十一 死亡報道 

文字数 3,508文字

 洗面後。
 明美は食卓に着いた。牛乳もあると言って田村が明美の頬に唇を寄せたとき、テレビが午後のニュースを告げた。
「S川で男性が発見され、死亡が確認されました」
 田村がテレビを消した。食事中に見る番組ではない。省吾らしい気配りだと明美は思った。明美はテレビから斜め横の位置に座っている。テレビを見ていなかった。

 食後。
 明美は音量を下げてテレビをつけた。まだ、S川で亡くなった人のことを報道している。田村は洗い物をして夕飯の支度のためにキッチンにいる。
「男性の身元が判明しました。天野四郎さん三十八歳です。
 天野さんが発見されたのは、天野さんの知り合いの家があるS川の・・・・」
 明美は驚いた。省吾に話さなければと思いながら、なぜか話す気になれずにいた。先ほど田村がニュースを伝えるテレビのスイッチを切ったこともある。だが、それだけではない。何かが明美の心に響き、田村に天野四郎の死を伝えることをためらわせていた。
 明美はチャンネルを変えた。
 確か、かほるは二十代前半、ノリコは二十代後半、天野四郎は三十代の後半だと言っていた・・・。三十八歳だったのか・・・。明美はそう思いながら、
「省吾、私、眠くなった。もう少し眠るね・・・」
 田村に声をかけてベッドに入った。
「ああ、ゆっくり休むといいよ・・・」
 キッチンから田村の声が聞える。
「おやすみ・・・」

 天野四郎の死亡報道で、明美は田村の態度がさらに気になった。いろいろなことが同時に起きて省吾が疲れていると思ったが、そうではないように思えた。
 結婚するのは省吾が卒業してからだ。結婚の準備で今から気を揉むことはない。省吾は卒業研究論文のための実験を三年の後期から徐々に準備していた。省吾の就職試験は評判の高い地元有力企業だ。事前の企業訪問で、
「あなたの成績なら内定確実だ。経営者をはじめ社員の多くが大学OBで、あなたのような後輩を望んでいる」
 担当者が、入社に関する確約書のような物を書かせたと省吾から聞いている。
 過去の怪我の後遺症らしきものは薬物療法で改善している。省吾が日常生活で困ることは何も無い・・・。
 明美は田村が何を考えているのか気になったがいつのまにか眠っていた。

 夕刻。
「明美。夕飯だよ。あけみ・・・」
 唇と頬と鼻と額、そして、首筋からうなじ、耳たぶに吐息があたり、唇が触れて、
「ごはんだよ・・・。起きないと食べちゃうぞ・・・」
 明美の顔に何かが触れた。暖かい・・・。蒸しタオルだ・・・。明美は目覚めた。
「よく眠った・・・」
 明美はそう答えてベッドから起きた。
「菜の花の和え物と鮭の焼き物、だし巻きタマゴと野菜炒めと味噌汁と浅漬けだよ。いつもの夕飯だ・・・」
「ありがとう。顔、洗ってくるね」
 洗面所へ歩きながら、明美は田村が無理して親しそうにしている気がした。
 やはり省吾に違和感を感じる・・・。そう思い、以前の田村を思いだしてみた。

 いっしょに住みはじめた頃、明美を起こすとき、田村は明美の身体をくすぐった。強くではない。優しく目を覚ますように。それが、怪我の後遺症らしきものが出るようになって変った。手や指に異常な力が現れることもあり、気づかってくすぐらずにいるのだろうと明美は思った。薬物治療がはじまって症状が改善しても、田村が以前のようにおどけて明美を起こすことはなかった。生活に慣れて田村がおちついてきたと思えたが、田村が、大学や家庭教師ではない、他のことを考えているような気がした。
 明美は田村の趣味など、田村について様々な事を聞いていなかった自分に気づいた。
 居間の隅にスキーがある。油絵の道具がある。居間の壁に田村が描いた夕陽の絵が掛けてある。しかし、明美はスキーをする田村も、絵を描く田村もまったく想像できなかった。それらの話を田村から聞いたことがない。明美も田村に趣味を話したことがないから無理はなかった。

 洗面を終え明美は居間の食卓に着いた。
 テーブルより畳の座卓にむかう方がおちつく。テーブルや椅子の細長い木材は、職業柄、骨格をイメージする。おちつかない。椅子やテーブルに対するイメージのように、私は省吾のことを考えすぎなんだろうか・・・。
「うん?どうした?明美の好きな菜の花だぞ。今日のは甘味が強くてうまい」
 田村が笑顔でテレビのスイッチを入れた。やはり、私の考えすぎだったと明美は思った。
「ネエ、省吾。筋弛緩剤、全部使ったの?」
 明美は思いきって訊いた。
「全部使う前に調子がよくなったから、医者が言ってたように使うのやめたよ」
 田村はご飯を食べて菜の花の和え物を口をはこんでいる。
「残った薬はどうしたの。古くなったのは飲んじゃだめだよ」
 明美は田村が何と答えるか反応を見た。
「よく眠れないとき、眠る前に一錠飲めばゆったりと眠れる。二錠飲んだら危険だね。三錠だとあの世行きだね」
 田村は何気なく冗談を言った。明美は耳を疑った。正常な人が服用すればそれなりに支障が出る。
「省吾。誰かに薬をあげた?」
 まさか、天野四郎ではないだろう・・・。

「死んだのか・・・・」
 タイミングを計ったように夕刻のニュースが天野四郎の死亡事件を報道している。田村は驚いた様子もなくニュースを見ている。まるで結果を予期していたかのようだ。
「天野さんにあげたの?」
 天野四郎の死に驚いていない私は、天野の事件を知っていたことになると明美は思った。省吾はそのことに気づいているはずだ。省吾はなんて答えるだろう?
「天野さん、眠れないって言ってた・・・」
 そう言ったまま田村はニュースに見入っている。
「天野さんに何があったの?」
 明美は田村を見つめた。
「奧さんが家出したんだ・・・」
 田村は明美を見ずにテレビを見たまままだ。木村電気店から田村に連絡が来たとき、明美は眠ったふりして田村と木村の連絡を聞いていた。天野四郎の内縁の妻が家出したことは知っていたが明美は知らぬふりをした。
「いつ?」
「四月の半ば」
「省吾の風邪の見舞いに来たあとだね」
「天野さんは店を三軒切り盛りしてて、いろいろ、困ってたらしい。
 それで、車の販売がおろそかになって、俺が頼んでた車はディーラーから買ってくれと言われた」
 テレビを見たまま田村がそう言った。
「店を三軒持ってたら利益があるでしょう?」
 天野四郎が経営する店は繁盛していたはずだ。
「天野さんは元の奧さんとの間に六歳の子どもがいる。
 家出した内縁の奧さんはセツコ。愛人はかほる。もと愛人はユミ。
 別れてシングルマザーになった元愛人はノリコ。
 これだけいれば、何かとお金が忙しいし、人間関係で眠れなくなるよ」
 田村はそう言いながら夕飯を食べてテレビを見ている。

「自殺なの?」
「最近、店をノリコとかほるが狙ってると話してた・・・」
 田村は明美を見ようとしない。明美は、女二人が店の所有権を争って天野さんを殺したの?と言いそうになったが、話すのをためらい話を変えた。
「省吾の薬はどうしたの?」
「残りの四錠はいつも持ってるよ。お守りだ」
 田村は何ごともなかったようにテレビを見たまま事件の解説を聞いている。本当に四錠を持っているのだろうか?
 明美は、田村が薬を服用していた期間を思いかえした。二週間まえの月曜に病院へ行って二週間分の十四錠の薬を処方された。翌週月曜の再診で、症状が改善した、と医師に診察されたのだから、薬は少なくても六錠は残っていたはずだ。数が合わない。やはり私に説明できないことに薬を使ったんだ・・・。

「ごちそうさん・・・。どうした?どこか具合が悪いか?」
 田村が明美を見ている。明美は茶碗と箸を持ったまま呆然としている。
「何もないよ。なんだか疲れた・・・」
 明美は茶碗と箸を置いた。省吾が薬を何に使ったか考えると食べる気がしない・・・。
「夜勤は疲れるよね。お風呂に入って休むといいよ 」
 田村がそそくさと食卓を片づけはじめた。以前はもっとのんびり片づけ、いろいろ冗談をまじえて話していた。
「ネエ、天野さん、なんで死んだんだと思う?」
 明美は片づけする田村を目で追った。田村が視線から逃れるように動いている気がする。
「ニュースは事故だって言ってたけど、解剖しないと死因はわからないらしい。溺死じゃないみたいだ」
 テレビはバラエティに変っている。
「お茶をいれる。薬を飲むか?疲れたときの薬」
 田村がテレビ台の下からビタミン剤の小ビンをとった。明美は、小ビンに入っている錠剤が田村に処方された薬に似ていると思った。
「だいじょうぶ。いつものことだから」
「そうか」
 薬の小ビンをテレビ台にもどしながら、そう田村がつぶやいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み