8章―5
文字数 2,930文字
だが入場しようとした瞬間、アビニアが「毛を出す手品は止めてあげてよ!」と言いたげにこちらを睨んだ。ノレインは慌てて廊下に引っこみ、上着のポケットを探り始めた。
子供達が喜びそうなものは、と考えを巡らせ突然閃く。ノレインは準備を施し、口元に自信と笑みを湛え再度入場した。
「皆さん、大変長らくお待たせしましたッ! では早速、幸せになる手品をご覧いただきましょうッ!」
両手を開き、何もないことを示す。その両手を合わせ、水を掬うような動作をする。それを左手に全て移し、口元に寄せる。そして右手をゆっくり前に出し……
――バチン!
勢い良く指を鳴らす。左手に向けて息を吹きかけると、色とりどりの紙吹雪と煌びやかなラメの粉末が舞い踊った。
子供達はもちろん、『家族』も大歓声を上げる。先程まで泣きそうだったミンと双子は大喜びで、宙に舞う紙吹雪を掴もうと飛び跳ねていた。
「さっすがルイン。手品の腕は衰えていないね」
「うふっ、本当に魔法にかかったみたい♪」
アビニアとソラに褒められ、ノレインは有頂天になって高笑いする。リビングを見回すと『家族』は皆頭に紙吹雪を被り、笑い合っていた。
「はぁー、何か久し振りに癒された感じがするぜ」
「うん。さっきまで怖かったのが嘘みたい」
ヒビロとユーリットの会話が耳に入り、ノレインはほっと息をつく。そこにはもう『恐怖』はない。手品は魔法となり、皆の心を癒したのだ。
その時、ノレインは急にある記憶を思い出した。
『家』を卒業する一週間前。思い悩む自分を救ったのは、他ならぬ『家族』だった。『思い出』、『安らぎ』、『笑顔』、『希望』、『愛』、『夢』。これらを得て初めて、『恐怖』を克服出来たのではないか。
「そうか、……それだッ!」
「パパ、どうしたの?」
皆がこちらを注目する。駆け寄ってきた双子を抱え上げ、ノレインは歓喜の叫び声を上げた。
「ただ『救う』んじゃない。『癒して救う』べきなんだッ!」
皆訝しげに首を傾げているが、ノレインは確信していた。レントと初めて会った時の自分も、一週間前救えなかった少年のように警戒したはずだった。それでもレントの手を取ったのは、荒んだ心が癒されたからなのだ。
慌てて寄ってきたメイラに双子を預け、ノレインは『家族』全員に向かって声を張り上げた。
「私は初めてレント先生に出会った時、急に救われたと思っていた。だが違う。あの少ない会話の中で癒され、『恐怖』を一瞬でも忘れていたからだッ!」
皆思い当たることがあるのか、目を見開いている。『恐怖』を取り除くにはどうしたら良いか。人々を癒すには、何をすれば良いか。考えなくとも分かる。ノレインは床に落ちた紙吹雪を掬い、じっと見つめた。
「その『癒し』の手段として、手品はうってつけだ。だとしたら、私がこれからすべきことは……」
赤と黄色の紙片を眺めるうちに、ある記憶が蘇る。手品を始めるきっかけとなった、同じ色合いの一冊の本。不思議な力を持つ主人公達は手品をこなすように、次々と襲いかかる困難を乗り越えてゆく。
彼らも自分と同じく、心に深い傷を負った人々だった。ノレインはその物語を夢中で読み耽り、彼らの活躍に勇気づけられた。
自分達『家族』もまた、彼らのような[
「『癒して救う』サーカス団‼」
ノレインの叫びと共に、『家族』も大歓声を上げた。
「いいじゃねーか! まったくルインらしいぜ!」
ヒビロに薄い頭をわしわしと撫でられ、ユーリットに抱きつかれる。号泣するニティアや感極まったソルーノも加わり、ノレインは床に押し潰された。
メイラはすかさず、ヒビロだけを狙って蹴り飛ばす。彼女はノレインを助け起こしながら、悩ましげに息をついた。
「サーカスを立ち上げるなら、名前が必要になるわね。何がいいかしら?」
「[Original]はどうかな」
レントの声が即座に返ってくる。彼はノレインの傍に歩み寄り、出会った頃と同じ慈悲深い笑みを向けた。
「遠い昔、『この世界』は一つの大陸、[Original]だった。世界中の孤児達もいつか……ルイン達の[家族]になって、一緒に笑い合えるかもしれないね」
レントは右手を差し出す。ノレインは潤む目元を右腕で拭い、彼の手をがっちり取った。
『夢』を諦めないと決めた以上、覚悟が必要だ。一週間前のように、救えない人々もいるかもしれない。だがメイラは普段通り、「まぁ何とかなるでしょ!」と笑っている。ノレインも彼女につられるように笑い出した。面白おかしく笑い飛ばせば、人々の『恐怖』もきっと吹き飛ぶだろう。
「だったら、俺達全員[Original]の仲間だな」
「えっ、皆もついてくるのか?」
ヒビロは苦しげに咳きこみつつノレインの正面に立つ。彼は威嚇するメイラを両手で牽制しながら、柔らかな笑みを見せた。
「いや、ついては行けねーけど、俺達皆『家族』だろ? 遠く離れていても、心はいつだって傍にいるのさ。なぁ!」
ヒビロの呼びかけに答えるように、『家族』全員が一斉に声を上げる。皆の『夢』は自分の『夢』。かつて自分が語った言葉を思い出し、ノレインは涙を零す。彼らもまた、ノレインの『夢』を応援してくれているのだ。
ノレインは堪えきれなくなり、遂に慟哭する。リビングは再び爆笑の渦に包まれ、この熱狂はしばらく治まりそうもなかった。
――――
こうして結成された[Original]は、後に
ノレインとメイラは仕事を続けながら、デラ、ドリと共に[オリヂナル]の活動を続けてゆく。『家族』も彼らの裏方として、もしくは演者としてサポートし続けた。孤児の救済には至らぬものの、陽気なサーカスを気ままに開催する彼らを見て、癒される人々は多かったという。
銀色のキャンピングカーでミルド島を巡るうちに、いつからか、[オリヂナル]は『愛と希望を運ぶサーカス』と称されるようになった。
そして数年後。ノレイン達一家は偶然出会った孤児の兄妹を、新しい[家族]に迎え入れる。更に翌年ヒビロの『夢』が達成し、[オリヂナル]は遂に各地の[島]を巡れるようになるのだ。
[オリヂナル]は活動の拠点を、治安の悪いカルク島に移す。その先で新たな[家族]と出会うことになるのだが、今後の人生を左右するような困難が山ほど待ち受けているとは。その当時の彼らはまだ、知る由もない。
ノレイン達にとって『家』での生活こそが、『始まり』のための序曲だったのだろう。そして、人生の本番が始まったのは卒業時ではない。[オリヂナル]結成と共に、それぞれの物語が幕を開けたのだ。
Overture for “The start”
(『始まり』のための序曲)
(完)
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