第27話

文字数 3,608文字

 東区北二十六条に住む片山優子の祖父宅には、途中コンビニに寄って手みやげを買ったために、三十五分かかった。
 玄関の上り口で夫婦揃って私を迎えてくれた。玄関脇の床の間と仏壇がある部屋に通され、床の間を背に座らされた。座を外したふたりは籠に山積みにしたみかんとお茶を持ってすぐに戻ってきた。
「遠いところご苦労さまです」
 テーブルを挟んで前に座ったふたりは揃って頭を下げた。片山富吉は、八十台半ばで鶴のように痩せていた。片山野枝は、やはり八十台半ばで反対にふくよかだった。私はコンビニで急遽買い求めた手みやげの菓子折りをふたりに渡した。片山野枝はそれをすぐに仏壇に置いた。
 仏壇の手前の台に葉書サイズの写真立てがあった。なかに写真が飾ってあった。微笑んでいる男女の写真だった。片山優子の父親と母親ではないかと思った。
「佐分利といいます。今日は突然お邪魔しまして申し訳ありません」
「寒かったでしょう」
 妻の野枝が小さな声でそういった。ここでも石油ストーブの恩恵を受けることができた。
「お昼どきでしたね。重ねて申し訳ありません」
「私たちはもうすませました。佐分利さんはお昼は?」
「私もすませました」
 食べていないが食べたことにした。食欲はなかった。
「さきほど長島さんからお電話をいただきました。なんでもあの事件のことをお聞きになりたいとか」
 夫の富吉が心配顔で聞いてきた。妻の野枝は眼を伏せている。
「実はいろいろな事件の調査をしています。特に、被害者側だけではなく、加害者側の情報収集も行っています。ですので、興味本位でお話をお聞きするということではありません」
 思いつきの説明は心苦しいがしようがない。なんとしてでも話を聞きたかった。
「はあ……それでわざわざ東京から」
「そうなんです。お聞きする内容は間違っても流出することはありませんのでご心配なく」
「わかりました。長島さんのご紹介ということもありますので、なんでも聞いてください」
 ふたりはほっとした表情で揃って頭を下げた。やはり長島亮太の名前の効果は大きかった。
「ありがとうございます。思い出したくもない出来事をお聞きするのは大変心苦しいのですが、わかる範囲でお答えください」
「はあ……」
「事件はいつお知りになりましたか」
「事件当日の夜です。それもテレビのニュースで知りました。すぐに娘夫婦のところに駆けつけました」
 ふたりは体を小さくし、申し訳なさそうにした。
「みなさんどうされていました?」
「マスコミがきて家のまわりは大変な騒ぎでした。家のなかでは娘と孫は泣いてばかりでした」
「お孫さんは優子さんですね」
「そうです」
「そのあと、石原さんのご家族はご不幸が続いたとか」
 富吉が力なくうなずいた。
「娘の亭主は市内で大衆食堂をやっていました。でも事件後、店を開くことはできずに廃業しました。そのあと心を病みましてその年の八月に自殺しました。娘のほうも心労で倒れまして翌年の一月に病院で亡くなりました」
 夫婦が揃って仏壇の写真に眼をやった。
「お仏壇のあの写真は石原さんご夫婦ですか」
「そうです」
 富吉が憂い顔で消え入りそうな声を出した。野枝は眼を伏せている。
「嫌がらせなどが相当あったそうですね」
「ありました。家族に罪はないのに、ひどいものです。店に誹謗中傷のビラが貼られたり、無言電話や嫌がらせの電話があったりしました」
「加害者側というのは、ある意味無抵抗な状態に置かれますからね。
攻撃されやすい立場になるんですな。そこを狙って日頃の鬱憤を晴らすやつが現れるんです」
「娘夫婦も優子もじっと耐えていました。しようがありません。嵐がすぎ去るのを待つしかないんです。でも嵐は完全に静まることはないです。結局娘夫婦は耐えることができなかったんです」
 犯罪予告でもない限り警察は動いてはくれない。民事不介入だ。やるせないがそれが法律だ。
「それでお孫さんの優子さんがひとり残されたので、こちらに引き取り、おふたりの養子になられたんですね」
「ええ、そうです。私たち三人で相談してそうしました。長島さんも賛成してくれました。やはり優子は石原の名前を捨てたほうがいいと思いました」
「なるほどね……ところで長島さんはいろいろと相談に乗ってくれていたようですね」
「ひとり残された優子のことを心配していろいろと相談に乗ってくれました」
「優子さんはそのあと東京の大学に行かれていますね」
「本当は市内の会社に就職する予定だったんです。でもあんなことがあったんで就職はやめたんです。私たちは本人のためにと思って大学に行くことをすすめたんです。親のことがあったんで大学入学は二年遅れになりましたけど」
「あの、よろしかったら召し上がってください」
 野枝がそういった。テーブルの上にはみかんとお茶がある。私はお茶を手に取った。
「大学を卒業したあとは東京で就職されたんですね」
「そうです。立派な会社に入ることができてよかったです」
「優子さんはときどきはこちらに帰られますか」
「大学のときは二度ほど帰ってきました。二度とも両親の墓参りをしただけですぐに帰って行きました。就職してからは忙しいのか、帰ってきません」
「お父さん、三年前に帰ってきたでしょう」
 野枝が冨吉にそういった。
「あ、そうか。そうだったな」
 富吉が野枝の顔をみた。
「三年前ですよ。お父さんが入院したのであの子が心配して」
「そうか。三年前の夏ですね」
「連絡はどうなんです。ありますか」
「ええ、ときどき電話がありますね」
「どんなことをお話しされるんですか」
「もっぱら私たちの体のことを心配しています」
「自分のことは話したりはしませんか。特に付き合っている男性のこととか。結婚のこととか」
「このことは話していいのかどうか……」
 口を開いた富吉はあきらかに迷っていた。
「ご迷惑をおかけしません。教えてください」
 私は語気を強めた。
「いいんじゃないの。お父さん」
 野枝が富吉にそういった。富吉は、うんといってうなずいた。
「優子は加害者の妹だということを気にしていて、自分は一生結婚はしないといったんです」
「そんなことをいわないで結婚を考えなさいと、いつもいっているんですが、私は幸せになってはいけないんだと、聞く耳を持ちません」
 野枝があとを引き取った。
「すると優子さんからはその手の話はないわけですか……」
「ないですね。なあ」
 最後は富吉が野枝に同意を求める言葉だった。野枝はそれを聞いてうなずいた。
「ところで話は変わりますが、優子さんの親友である板垣千賀さんのことはご存知ですか」
「ああ、知っていますよ。優子の同級生で、たしかここにも一度遊びにきたことがあります。高校のときですけどね」
 野枝が答えた。
「でもあの事件があってからは付き合っていないんじゃないかな。なにせ板垣さんは被害者のほうですから」
 冨吉が声をひそめた。
「そうね」
 野枝も声をひそめた。
「それでは板垣千賀さんの事件後のことはご存知ない?」
「知りませんね。優子も一切話しませんしね。お前はどうだ」
 富吉が野枝の顔をみた。
「私も知りませんね……でも、川口さんならご存知かも。ほら、優子が三年前に帰ってきたとき、高校時代の友達に会うんだっていってたじゃない。あの子が東京に戻る日にここにも顔をみせたでしょう」
 野枝が富吉に答えた。
「そういえば、そんなことがあったような気がするな」
「優子と板垣千賀さんの共通の友人です」
 野枝が答えた。
「川口なんというかたですか」
「川口真理さんです。市内の三丸デパートにお勤めです」
「いまでもそこにいますかね」
「たぶん」
「なに売り場かご存知ですか」
「たしか、紳士服売り場のネクタイなどの担当だと聞いたことがあります」
「ありがとうございました。大変参考になりました。さっそく情報収集に役立てようと思います。なお、お聞きした内容は決して表に出ることはありませんのでご安心を」
 余計だったかなと思ったが、もう止まらなかった。ふたりは私の言葉を聞いて笑顔をみせた。
 私は手帳をバッグにしまい時計をみた。川口真理が休んでいなければいいがと思った。
「では失礼しますが、ひとつお約束していただきたいことがあります」
「はあ……」
 ふたりは複雑な表情をした。
「私がきていろいろ尋ねたことを優子さんに話さないでください。今回の調査は特に当事者に秘密裏に行うことを旨とし、それによってはじめて信憑性が出るのです」
 苦しい説明だった。ほかに適当な説明が思いつかなかった。ふたりも狐につままれたような表情をしていた。無理もない。話している本人が意味不明なんだからしかたがない。
 お茶のお代わりを丁重に断り、タクシーを呼んでもらった。
 ご苦労さまでした、という言葉を背中で聞きながら、タクシーに乗り、行き先を三丸デパートと告げた。タクシーが動き出してもふたりは玄関さきで頭を下げていた。
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