4章―3
文字数 3,411文字
ソルーノは遂に痺れを切らし、問いかける。ノレイン達が反射的に飛び上がると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「二人とも、さっきからそんなにびくびくしてどうしたの?」
「ぃ、いや、何でもない。続けてくれ」
ノレインは必死に平静を装いながら促す。ソルーノはこちらの心配をよそに目を輝かせ、ユーリットを見つめた。
「僕もレント先生の授業で気になってたんだ、[潜在能力]のコントロール方法。ユーリがやってること、僕にも教えてくれないかな?」
ノレインは思わず目が丸くなり、ユーリットと顔を見合わせる。ソルーノの[潜在能力]は[幻覚操作]。文字通り、目を合わせた相手に幻覚を見せることだ。
彼と目が合うと視界が歪み、気づかぬ間に捕まっている。[潜在能力]を進んで武器にしているソルーノが、まさか制御したいと言い出すとは。あまりにも意外過ぎて、二人は言葉を失うところだった。
「ぇ、えっとね……僕の場合、目を閉じて全身の力を抜くの。苦しみがなくなるようにイメージしながらね。レント先生が教えてくれたんだ」
ノレインとソルーノは、言われた通りに実行する。確かに、頭の中がすっきりする感覚があった。ユーリットの場合は全身の感覚を抑える必要があるため、この方法はぴったりなのかもしれない。
「これで幻覚、見えなくなったかなぁ?」
ノレインは恐る恐るソルーノを見る。しかし、目が合った瞬間視界がぐるぐると回り始めた。
「ぅぐっ、残念ながら見えてるぞ……」
「ねぇソルーノ、どうして[潜在能力]をコントロールしたいの?」
ユーリットは意を決して訊ねる。すると、ソルーノは目に涙を溜めながら嘆いた。
「あのね。朝顔を洗う時ね、鏡に映った僕のせいで幻覚が見えちゃうの!」
ノレインとユーリットは数秒間停止し、同時に笑い出した。ソルーノに両手でぽかぽかと叩きつけられるが、笑いは止まらない。
「ふたりともひどいよぉ~!」
「ぬはは……す、すまない。何か、意外過ぎてな……」
笑いのツボにはまってしまい、涙が出てくる。目元を拭いながら堪えていると、ソルーノは寂しげにノレインを見上げた。
「ルインも[潜在能力]のコントロール、できてないの?」
ノレインの表情が凍りつく。今まで忘れていた不安が、また一気に蘇ってきた。
「あぁ。むしろ、コントロール以前の問題だ。どうやって発動するかも分からない」
ユーリットとソルーノは、沈んだ表情になる。すると、ノレインはソルーノにいきなり抱きつかれた。
「わッ⁉」
「ルイン、つらい時はつらいって言っていいんだよ? ルインが悲しい気持ちだと、僕だって悲しいもん!」
ぐすぐすと鼻を鳴らして泣きじゃくるソルーノは、もはや『紫の魔女』ではない。ノレインはふっと笑みを零し、その癖っ毛を優しく撫でた。
「ソルーノ、ありがとう」
「あっ、笑った」
「え?」
ソルーノは頭を上げ、涙に濡れた顔で無邪気に笑う。
「やっぱりルインは、笑顔がいちばんだね☆」
呆然とするノレインに再度抱きつき、その頬目がけてキスをひとつ。そしてひょいと立ち上がり、ソルーノはウインクを飛ばした。
「大丈夫だよルイン、僕がついてるもん☆」
真っ赤な顔でわなわなと震えるノレイン達を残し、ソルーノは秘密基地から姿を消した。
――
ソルーノが去ってから十分ほど経過した。ノレインとユーリットはこの間何も語らず、寄り添ったまま時間だけが過ぎてゆく。
「ねぇルイン。僕、悩みはないって言ったけど……実は、あるんだ」
ユーリットは俯いたまま、ぽつりと呟く。ノレインは息を飲んだ。彼は悲しみに満ちた表情で、真っ直ぐこちらを見た。
「どうしたらルインが、いつもみたいに笑ってくれるんだろう、って……」
体が震えてしまう。ユーリットを心配する一方で、彼は他ならぬ自分のことを心配していたのか。
ユーリットはぽろぽろと涙を零しながら、ノレインの両腕を取った。
「初めて図書室で話した時から、ルインは、僕の希望だった。あの出会いがなければ僕は……っ、僕は、何にも変わらなかった……感謝してもしきれないくらい、なのに……!」
ユーリットは床を力一杯叩きつける。その叫びは、彼自身への怒りにも聞こえた。
「何でこんな時、ルインを助けてあげられないんだ‼」
ノレインは、自分も泣いていることに気づいた。そして、気づいたのはそれだけではない。
「ユーリ、それは違う!」
ユーリットをぐいっと引き寄せ、抱きしめる。ノレインは自分の気持ちを少しずつ、言葉に出した。
「私にとっても、ユーリは希望だ。一緒に色んなことに挑戦しただろう? それはな、私一人では出来ないことだらけなんだ。ユーリがいるから、私は目標を持てた。ユーリがいてくれるから……、私は、いつだって笑っていられた」
体を離す。ノレインはとびきりの笑顔で、感謝の気持ちを表した。
「今日一日一緒にいて、本当に楽しかったぞ。悩みの存在をすっかり忘れるくらいな」
ユーリットも自分につられ、泣きながら笑顔になる。まるで三年前みたいだ、とノレインはしみじみ思った。
「ソルーノも言ってたけど、ルインは笑顔がすっごく似合うと思う」
突然指摘され、ノレインは思わず顔が赤くなる。ユーリットもまた照れながら、頼もしげに微笑んだ。
「卒業までまだ時間あるでしょ? だったら解決方法、ぎりぎりまで考えようよ」
「そうだな。何だか、答えに辿り着けそうな気がしてきた」
「ふふっ、それに……」
ユーリットは悪戯っぽく笑う。そして勇気づけるように、ノレインの両手を力強く握りしめた。
「ルインなら絶対に大丈夫。僕が、ついてるから」
――
その日の夜。ノレインは昨夜と同じように自室の机に向かい、ノートを開いた。『笑顔』、『希望』。その二言を書き足す。
出会った時からユーリットを導いてきたつもりだったが、助けられていたのも、導かれていたのも、自分の方だったのだ。いや、互いにそうなのかもしれない。
今思うと、様々なことに興味を持ち始めたのは、ユーリットと『親友』になってからだ。彼と共に学ぶうちに、自然と知識が身についていた。
そういえばレントも、『人に何かを教えると、もっと詳しくなれる』と言っていたような。やはりユーリットは、ノレインにとっての『希望』だったのだ。
『家』に帰宅する頃には、ユーリットは昨日とは別人のように明るくなっていた。やはり、笑顔でいた方が気持ちが晴れる。彼が笑う様子を見て、改めて思った。
ノレインはペンを置き、両手で口の端をおもいっきり上げた。昨日までは無理にでも笑顔をつくる、といった気分だったが、今は違う。今の自分なら、心の底から笑える気がした。
「(笑っていると、何だか希望が見える気がするぞ)」
『希望』の道を示してくれたユーリットは、ここにはいない。彼は吹っ切れた様子で『今日はヒビロと一緒に過ごす』と告げた。何かを決意したような、強い目だった。
彼はもう、自分の部屋に来ることはないだろう。
ノレインはふとそう思い、寂しさを感じた。脇にずっと触れていた温もりが、たまらなく恋しくなる。笑顔が消えているのに気づき、ノレインは慌てて口の端をぐいっと上げた。
「(いやいや、私だって前に進まないと。この思い出も忘れなければいいんだ)」
『思い出』は勇気をくれる。ヒビロの言葉を思い出し、ノレインは今日の出来事をノートに書き綴った。
「ん?」
最後の一文を書き終わる直前、ノレインはペンを止めた。ノートを読み返しながら、この三日間で語り合った『家族』を振り返る。一人ひとり挙げる中で気づいた。残りは、四人だ。
思わず部屋の入口に目を向ける。どっしりと構える金属製のドア。そういえば、あの人物とはまだしっかりと会話していない。
「(よし、明日こそ……)」
緊張がこみ上げてくる。しかし、少しだけ安心出来る点があった。今日、そして明日は『変態』の襲撃を恐れなくていい。
壁際の時計を確認する。時刻は午後十一時を過ぎていた。
「(今日はもう寝よう。明日のことは……まぁ、何とかなるだろう)」
ノレインはペンを置き、ノートをそっと閉じた。
何とかなる、と自分に言い聞かせたが、もし明日のチャンスを逃してしまったら。不安がぐるぐると巡り、寝床に着いた後も、緊張が抜け切ることはなかった。
【卒業まで、あと四日】
He gave me smile, and hope
(それは、笑顔の先に見える希望)
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