて……」
「あの時のルインは間違いなく、心の底から安らいでいたよ。この目で見たんだから」
リベラは自信に溢れた口調で言い切る。彼女の[感情透視]によるはっきりとした事実だ。
その時、ニティアが突然ノレインを抱きしめた。ノレインは急な行動にあたふたするが、小刻みな震えを感じ取り、そっと問いかけた。
「ニティア……泣いているのか?」
ニティアは何も言わず、更にきつく抱きしめる。リベラはくすっと笑うと、彼の気持ちを代弁するように説明した。
「ニティアも、ルインのことが心配でたまらないんだよ」
彼は昔から極端な無口だったが、その感情は時々、行動として表していた。誰かが落ちこんでいると隣に寄り添い、ただ黙って過ごしてくれる。よく考えると、ニティアの持つ感情は読みやすいものだった。
ノレインはその精一杯の気遣いに、笑顔になった。
「ありがとう、ニティア……」
「…………ルイン」
「大丈夫。私も、ニティアもついてるよ」
視線の先でリベラが優しく笑いかけてくる。ニティアの顔は見えなかったが、腕の力がぐっと強まった。
「そうだ、トルマさん達も言ってたように、卒業後もここで皆で、定期的に会わない?」
「えっ?」
「三人共行く場所が違うし、遠いから難しいかもしれないけど……三ヶ月に一回、とか。いや、それだと長いから一ヶ月に一回かな。うん、決めた。お昼の時間に皆に相談した方がいいね」
リベラは嬉々として話を進める。ようやくノレインから手を離したニティアは、困ったように顔を見合わせてきた。
その顔にははっきりと、『まだいいとは言ってないのに』と書いてあった。
――
その日の夜。ノレインは自室の机に向かっていた。
スタンドライトの白い光を頼りに、ノートに文字を書き綴る。トルマ達から聞いた[潜在能力]のコントロール方法と、リベラからのアドバイス。更に、自分が『安らぎ』を感じた時を思い返し、一つずつ書き足す。
そんなに多くあるだろうか、と思っていたが不思議なことに、次から次へと溢れてくる。レントお手製のホットミルクを飲む時、メイラと一緒に森を散歩する時、リビングの暖炉で暖まっている時。意外にもごく普通の、ありふれた風景だ。
「(ヒビロの言っていた『思い出が勇気をくれる』って……こういうことなのか?)」
説明に使われた言葉は異なるが、ヒビロとリベラの言いたいことは同じなのかもしれない。
ノレインはペンを置き、椅子に寄りかかり天井を見上げる。漠然とした不安は相変わらず残るが、それでも少しずつ、解決に向かっているような気がした。
その日の昼の時間、リベラは皆に向けて考えたことを提案した。
真っ先にメイラが賛同し、続いてユーリットも嬉しそうに手を挙げた。トルマやゼクス、レントも含め他の皆も全員一致で決まりそうだったが、ヒビロが慌てて『三ヶ月に一回にしてくれ』と懇願したため、ニティアは胸を撫で下ろしていた。ヒビロとニティアは、卒業後は別々の大学に進学する予定なのだ。
「(それにしても、リベラがここまで自分の意見を押し通すなんて……)」
ノレインは過去を振り返る。リベラは、ノレインがこの場所に来た一年と数ヶ月後にやって来た、三番目の生徒だった。
出会った当初は今よりもずっとおとなしく、ニティア程ではないが無口な少女だった。自分から何かを発言することはなく、常に一歩、いや、三歩くらい引いた性格をしていた。
今思うと、彼女が明るく変わったのは、ニティアが来てからだ。
ニティアはその年の晩秋に加わった四番目の生徒だった。中身は今とさほど変わらないが、それでも周りを寄せつけない雰囲気は出ていたように思う。しかし、[潜在能力]のおかげもあってか、リベラとは最初から心が通じ合っていたように見えた。
彼が来て間もなくヒビロが手を出したため、ノレインはニティアに嫉妬を覚えたことがあった。だが、ニティアはノレインが一人きりでいるとぴったりくっつき、今日のように抱きしめてくることがしょっちゅうあった。そういった寂しがりな一面は、きっとリベラに気づかされたのだろう。
「(リベラもニティアも変わってるんだ、私もきっと……)」
不安は拭えないが、ノレインは良い方向への変化を信じて、ノートを閉じた。
――カンカン
その時、新品のドアから、金属を叩くようなこもった音が聞こえた。ノレインは訝しげにドアまで近づく。
「ルイン、僕だよ」
聞こえたのはヒビロではなく、ユーリットの声だった。ノレインは鍵を開け、ユーリットを招き入れる。彼はどこか顔色が悪かったが、ノレインが再び鍵をかけた瞬間、背中に抱きついた。
「ユーリ?」
「ご、ごめん、……なんか、寂しくて」
ユーリットは泣きそうな目でノレインを見上げる。ノレインは困ったように笑いかけ、肩を叩いた。
「『恐怖』、克服出来たんじゃなかったのか?」
「違うよ、ただ……」
その水色の瞳から、涙が零れ落ちる。
「本当に、寂しいだけなんだ……」
ノレインはユーリットを抱き寄せると、なだめるように「わかった」と一言告げる。机のスタンドライトを消し、ベッドに並んで横になる。
微かに震えるユーリットを優しく抱きしめる。彼が寝静まるまで見守った後、後を追うようにして眠りに落ちていった。
【卒業まで、あと五日】
They showed me peace of mind
(それは、ひと時の安らぎ)
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