十七 木村
文字数 2,721文字
五月二十八日、月曜、午後。
田村の家の居間で、電気店の木村は黙って二杯目のお茶を飲んだ。相向かいに座っている田村も何も言わない。明美は黙って二人のお茶をいれかえて座卓に置いた。
ようやく木村が口を開いた。額に汗がにじみ声がふるえている。
「ノリコが店の者たちと、天野の葬儀をやると言ってる。
天野の実家と元妻に話をつけに行くつもりだ。
田村君。いっしょに来てくれないか?」
「いいですけど、どうしたんですか?ノリコさんと木村さんが行くんでしょう?」
「そのつもりだが、俺、元妻、苦手なんだよ。
すっげー気が強くって、高飛車で・・・」
木村のイガクリ頭に汗が噴きだし、肥満気味な節くれだった手に持ったタオルで、困ったように拭いている。
「今から緊張しなくていいですよ。元妻だって承諾するでしょう。
お骨はノリコさんがあずかるんでしょう?」
田村は内縁の妻のセツコから、天野四郎は元妻とは疎遠だと聞いている。今さら元妻が天野四郎を引き取るとは思えない。
「そうなんだ。ノリコの実家も承知してるらしい」
木村の表情がなんとなく和らいでいる。
「そしたら問題ないでしょう」
木村は何を気にしているんだろう、こまったものだ、と田村は思った。
「それがあるんだよ」
木村がこまった顔に変った。
「どうしたんですか?」
「店は三軒とも天野の所有だ・・・」
「それで揉めるっていうんですか?」
「ああ、揉める・・・」
何が起こるか、木村は今から想像している。
田村はおちついて言う。
「素人には水商売は無理だ。元妻に経営はできないでしょう。
実子を産んだノリコさんだ。子どものために、天野さんから一筆とってあるでしょうね。
元妻とノリコさんに訊いてみましょうよ」
尾田ノリコは天野四郎と見せかけの結婚披露宴を行い、その後、天野四郎と離婚したことにして出産し、天野四郎に実子を認知させている。天野四郎は、尾田ノリコは未婚の母だとほのめかしていた。
天野四郎が尾田ノリコに一戸建てを与えて炉端焼き・里子を切り盛りさせたのには何か訳がある。したたかな尾田ノリコのことだ。何かしらの手は打っているはずだ。
「わかったよ・・・」
木村はジャンパーのポケットから携帯を出して尾田ノリコへ連絡した。携帯を当てた耳の上のイガクリ頭に汗が浮いている。田村が見たこともないくらい木村は緊張している。よほど天野の元妻が苦手らしい。
通話が繋がる前に木村は気づいて携帯をスピーカーモードに設定した。
「木村さん。どうだった?」
携帯からノリコの声が響いた。
「ああ、ノリちゃん。田村君がいっしょに交渉してくれるって言ってるから安心してくれ。
それと教えてくれ。天野から遺言状を受けとってるか?」
「弁護士立ち合いで書いてもらったよ。子どもの生活がかかってるからね」
ノリコは法定相続分を考えている様子だった。木村もそのことを理解しているらしい。
「田村です。元妻と揉めないように、弁護士立ち合いで話しあった方がいいですよ。
弁護士の都合がつきますか?」
「わかった。すぐに連絡するわ」
「都合がついたら連絡してくれよ」
「はあい」
とノリコの声がして、木村は通話を切った。
「弁護士が立ち会うなら、俺の出番はないですね」
「そうなるな。ありがとうよ、田村君。
天野のことで頭がいっぱいで、いろんなことを、なかなか思いつかないんだよ」
木村はタオルで頭の汗を拭いた。
「わかりますよ。
ところで木村さん。天野さんはどこに居たんですか?」
田村は木村がおちつくのを待って訊いた。
「二十日まで俺の家に二日居た。その後、行方がわからなくなったんで、セッちゃんへ連絡したら、セッちゃんとこへも行ってなかった・・・・」
「天野さんの知り合いに、薬剤師がいましたか?」
「天野が飲んでた薬のことか?
天野は車を売ってたから、顔見知りは多かったはずだ。
薬局にも車を売ってたから、薬剤師も知ってると思う・・・」
木村は、車を販売していた天野四郎の顧客を考えている。
「天野さんの関係に、薬剤師はいないんですか?」
「セッちゃんの兄が薬の関係のようなことを聞いたことがあるな」
思いだしたように木村がそう言った。
「薬剤師ですか?」
「そうだと思う。製薬会社の営業かな・・・。
まさか、セッちゃんの兄貴が関係してるってんじゃないよな?」
「わかりません」
田村はそう言った。
二人の話を聞いて、明美は、セツコの兄にも天野殺害の動機はあると思った。
小畑セツコが天野四郎と知り合ったのは、セツコが天野の勤める会社に転勤した頃だ。それから十年近くがすぎている。その間、セツコは、元妻の存在も、愛人の存在も、店の経営もいっさい知らなかった。天野四郎が周囲に口止めし、セツコに実状を伝えないようにしていたからだ・・・。私は省吾から、省吾がはじめて天野四郎の自宅へ行ったときにセツコが語ったことを聞いている。セツコは天野四郎を恨んでいないだろうか・・・
元妻みどりと、元愛人ノリコも動機はある。実子が店を相続すれば店の経営権が手に入る。経営に口出しできる・・・。
天野が元妻と行動をともにしていたことも考えられるが、誰もそのことを口にしていない。もし、元妻と行動をともにしていれば、元妻がもっとも怪しくなる・・・。
「元妻は何の仕事をしてるの?」
明美はポツリと言った。
「ああっ、忘れてた。薬局へ務めてた。薬局の事務だ。
薬剤師と再婚したんだが、離婚した。今は独りのはずだ・・・」
そう答える木村は口を開けたまま、何かを考えている。
「そしたら、遺言状の話のついでに、元妻に、それとなく天野さんが元妻の所へ行っていたか、聞いてください」
「天野が元妻のとこに行ってれば、みどりが怪しくなるのか・・・」
木村はどうやって聞き出すか考えこんでいる。
「くれぐれも遺言状の話をしてください。その他はそれとなく聞くしかありません。
警察も天野さんの行動を捜査するから、いずれは事実がわかるはずです」
「やっぱり、田村君も同席してくれ」
「日程調節しましょう。家庭教師があるから、俺が時間をとれるのは・・・・」
田村が説明している間に木村の携帯が鳴った。
木村への連絡はノリコではなく木村の妻からだった。
「飛田という新聞記者が天野の足取りを取材に来て・・・」
通話を切った木村は、そう言った。
「佐介さんが来たんだ・・・」
「知り合いか?」
木村が驚いている。
「高校のOBです。信頼できる人だよ。俺らが天野さんの足取りを探すより、佐介さんに頼んだ方がいいかもしれない」
「頼んでくれるか。連絡先を聞いてるから」
「わかりました。連絡してください」
「わかった・・・」
木村は佐介の携帯へ連絡した。
田村の家の居間で、電気店の木村は黙って二杯目のお茶を飲んだ。相向かいに座っている田村も何も言わない。明美は黙って二人のお茶をいれかえて座卓に置いた。
ようやく木村が口を開いた。額に汗がにじみ声がふるえている。
「ノリコが店の者たちと、天野の葬儀をやると言ってる。
天野の実家と元妻に話をつけに行くつもりだ。
田村君。いっしょに来てくれないか?」
「いいですけど、どうしたんですか?ノリコさんと木村さんが行くんでしょう?」
「そのつもりだが、俺、元妻、苦手なんだよ。
すっげー気が強くって、高飛車で・・・」
木村のイガクリ頭に汗が噴きだし、肥満気味な節くれだった手に持ったタオルで、困ったように拭いている。
「今から緊張しなくていいですよ。元妻だって承諾するでしょう。
お骨はノリコさんがあずかるんでしょう?」
田村は内縁の妻のセツコから、天野四郎は元妻とは疎遠だと聞いている。今さら元妻が天野四郎を引き取るとは思えない。
「そうなんだ。ノリコの実家も承知してるらしい」
木村の表情がなんとなく和らいでいる。
「そしたら問題ないでしょう」
木村は何を気にしているんだろう、こまったものだ、と田村は思った。
「それがあるんだよ」
木村がこまった顔に変った。
「どうしたんですか?」
「店は三軒とも天野の所有だ・・・」
「それで揉めるっていうんですか?」
「ああ、揉める・・・」
何が起こるか、木村は今から想像している。
田村はおちついて言う。
「素人には水商売は無理だ。元妻に経営はできないでしょう。
実子を産んだノリコさんだ。子どものために、天野さんから一筆とってあるでしょうね。
元妻とノリコさんに訊いてみましょうよ」
尾田ノリコは天野四郎と見せかけの結婚披露宴を行い、その後、天野四郎と離婚したことにして出産し、天野四郎に実子を認知させている。天野四郎は、尾田ノリコは未婚の母だとほのめかしていた。
天野四郎が尾田ノリコに一戸建てを与えて炉端焼き・里子を切り盛りさせたのには何か訳がある。したたかな尾田ノリコのことだ。何かしらの手は打っているはずだ。
「わかったよ・・・」
木村はジャンパーのポケットから携帯を出して尾田ノリコへ連絡した。携帯を当てた耳の上のイガクリ頭に汗が浮いている。田村が見たこともないくらい木村は緊張している。よほど天野の元妻が苦手らしい。
通話が繋がる前に木村は気づいて携帯をスピーカーモードに設定した。
「木村さん。どうだった?」
携帯からノリコの声が響いた。
「ああ、ノリちゃん。田村君がいっしょに交渉してくれるって言ってるから安心してくれ。
それと教えてくれ。天野から遺言状を受けとってるか?」
「弁護士立ち合いで書いてもらったよ。子どもの生活がかかってるからね」
ノリコは法定相続分を考えている様子だった。木村もそのことを理解しているらしい。
「田村です。元妻と揉めないように、弁護士立ち合いで話しあった方がいいですよ。
弁護士の都合がつきますか?」
「わかった。すぐに連絡するわ」
「都合がついたら連絡してくれよ」
「はあい」
とノリコの声がして、木村は通話を切った。
「弁護士が立ち会うなら、俺の出番はないですね」
「そうなるな。ありがとうよ、田村君。
天野のことで頭がいっぱいで、いろんなことを、なかなか思いつかないんだよ」
木村はタオルで頭の汗を拭いた。
「わかりますよ。
ところで木村さん。天野さんはどこに居たんですか?」
田村は木村がおちつくのを待って訊いた。
「二十日まで俺の家に二日居た。その後、行方がわからなくなったんで、セッちゃんへ連絡したら、セッちゃんとこへも行ってなかった・・・・」
「天野さんの知り合いに、薬剤師がいましたか?」
「天野が飲んでた薬のことか?
天野は車を売ってたから、顔見知りは多かったはずだ。
薬局にも車を売ってたから、薬剤師も知ってると思う・・・」
木村は、車を販売していた天野四郎の顧客を考えている。
「天野さんの関係に、薬剤師はいないんですか?」
「セッちゃんの兄が薬の関係のようなことを聞いたことがあるな」
思いだしたように木村がそう言った。
「薬剤師ですか?」
「そうだと思う。製薬会社の営業かな・・・。
まさか、セッちゃんの兄貴が関係してるってんじゃないよな?」
「わかりません」
田村はそう言った。
二人の話を聞いて、明美は、セツコの兄にも天野殺害の動機はあると思った。
小畑セツコが天野四郎と知り合ったのは、セツコが天野の勤める会社に転勤した頃だ。それから十年近くがすぎている。その間、セツコは、元妻の存在も、愛人の存在も、店の経営もいっさい知らなかった。天野四郎が周囲に口止めし、セツコに実状を伝えないようにしていたからだ・・・。私は省吾から、省吾がはじめて天野四郎の自宅へ行ったときにセツコが語ったことを聞いている。セツコは天野四郎を恨んでいないだろうか・・・
元妻みどりと、元愛人ノリコも動機はある。実子が店を相続すれば店の経営権が手に入る。経営に口出しできる・・・。
天野が元妻と行動をともにしていたことも考えられるが、誰もそのことを口にしていない。もし、元妻と行動をともにしていれば、元妻がもっとも怪しくなる・・・。
「元妻は何の仕事をしてるの?」
明美はポツリと言った。
「ああっ、忘れてた。薬局へ務めてた。薬局の事務だ。
薬剤師と再婚したんだが、離婚した。今は独りのはずだ・・・」
そう答える木村は口を開けたまま、何かを考えている。
「そしたら、遺言状の話のついでに、元妻に、それとなく天野さんが元妻の所へ行っていたか、聞いてください」
「天野が元妻のとこに行ってれば、みどりが怪しくなるのか・・・」
木村はどうやって聞き出すか考えこんでいる。
「くれぐれも遺言状の話をしてください。その他はそれとなく聞くしかありません。
警察も天野さんの行動を捜査するから、いずれは事実がわかるはずです」
「やっぱり、田村君も同席してくれ」
「日程調節しましょう。家庭教師があるから、俺が時間をとれるのは・・・・」
田村が説明している間に木村の携帯が鳴った。
木村への連絡はノリコではなく木村の妻からだった。
「飛田という新聞記者が天野の足取りを取材に来て・・・」
通話を切った木村は、そう言った。
「佐介さんが来たんだ・・・」
「知り合いか?」
木村が驚いている。
「高校のOBです。信頼できる人だよ。俺らが天野さんの足取りを探すより、佐介さんに頼んだ方がいいかもしれない」
「頼んでくれるか。連絡先を聞いてるから」
「わかりました。連絡してください」
「わかった・・・」
木村は佐介の携帯へ連絡した。