二十四 容疑者

文字数 3,215文字

 居間に座った佐介はこれまでの経緯を話し、その場を笑いの渦に巻きこんだ。
 佐介の説明で、明美はこれまでの疑問から解放され、安心して新たに三人分のお茶をいれて座卓に置いた。佐介は質問をつづけた。
「青山和志から、天野四郎のことを聞いたことはなかったか?」 
「聞いたことないです。青山和志は他人と関わらないようにしてるみたいです」
 と田村。
「学生間の付き合いがないのか?」
「青山和志はそうです。俺やこの戸田は炉端焼き・里子へちょくちょく顔を出したメンバーだから天野さんを知ってる。青山和志は知らないと思います」
「田村は、ブルーマウンテンのブルマン・青山和宣を知ってるだろう」
「もしかして・・・」
 田村の顔色が変った。
「そうだ。青山和志は、ブルマン・青山和宣の弟だ。
 青山和志が筋弛緩剤を作った可能性はないか?」
「僕と田村があの薬の実験をしてるとき、青山も捕捉実験だとかなんとか言って実験してた。作るとすればあの時だ・・・」
 戸田が思いだしたようにそう言った。青山和志は存在感の薄い人物らしい。
「実験材料は厳重に管理されてるんだろう?」
 生成物はそうかんたんに持ちだせないはずだと佐介は思った。

 戸田雄一が説明する。
「管理は質量確認だけです。成分まで確認してたら費用がかかるから・・・」
「すりかえ可能か?」
「似たような成分の物なら、気づかれない可能性があります」
 田村は本棚の上から箱を取って開け、空のガラスビンを取りだして座卓に置き、テレビ台の下のビタミン剤が入っているビンを座卓に置いた。
 さらに、ジャケットの内ポケットからピルケースを取りだして、中の錠剤を取りだした。
「この錠剤は俺に処方された筋弛緩剤です・・・」
 田村はピルケースの錠剤を空のビンに入れた。
「この薬がこの空のビンに入っていても、ビタミン剤のビンの中身と区別がつきません。強いて言えば、錠剤の形状の違いくらいです・・・・」
 二つのビンを並べて田村はそう言った。
「容器ごと質量鑑定するのか?」と佐介。
「係官によってちがいます。実験材料の質量と生成物の質量がわかればいいんです」
 青山和志が薬を作っていれば、持ち出した可能性は大いにあるが、青山和志が薬を作った確証はない。

「今、ブルーマウンテンは誰が経営してる?」
 ブルーマウンテンについて木村から聞いていたが、佐介は田村に訊いた。
「閉店したままです。それで天野さんは三軒の店だけを経営することになったとノリコさんが話してました」
 佐介の話で、真理の顔色が変った。
「ノリコさんは、他の人にもその話をしてたんか?」
「ノリコさんが話すとき、客は僕らだけでした。僕らの中に地元の人はいなかったから話したんだと思います。田村をのぞけば、飲みに行ってた仲間は、みな、他の県の出身です」
 戸田がそう言った。田村の実家は佐介と同じD市にある。尾田ノリコの実家もD市だが、田村と佐介の実家からはずいぶん離れている。
「もし、ノリコさんが青山和志と戸田君をかんちがいすれば、ブルーマウンテンのことを青山和志に話した可能性はあるべ・・・」
 もしそうなら、天野四郎に対する青山和志の恨みの火に、ノリコが油を注いだことになる・・・。。
「携帯の番号を聞いてるから、ノリコさんに訊いてみますか?今夜は天野さんの通夜だと言ってました」
 何か気づいたように田村がそう言った。

 本来、天野四郎の通夜は昨日だった。警察の対応や三軒の店を休店することなどが重なり、通夜は今夜になっていた。尾田ノリコは田村に、天野四郎の通夜は身内だけでひっそり行いたいと話していた。

「通夜はどこでする?」
 尾田ノリコの実家には人手が多い。通夜はノリコの実家で行うのだろうと佐介は思った。
「訊いてみます・・・」
 田村は携帯をスピーカーモードにしてノリコに連絡した。
「ああ、田村です・・・」
「あ、田村君、忙しいのにありがとうね。アンタが忙しいから、戸田君が、田村君から通夜を手伝うように言われたと連絡してきたわ」
「戸田はここにいますよ。それでどうしたんですか?」
「ここの住所、教えたわ。どういうこと?」
「誰かが戸田になりすまして電話したんだ!」

 ただちに佐介はR署に連絡し、経緯を話して尾田ノリコの保護を依頼した。
「わかりました。すぐ、刑事を保護に出動させます。青山和志の容貌はこっちで確認してます。結果を連絡します」
 野本刑事は機敏にそう答えて通話を切った。

 すぐさま、佐介は田村に代ってノリコに話した。
「ノリコさん、飛田です。
 戸田と名乗る男がそっちへ行ったら、何人かで見張って、決して一人にならないようにしてください。
 その男は天野さん殺害の容疑者の可能性があります。何か薬を飲ませようとするはずだから、男が現れたら、みなさん、何も口に入れないようにしてください。
 かほるさんもいるんですね。みなさんにそのことを話してください」
「わかりました。私の仲間がたくさんいるから、安心してください」
 ノリコの仲間はかつての暴走族だ。
「気をつけてくださいね」
「はい、田村君によろしく伝えてください」
 通話が切れた。

「刑事たちがノリコさんたちの保護にむかった。まかせるしかない・・・」
 佐介たちはR署からの連絡を待った。
 D市の尾田ノリコの実家は民家がまばらな村部にある。近年、住宅化が進み、年々隣家との距離が狭くなっているが、夜間、尾田ノリコの実家を見張るのに、実家から離れた農道や路地に車両を停止してライトを消しても、恋人たちが夜間のひとときを楽しんでいると思われる程度で、燐家から気づかれることはない。

 午後十時近く。
 尾田ノリコの実家を囲んで農道や路地のあちこちに一般車を模した警察車両が停まった。内部から暗視双眼鏡が尾田ノリコの実家周辺に監視の目を光らせている。
 尾田ノリコの実家の駐車場は広い。天野四郎の通夜に訪れた車が十数台停車している。先祖は豪農だったのだろうと葉山刑事は思った。
「葉山だ。車両から出るな。ノリコの家に近づく車両は全て記録連絡しろ。暗視双眼鏡から目を離すな」
 葉山刑事は監視している刑事たちへ無線で伝えた。
「本山、了解」
「内田、了解しました」
「間宮、了解」
 監視車両の刑事たちからそう返信の無線が入った。

 監視車両は四台だ。それぞれ尾田ノリコの実家へ通じる道路を監視している。これらの道路を通らないかぎり、実家へは行けない。
「セダンが一台、来た。乗員は中年の男女」
 本山刑事から無線連絡が来た。
「問題ないな?」と葉山刑事。
「髪が薄いから、問題ありません」と本山刑事。
「そのまま通せ」
「了解」
 まもなく、葉山刑事の双眼鏡に、白のセダンが停車するのが見えた。駐車場に停止したセダンから、中年の男女が降りて、玄関へ歩いている。玄関の引き戸が開き、尾田ノリコが二人を出迎え、家へ招いていた。二人はノリコにうながされ家へ入った。
 その夜、実家を訪れた車両は四台だった。いずれもノリコの親戚筋と思われる中年の男女ばかりで、若者はいなかった。
「来ませんね・・・」
 葉山刑事とともにいる刑事がつぶやいた。
「全員に伝える。夜明けまで監視し、それ以後、撤収する」
 葉山刑事はそう無線で伝えた。
 葉山刑事たちは夜明けまで尾田ノリコの実家を監視したが、戸田を騙った男は尾田ノリコの実家に現れなかった。

 五月三十日。水曜、早朝。
 佐介の携帯に野本刑事から連絡が入った。
「朝早くにすまない。男は現れなかった。
 警察車両が現れたのを警戒して、離れた所から、ノリコの実家を見ていた可能性もある。あるいは、戸田を騙った男が存在しなかった可能性もある。
 一応、連絡しときます。なお、オフレコですよ」
「わかりました。ありがとうございました。
 青山和志を事情聴取してください。そうすれば・・・」
 佐介は思っていることを話して通話を切った。これで容疑者が絞られたと野本刑事が思っているのを感じた。
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