十四 薬物合成

文字数 1,397文字

 五月二十八日、月曜、正午。
 明美は休日で自宅にいた。もうすぐ田村が昼食で帰宅する。座卓に昼食を用意して壁の時計を見た。正午まで十分ほどあった。
 壁の時計を見たあとで壁際にある本棚の上が気になった。見慣れない箱がある。壁にぴったりくっついていて明美が手を伸ばしてもとどきそうにない。
 明美は机の椅子を本棚に寄せて椅子に乗り、箱を目の前に引き寄せた。箱は木製で鍵がかかっている。そっと振るとゴトゴト音がする。中にガラスビンが入っている気がする。
 机の鉛筆立てからペンライトを取って鍵穴を照らしてのぞいてみた。ガラスの小ビンの中に白い錠剤らしい物が見えた。と同時に玄関のドアの開く音がして、
「ただいま!」
 田村が帰った。明美はあわてて箱を元の位置にもどして椅子から降りた。

 帰宅した田村はジャケットを脱いでキッチンテーブルの椅子にかけ、洗面所で手を洗ってうがいと洗面をして居間に入った。座卓にむかっている明美の横に膝をつき、明美を抱きしめて唇を重ねた。いつもの田村だった。
「ネエ、本棚の上に白い箱があるけど、あれ、何なの?」
「見つかったな・・・」 
 省吾は立ち上がった。本棚の上へ手を伸ばして箱を取った。机の引出しから鍵を取りだし、箱を開けてガラスの小ビンを取りだした。中に白い錠剤が入っている。
「実は、大学で薬を作ったんだ。ないしょだよ」
 田村は明美にほほえんでいる。
「覚醒剤なの?」
 明美の口からそんな言葉が出た。何でも試したい好奇心の塊のような省吾だ。そんな薬を作るかもしれない・・・。
「筋弛緩剤だ。自分で飲むために作った」
 癖を見抜かれたことに気づき、田村は照れくさそうに笑って説明した。
 田村はM大理工学部の合成科学科に籍を置いている。たまたま調べた製薬会社のサイトに筋弛緩剤の化学式とその製法が載っていた。そのページをコピーすると同時に、ページが消えたという。その後、調べた結果、化学式はまちがいなく田村が服用している薬と同じだった。

 明美は不安になった。
「そんな薬を飲んだら危険だよ。不純物が入っているかも知れない」
 明美はじっと田村を見つめるが、田村は気にする様子がない。
「だいじょうぶだ。精製して結晶化した。心配ないよ。ガスクロで病院で処方された薬と比較した。作った物の方が純度が高かった」
 田村が自信たっぷりなのが明美はわかった。
「でも、飲んじゃだめだよ。法律違反だよ」
 妙な薬を飲ませるわけにはゆかない。
「わかった。飲まないよ。だけど、非常の場合に備えてとっておくよ」
 省吾は小ビンを箱に入れ、本棚の上へもどした。
「うん・・・。誰かにあげてないの?」
 省吾はどうして私の心配を気にしないのか・・・。省吾の目的は本当に自分の怪我の後遺症だけだろうか・・・。もし天野四郎が省吾の薬を飲んでいれば、事故死した可能性があるかもしれない・・・。
「明美は、天野さんのことを考えてるんだろう?」
 田村が明美を見ている。明美は田村の目が何か探る目に変った気がした。
「うん・・・」
 ついに本音を言ってしまったと明美は思った。
「ばーか。そんなことするはずないだろ。飲んだ人に何かあれば大変だ。薬を作ったのがバレル」
 田村が明美の額を人差指で優しくつついた。やっぱりいつもの優しい省吾だ・・・。
「さあ、ご飯にしよう。午後の授業が休講になった。今日は家に居る」
 箸を握った田村は笑顔で明美を見ている。
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