二十五 事情聴取

文字数 2,505文字

 五月三十日、水曜、午後。
 R署の第一取調室に長身の青山和志がいた。
「青山さん。昨夜の行動を説明してください。
 これは任意の取り調べです。都合の悪いことは話さなくていいですよ」
 野本刑事は穏やかに言った。
「昨夜は家庭教師へ行って、帰ったのが八時すぎでした。その後は母を風呂に入れて、のんびりしてましたよ」
 青山和志はおちついている。
「お母さんは病気でしたね。一人で入浴できないんですか?」
「病気は回復しましたが、体力が落ちてるから、何かと危ないんですよ」
「入浴後、お母さんは就寝ですか?」
「ええ、そうです」
 青山和志が、当り前のことを訊くなとの態度になった。
「今の住まいは?」
 野本刑事は話を変えた。
「何とか、兄の生命保険が下りたんで、母が家とブルーマウンテンを買いもどしました」
 青山和志はふたたびおちついて言った。
「ところで天野四郎さんをご存じですか?」
「ええ、良く知ってます」
 またまた、青山和志の態度が当り前のことを訊くなとの態度になった。

「天野さんが亡くなる前、何度か小梅町の家へ行きましたか?」
 野本刑事は話を本題に変えた。
「金曜の夜、一度だけ行きましたよ。炉端焼き・里子で、ママさんが、小梅町に天野さんがいると話してたから、これまでの誤解をおわびにうかがいました。留守でした」
「どういうことでしょう?」
 野本刑事に青山和志の説明は意外だった。
「兄の保険金が下りるように手を打ってくれたのが、天野さんだったんです。
 ブルーマウンテンを手に入れて、兄に経営させようとしていたのに、兄が誤解して死んだのも、母から聞かされてました。
 僕は天野さんから学資援助も受けてました。天野さんはそのことを誰にも話していないと母が言ってました」
 またまた野本刑事は青山和志の話に驚いたが、顔色ひとつ変えずに訊いた。
「携帯の履歴を調べていいですか?」
「関係者へ連絡していないか調べるんですか?この携帯を調べても、他の携帯から連絡してれば意味ないですよ」
 青山和志は天野四郎の死亡について訊かれていると思っている。昨夜の件に関し、こいつはシロだと野本刑事は思った。
 青山和志は携帯を野本刑事に渡した。すぐさま係官が来て携帯を持っていった。
 青山和志は壁の鏡を見た。ここは監視されてる・・・。

 野本刑事は、青山和志の意識が鏡にむかっているのを気にせずに訊いた
「さて、あなたが所属する合成化学科で筋弛緩剤が作られたのを知ってますね」
「同じ科の学生が作って廃棄した話ですね。良くあるんですよ。ああいうことは」
「というと?」
 野本刑事は驚いたふりをした。
「爆薬から薬品まで作れますが、良識ある者はそういう物を作りません」
 青山和志はまじめに話している。
「では、今回は、良識の無い者が筋弛緩剤作ったと?」
 野本刑事は、良識なんて言葉をこの学生から聞けると思わなかった。
「いいえ、廃棄したのだから良識があるんでしょうね」
 青山和志のまじめさは本物のようだ。
「あなたは作らなかったんですか?」
「ええ、作りません」
 青山和志はきっぱりそう言った。

「天野四郎さんは筋弛緩剤を服用してました。なぜ飲んでいたと思いますか」
 この質問は、天野四郎が筋弛緩剤を飲んだために死んだことが前提だ・・・。
「さあ、わかりません。誰かに飲まされたんでしょうね。バーボンか何かに混ぜて。バーボンは兄が好んだ酒です」
 野本刑事は、青山和志が思わずバーボンと言ってそれを無理に説明しているのではないかと思った。
「しかし、S川へ行く必要はないでしょう」
 野本刑事は死亡現場の名を話した。
「酔い覚ましのお茶など飲みながら、川風に当たりたくなったんでしょうね」
 小梅町の尾田ノリコの家は、朝夕、心地良い川風が吹く。何でこの男はそれを知っているのだろうと野本刑事は思った。
「小梅町の家の様子をよく知ってますね」
「はい、ノリコさんから聞いてますから」
 青山和志はおちついている。ありのままを話しているようだ・・・。
「バーボンやお茶も?」
「ええ、ノリコさんは、あまり飲めない天野さんが、兄の供養に兄の好みの酒を飲むと話してくれました」
 尾田ノリコが話していれば青山和志がいろいろ知っていておかしくないと野本刑事は思った。

 係官がもどり、野本刑事を通して携帯を青山和志へ返した。
「何かありましたか?」
 青山和志は、係員が野本刑事に紙面を渡すのを見て言った。
「発信履歴です・・・。不審な点は何もないですね」
 野本刑事は顔色一つ変えずにそう言った。携帯だけでなく、事前に調べた青山和志の家の固定電話からも、昨夜、青山和志は尾田ノリコに電話していない。
「いろいろありがとうございました。これで終りです。
 今日はありがとうございました。大学までお送りしますよ」
「何かあれば、また訊いてください」
 青山和志は係官に案内されて部屋から出ていった。

 野本刑事は取調室から出ながら、携帯で飛田佐介へ連絡した。
「今、青山和志を帰した。
 飛田さんが考えた通り、昨夜、青山和志は尾田ノリコに電話していなかった。
 先週の金曜、小梅町の家へ行ったのは青山和志だ。炉端焼き・里子で尾田ノリコから、天野四郎が小梅町の家にいると聞いたと言っていた。今はそれしか言えない」
 立場上、野本刑事はくわしく話せない。

 野本刑事の口調から、佐介は野本刑事の意を介していた。
「わかりました。俺の方で探ってみます。新しいことがわかったら、連絡します」
 ホテルの客室で、佐介は野本刑事からの通話を切った。
「ノリコは、二十五日金曜の夜、青山和志を小梅町の家へ行かせ、ゆんべは戸田を騙って青山和志が通夜の手伝いに来る、とノリコが嘘を言ったってことだベ。
 今日は葬儀だな・・・」
 ベッドに寝転んでいる真理は、薬の経路も天野四郎が川へ移動した状況も全て不明だと思った。
「ノリコは、スナック・スターゲートは仲間にまかせるようなことを話してた。スターゲートで状況を聞けるのは葬儀後だ。
 その前に、現場を見よう。雨が降らないから、助かるよ」
 まだ、佐介たちは天野四郎の死亡現場を見ていなかった。
「了解」
 二人は取材の準備をして客室を出た。

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