第11話

文字数 3,664文字

 倉持雄治に電話をしたのは、片山優子を二日間に渡って尾行したあと、つまりドライブから二日が経ったきのうの夜だった。連絡が遅れたことをまず謝った。倉持はそれに対してやや不満そうに鼻を鳴らしただけだった。詳しい話は電話ではできないと断ると、前回と同じ虎ノ門にあるコーヒーショップを倉持は指定した。彼が近くに用事があったからなのか、そんなことはないとは思うが、近くに事務所がある私に合わせてくれたのか、それはわからないが、いずれにしても好都合だった。
 約束は午後三時。私は五分前にコーヒーカップを持って二階に上がった。だがこの前と同じ窓側の奥まった席に、すでに倉持は座っていた。私は自分のコーヒーカップをテーブルに置き、倉持に向かい合った。
「お待たせしました」
 私は軽く頭を下げた。
「私もいまきたところです」
 この前と同じ会話だな、と思いつつ、皺などない黒のスーツで背筋を伸ばして座っている倉持のコーヒーカップをみると、たしかに減ってはいなかった。
「もっと早く連絡があると思っていたんですけどね」
 嫌味からはじまった。私は簡単に聞き流した。
「日曜のドライブのあと、月曜と火曜は敦夫氏の彼女を尾行しました。つまり、ご報告するにしても、情報は多いほどいい。連絡が遅れたのはそういうわけです」
「なるほど……わかりました。それで?」
 私はコーヒーをひとくち飲み、手帳を広げた。倉持もつられたのか、コーヒーカップに手を伸ばした。
「女性の名前は片山優子。年齢は三十三歳。ただし、フルネームと年齢は坂上富雄さんからの情報です。しかし片山は間違いないでしょう。アパートの表札で確認していますので」
「坂上富雄さんというのは、古谷が話していた敦夫さんの友人のことですね」
「そうです。先日坂上さんに会って話を聞きました。去年の十二月はじめごろ、敦夫氏と飲んだときに彼女の写真をみせられたと話していました。坂上さんによると、幸せいっぱいでゆくゆくは結婚も考えている、といっていたそうです。それから、坂上さんは彼女の名前と年齢しか知らないそうです」
「そうですか……それでドライブですが」
「ちょっと待ってください。ドライブのことをお話しする前に彼女の勤務先のことです。驚かれると思いますが、彼女の勤務先は、福永事務機器です」
「はあ?……いまなんておっしゃった?」
 鉄仮面の倉持が心底驚いた顔をした。
「月曜と火曜の二日間とも、田町の福永事務機器のビルに入り、そして夕方、ビルを出て帰宅しています。これをみても彼女は福永事務機器の社員です」
「驚きましたな。福永専務の会社の社員とはね……当然福永専務は知らないんだろうな……でもそれはあり得る話だな。というのも、敦夫さんは福永専務に会いにたびたび会社に顔を出していたようです。そこで彼女と出会うチャンスはあるでしょう」
「それで住まいですが、品川区南大井四丁目でアパートに住んでいます。アパートの名前は、南大井第三コーポ。一階と二階合わせて六世帯のアパートで、間取りは2DKといったところでしょうか。ちなみに、彼女は一階の左側の部屋です」
「すると、最寄りの駅はどこになります?」
「京浜急行立会川駅までは七分。JR大井町駅までは十八分。予想に反して彼女が向かったのは大井町駅でした。京浜東北線のほうが乗り換えなしで行けますからね」
「ちょっと待ってください。さきほどあなたは、坂上富雄さんは彼女の写真をみた、といいましたよね」
「ええ、いいました」
「素朴な疑問なんだが、敦夫さんは福永専務にはその写真をみせていないんだろうか……」
「みせると当然素性の話になりますな。そうすると社員だとわかってしまう。あれこれと詮索されてしまう。それが面倒だったのでは。私の推測ですが」
「ああ、なるほど」
「では、ドライブの話に移ります。そのときの写真がありますので、話を聞きながらご覧になってください」
 きのうコンビニでプリントアウトした写真を取り出し、テーブルの上に並べた。
 倉持は私の話を聞いている間、口を挟むことはなかった。私は、敦夫のマンションを出発したところから、イクスピアリを出たところまでを一気に話すと、いったん中断し、喉を潤すためにコーヒーカップに手を伸ばした。倉持は私の話を聞きながら、ときおり写真を手に取っては眺めていた。
「では、話の続きを。イクスピアリを出てからですが」
「ちょっと待ってください。さきほどから話に出ているそのイクスピアリというのはショッピングモールのようなものですか」
「おや、イクスピアリをご存知ない」
「残念ながら」
 どうやらいまどきの世情に疎いようだ。もっとも、かくいう私も、最近まではイクスピアリを知らなかったから偉そうなことはいえない。
「東京ディズニーリゾート内にある大型のショッピングモールです。若い家族連れやカップルで大変賑わっていますな」
 三日前にみてきたばかりだから私の話には実感がこもっている。
「そこでなにをしていました? 買い物ですか」
「買い物ですね。それも子供服ばかり。敦夫氏が婦人服の店に入ろうと誘っても、彼女のほうが断ったようにみえました。敦夫氏に遠慮したんでしょうか」
「ふーん、そうですか……いや失礼。どうぞ続きを」
「では、話を戻して、イクスピアリを出てからですが、首都高速湾岸線で有明まで戻り、そのあとレインボーブリッジを経由して品川まできました。夕食は品川プリンスホテルのブッフェレストランでした。あとは、彼女をアパートまで送り、敦夫氏はそのまままっすぐ帰宅しました。だけど、あれはちょっとした小旅行でしたな。なかなか大変でした」
「レストランにはあなたも」
「いやいや、私は店の外で待機です。どこに行くのか読めなかったので、その前に車のなかですませていました」
 値段をみて気後れしたのが本音だった。なにもそこまでして付き合うことはない。
「以上ですが、なにかありますか」
「ご苦労でした……しかし、意外でしたな」
 倉持が手に取ったのは片山優子が写っている写真だった。
「何がです?」
「彼女ですよ。こういってはなんだが、もっと派手な感じの女性かと思っていた」
「派手さはなく、物静かで落ち着いた感じ。実際に本人をみた私が感じた印象です。写真をみせられた坂上富雄さんも同じようなことをいっていました」
 倉持が次に手に取ったのは三人が写っている写真だった。私もその写真をみて、そのときの情景を思い出した。
「本当に幸せそうでした。お子さんも彼女になついていました。三人並んでも違和感はありませんでしたね。本当の家族のようでした」
「本当の家族ですか……」
 倉持の声は呟きに近かった。
「でも、最後のドライブというのは本当かも知れません。だから、精一杯サービスをしようとしていたのかも知れません」
「それはお互いに?」
「ええ、お互いに」
「なるほど。そうかも知れない。この写真をみても全部笑顔だ……」
「敦夫氏は彼女にプロポーズをしたと思いますか」
 私が感じていた疑問だった。
「したでしょう。でも断られて敦夫さんは落ち込んでいる。原因がわからずに」
 倉持が答えを出した。その答えは私と同じだった。
「敦夫氏はイケメンで地位もお金もある。言葉は悪いですが、普通に考えれば玉の輿ですよ。だから彼女はお金目的ではないと断言できるでしょう。お子さんのことだって、倉持さんが最初におっしゃったように、嫌なら最初から付き合わなければいい。そもそも、デートを申し込まれたときに、敦夫氏を嫌いならば、ごめんなさい無理です、といえばいい。だから、敦夫氏を嫌いではないんです。嫌いではないけどさきに進めない……」
「政治家の妻にはなりたくない。考えられる原因としたらこれかな」
「そうかも知れません。でも、もしそうなら、敦夫氏が政治家にならないといったあとも、敦夫氏が立ち直っていないのが解せないです。倉持さん、政治家にはならないから考え直してほしい、と敦夫氏は彼女に話したと思いますか」
「おそらく話したでしょう。それでも彼女は色よい返事をくれない。そこで敦夫さんはパニックになっている。そんなところかな」
「謎ですな……」
「おや、もうこんな時間か。佐分利さん、申し訳ないがこのあと予定があるので、このへんでよろしいかな」
「わかりました。それでこの件は今後どうすればいいですか」
「あなたにはまだ調査の継続をお願いしたい。敦夫さんの悩みの原因を知らなければ対処の手立てがないんでね」
「わかりました」
「それでは引き続きよろしく。それから、今回判明した女性のことは一切他言無用です。特に写真は取り扱い厳重注意です。よろしいですね」
 眼光鋭く念押しした倉持は、写真をスーツの内ポケットにしまい、自分のコーヒーカップを持って席を立った。
 きっかり五分後、私もコーヒーショップを出て事務所に戻った。
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