十二 身元確認

文字数 1,588文字

 五月二十八日、月曜、午前。
「天野四郎です・・・」
 検死用に準備された総合病院の特別処置室で、ノリコとかほるは遺体が天野四郎だと確認した。
「では、こちらへ・・・」
 ノリコとかほるは担当官に導かれて部屋を出た。
「しばらくお待ちください。すぐもどります・・・」
 担当官は廊下の長椅子を示し、その場を去った。

「まったく、さんざん引っかきまわして、あのバカ、かってに死んじまった。
 残された私たちはいったいどうすんだよ・・・」
 担当官の後ろ姿を目で追いながら、かほるの手前、ノリコは故人の天野四郎に悪態をついた。
 これで炉端焼き・里子の経営権は私の物だ。すでに弁護士立ち合いで天野から遺言状をとりつけてある。かほるは今のままルナにいてもらおう。スナック・スターゲートのユミには辞めてもらい、誰か雇えばいい。仲間に気の利いたヤツが何人かいる。なんとかなるだろう・・・。ノリコはそう思いながら、廊下の長椅子に腰をおろした。
 最近、尻に贅肉がついてずいぶん歩きにくい。すぐに疲れる気がする。これもあのバカのせいだ・・・。

「アタシ、どうしよう・・・」
 かほるも長椅子に座りこんで途方にくれている。無理もない。かほるはずっと天野四郎に頼りきりだった。子どもや守る者がいない独身女はこんなものだ。ノリコは暴走族を仕切る前の自分を思った。
「とりあえずルナの支配人をつづけな・・・」
 ノリコは優しく言った。
「シロちゃん、いないんだよ・・・」
 かほるが涙ぐんでいる。

 ノリコは、スナック・ルナを切り盛りするかほるを思った。
 私に言われ、かほると手を切ると言った天野は、炉端焼き・里子にいたかほるを、スナック・ルナの店長にして、ルナのユミをスターゲートの店長にした。ユミとは手を切ったのに、私からかほるを遠ざけただけで、かほると手を切らなかった。かほると手を切れなかったのではなく、天野はかほるを見捨てられなかったような気がした。
「シロがいなくったって、いつも仕入れから会計までやってたんだろ?」
「うん・・・」
 かほるはうつむいたまま答えた。目に涙があふれ、一粒の大きなしずくとなって膝のバッグにこぼれた。
「だったらできるべさ。私がついてる。心配すんなって・・・」
 ノリコはかほるの肩に手を置いた。天野は私と別れたあと、このかほると暮していた、とノリコ思った。
 かほるは肩に置かれたノリコの手に頬よせた。シロちゃんは昼は私の家に居たのに、夜は必ずノリコの家へ行ってた。シロちゃんが愛したノリコの手に、シロちゃんの何かが残っているかも知れない・・・。かほるはそんな気がしてノリコの手に頬ずりした。何となく天野の残り香に包まれた気がしておちついてきた。
 まだ、二人は天野四郎の内縁の妻・小畑セツコの存在を知らなかった。

 しばらくすると担当官がもどった
「どなたが検死後の遺体を引き取りますか?身内の方が居ますか?」
 担当官の言葉にノリコとかほるがうなずいた。二人して遺体を引き取り、荼毘に伏すしかない。
「私が引き取ります・・・」
 ノリコは係員にそう伝えた。
「天野さんとの関係は?」
 担当官が遺体確認者名の尾田ノリコを気にしている。天野ノリコではないのだ。
「私と天野四郎には子どもがいます・・・」
 ノリコは天野との関係を話した。ノリコには天野四郎が認知した天野の実子がいる。
「わかりました。では、この死亡届にサインしてください。続き柄は、親族に・・・」
 実子の母について係員は説明し、ノリコは言われるままにサインした。
「葬儀屋さんがその他の書類を用意します。そちらも手続きしてくたさい。
 あとは葬儀屋さんがしてくれますから心配いりませんよ」
 担当官は優しくそう言ってその場から立ち去った。
 入れ違いに葬儀屋が現れた。ノリコは担当官に天野の実母と、元妻との間に生まれたもう一人の実子について、語ることを忘れていた。
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