第14話

文字数 1,844文字

 自宅に帰り、有り合わせの材料で作った夕飯を食い、そのあと風呂をすませ、だいぶへたってきたソファーでチーズをつまみに缶ビールを飲んでいたとき、所長から電話がかかってきた。所長の声はなんだか弾んでいた。
「あれから、例の男だが、サブやんのあとを追いかけて行った」
 コーヒーショップでみかけた大柄でスポーツ刈りの男のことをいっていた。
「やつを尾行したのか」
「した」
「呆れたな」
 私の忠告は無駄だったようだ。
「それでどうした?」
「サブやんが事務所に入ったのを見届けてやつは動いた。どこに行ったと思う?……池袋だ」
「ほう、池袋か」
「西口のとあるビルに入った。やつは俺が睨んだとおり、その筋の者だ。そこは組事務所があるビルだ」
「やはりそうか」
「指定暴力団、南東会の下部組織、花鳥組の馬場勝彦。それがやつの名前だ」
「え、名前までわかっているのか」
「池袋署の組織犯罪対策課に知っている刑事がいてな。やつの人相をいったところ、名前がわかった」
 馬場勝彦。知っている名前ではない。
「名前に心あたりはあるか」
「ない。ないが、やはりやつのターゲットは私だな」
「そうだろうな。ところでサブやん、あいつは危険だ。暴力をなんとも思わないニオイがする。これは俺の経験からそういうんだ。池袋の刑事も同じようなことをいっていた。充分に気をつけてくれ」
「わかった」
「それじゃあまた」
 電話を終えたあと、右手で握っていた缶ビールに気がつき、飲もうと口に運んだが空だった。電話の間にいつのまにか飲んでしまったようだ。いつもは一本と決めているが、今日は追加で飲みたい気分だ。冷蔵庫から缶ビールを出してソファーに戻り、テレビもつけずにビールを口に運んだ。風呂上がりの熱気はもう冷めていた。
 さてどうするか。ひとりごとが出た。
 馬場勝彦。厄介なやつが登場した。思いあたるとしたら、やはりいまの案件がらみだろう。だれがなんのために差し向けたのだろう。 わからない。考えてもわからないときは、まず動いてみる。
 倉持に電話をすることにした。失礼になるような時間帯ではない。
 しばらく待たされてから倉持が出た。まわりが話し声でざわついていた。少し待つようにいわれた。
「どうしました?」
 声が聞こえたときは、まわりが静かになっていた。どうやら静かなところに移動したようだ。
「ご迷惑ではなかったですか」
「大丈夫ですよ。ちょっとした会合です。それでご用件は?」
「池袋の花鳥組という暴力団をご存知ですか」
「なんですか藪から棒に」
「その組の馬場勝彦という者に心あたりはありますか」
「ないですが、どういうことですかな」
「最近その者が私のまわりをうろついています」
「あなたの?」
「そうです。考えられるとしたら、いまの調査がらみしか考えられません」
 会話が途切れた。考えているようだ。しばらく待たされてから倉持の声が聞こえた。
「どう考えても思いあたることはないですな。反社会的勢力が出てくる余地なんかありません」
「私もそう思いたいです」
「組織ではなく……そのなんていいました、男の名前は?」
「馬場勝彦」
「今回の調査がらみではなく、その者が個人的にあなたのまわりをうろついているのでは? なにか心あたりはないのですか」
「ありません」
「そうですか……気をつけてとしかいいようがないですな。いまの段階で警察も動けないし」
「大丈夫です。どうも失礼しました」
「なにかあったら連絡ください。あ、それから、片山優子さんのことを福永専務に話しましたよ」
「福永専務はなんて?」
「驚いていましたな。まさか自分のところの社員が、敦夫さんと付き合っているなんて、想像もしていなかったようです」
「やはり敦夫氏は福永専務には彼女のことを話していなかったんですね」
「そのようですな。福永専務は、水くさいやつだな、といって敦夫さんのことを半分怒っていましたな。それから、福永専務には、片山優子さんを知ったこと、敦夫さんにいわないようにお願いをしました。探偵に調査させたことを敦夫さんに知られたくないんでね。それじゃあもういいですかな。戻らないといけないんでね」
「お忙しいところ失礼しました」
 電話が終わった。テーブルの上の缶ビールに眼がいった。手に取り、ひとくち飲んだ。ぬるくなっていた。一気に飲み干した。そのとき突然ひらめいた。福永専務に会うべきだ、と思った。ここで片山優子の情報が得られるかも知れない。次の一手はこれだった。これが突破口になるかも知れない。一条の光がみえてきた瞬間だった。
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