4章―2
文字数 3,323文字
ノレインも立ち上がり、様子を見に近づく。床に三冊の分厚い本が落ちており、ユーリットはそれを拾い表紙を慌てて手で払う。ノレインがこの部屋に倒れた時に聞こえた物音は、どうやらこれらの本が落ちた音のようだ。
「その本は……?」
指差しで訊ねると、ユーリットは恥ずかしそうにテーブルに置いたその本を開く。そこには、様々な種類の植物の写真が載せられていた。
「へぇ……植物図鑑か!」
「ここに来た時、こんなにいっぱいの植物を見たの、初めてで……レント先生が、もっと色んな植物がのっている本があるって言ってたから、毎日来てるの」
ユーリットは、はにかみながら楽しそうに語る。それを見て、ノレインは思わず呟いた。
「ユーリは植物が本当に好きなんだな」
その問いかけに、おずおずと頷く。ふと、ノレインの頭の中に疑問が浮かんだ。
「毎日来てるって……こんな夜中に、一人で?」
「うん……みんなの前だと、まだ、怖くて……」
ユーリットは急に悲しげな表情になり、下を向く。灯りのない真っ暗な廊下を一人きりで歩く方が怖いのでは、と思ったが、彼の場合『人』の方が怖いのだろう。「確かに昼間だと『変態』も出るからな」と考えていたノレインはハッと我に返り頭を横に振る。
「僕、普通じゃないんだ」
ユーリットはノレインの傍から一歩下がる。話すのをためらっているように見えたが、喉を鳴らし、震える声で語り出す。
「気づいた時から、全身の『感覚』が鋭くて……大きな音にびっくりしたり、日の光に目がくらんだり、少しの匂いにも気持ち悪くなったり……だから、ずっと周りから馬鹿にされたり、いじめられてきたんだ」
ノレインは彼の体験談に、言葉を失う。
「レント先生に助けてもらってうれしかった。みんなが笑顔で迎えてくれたのも、うれしかった……でも」
ユーリットは、涙を零しながら呻いた。
「またいじめられたら……って思うと、怖くて仕方がないんだ……!」
「そんなことはないッ‼」
ノレインは駆け寄り、ユーリットを力一杯抱きしめた。体が触れた瞬間大きく跳ね上がったものの、段々と、体の震えが治まってくるのを感じた。ノレインは涙声になりながら、力強く言い聞かせる。
「ここにはユーリをいじめるような人なんて絶対にいない。人よりちょっと感覚が鋭いくらいいいじゃないか、もっとすごい個性がある人ばっかりいるから、胸を張っていればいいんだッ!」
抱きしめたまま、ノレインは涙が止まらなくなる。何も言わず、しばらくこの状態でいると、ユーリットがぽつりと呟いた。
「……レント先生も、こうやって抱きしめてくれたんだ」
ノレインは体を離し、ユーリットと向き合う。彼もまた、泣いていた。
「ありがとう……僕、ルインのそばなら、怖くないみたい」
ユーリットは泣きながら、笑顔になった。ノレインもつられるように笑うと、もう一度、ユーリットを抱きしめた。
――――
その後ノレインはレントの自室までユーリットを送って行った。出迎えてくれたレントのとびきり嬉しそうな様子は、三年経った今でも忘れられない。
レントはユーリットに、その日からノレインの部屋で暮らすことを提案した。早く他の生徒達に慣れてもらうように、また、二人にもっと仲良くなってもらうように。
この提案を快諾した二人は、それから三ヶ月余り一緒に過ごすことになる。授業が終わった後の自由時間も、夜寝る時も、ユーリットはノレインの傍にぴったり寄り添っていた。
ノレインはレントと共にユーリットに文字の読み書きを教え続けた。意欲があったからか、習得するまでさほど時間はかからず、ユーリットはノレインに紹介された小説を読破することが出来たのだ。
そんな彼は二ヶ月経っても相変わらず他の生徒達に対して怯えていたものの、少しずつ、解消されていった。
まず口数が少なく激しい行動を起こさないニティアが接触に成功した。引き続いてリベラとも仲良くなり、リベラの親友であるメイラとも普通に接することが出来た。
日を追う毎に他の生徒達とも仲良くなったが、ヒビロにだけは、最後まで警戒していた。
今思うと彼の持つ[潜在能力]の[第六感]が、警告していたからなのか。ヒビロを前にしても怯えがなくなるのを見計らってから個室に移ったのだが、ノレインはどうしようもなく不安になり、その日の夜にユーリットの部屋を訪れた。
しかし、既に手遅れだった。ノレインはヒビロに対して激怒したが、襲われた本人からは怖がる様子は全く見えない。後から知ったのだが、ユーリットはこの時から、ヒビロに恋をしてしまったのだった。
「本当に、あの時はすまなかった。私がもうちょっと早く行っていれば……」
「ううん、ルインは悪くないよ。遅かれ早かれこうなっていたんだから」
二人は秘密基地のバルコニーの柵に腰かけ、出会った当初の話をしていた。散歩に出かけた先で秘密基地に寄り、休憩してから『家』に帰るのが決まったパターンだ。今日なら『変態』が押しかけてくる心配はなさそうだ。
「ねぇ、ルイン……またくっついていい?」
「? ……あぁ」
ユーリットは再度、ノレインにぴったりと寄り添った。これで今日何度目だろう。こんなに長い時間密着したのは三年前以来のことで、ノレインはいよいよ心配になってきた。
「(本当に、悩みがないんだろうか……?)」
すると、床の真下で何やら物音がした。二人が疑問に思う暇もなく、その物音はどんどんこちらに向かって近づいてくる。
「あっ、誰かいると思ったらルインとユーリだ☆」
紫色の天然パーマがひょこりと、入口から頭を出す。それが目に入った瞬間、ノレインとユーリットは一気に戦慄する。
その人物はぴょんとジャンプして秘密基地に侵入した。白のワイシャツと白のズボン、対照的に浮かび上がる真っ黒な瞳。可愛らしい容姿を持つこの人物は、体を揺らしながら二人に近寄る。
「こんなところで何やってるの? 僕もまぜてまぜて☆」
二人は後退るが、背中は既にバルコニーの柵に当たっている。逃げ道はない。一見すると少女に見えるこの人物は男であり、しかもあのヒビロに続く『変態』なのだ。このままだと、二人揃って餌食になってしまう。
その時、ノレインはあることを思いついた。
「ソルーノ、待った!」
ソルーノ、と呼ばれた少年は、ぴたりと立ち止まる。
「なぁに?」
「皆に[潜在能力]のコントロール方法を聞いて回ってるんだ。今ちょうどユーリからアドバイスをもらっていたところだ、是非君の意見も聞きたい!」
ノレインは泣きそうな顔でユーリットに目配せする。ユーリットは察したのか、頭を勢い良く縦に振った。
「うふふ、いいよ☆」
ソルーノは二人の前にぱたぱたと駆け寄り、座りこんだ。にこにこと無邪気に笑う彼に、二人はそっと安堵の息を漏らした。
中性的な容姿を持つ少年、ソルーノ・ウェイビアは、ユーリットより二ヶ月前にやってきた生徒だった。彼はノレインより五つ年下の十三歳だが、三年経った今でも中身は十歳の少年のまま変わらない。
レントに連れられて『家』にやって来た時から、無邪気で得体の知れない雰囲気を持っていた。というのも、ここに来る前は『紫の魔女』と称される娼夫だったという。
彼の素性を知った生徒達は皆、どのように接したら良いか迷った。しかし、当の本人は『きもちいいから続けていただけ、しごとがなくなったら死んでもいいかなって思ってたんだ☆』と、にこにこ笑っていた。
そんなソルーノは、しばらくはヒビロのところに入り浸っていたのだが、ある日突然、ニティアが襲われる事件が起きた。余り日が経たないうちにノレインも被害に遭い、それ以来、ソルーノはヒビロに次ぐ『変態』として恐れられる存在になったのだ。
ノレインとユーリットは『紫の魔女』を前にし、中々発言出来ずにいた。普段の彼は人懐こく可愛げのある弟分なのだが、戦闘モードになると雰囲気ががらりと変わる。今はまさに、それなのだ。
しかも今いる場所は誰の助けもない秘密基地の中。もし発言を誤ると、おそらく、無傷では済まないだろう。
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