第162話 長い喧嘩の終わりに Aパート

文字数 6,963文字


 お母さんが気を利かせてくれたのか、それとも別の用事があったのか、いつもなら一声かけてから出て行くはずなのに、今回に限ってはそれも無かった。
 この後、蒼ちゃんと実祝さんも来てくれるのに、一人集中して机に向かえる訳もなく、気晴らしに部屋の片づけをするにしても、昨日先生が来るまでにあらかたの整理をしてしまっているから、今更特にする事もない今、出来る事と言えば、消炎外用薬を塗る事くらいしか思いつかない。
 結局今朝の予想通り、この時間は全く集中出来ないまま時間が過ぎるのを待っていると
「――っ!」
 今、この家の中は私一人だからか、いつもより大きく感じる呼び鈴が突然鳴り出してびっくりする。
 ただメッセージを貰ったり送ったりしてた時間からそこそこ経っていたから、どちらかかと当たりを付けた私が扉窓を覗くと、
「……」
 蒼ちゃんだったからと急ぎ玄関の扉を開ける。
「蒼ちゃん!」
 残暑厳しい晩夏にもかかわらず、それでも蒼ちゃんの顔を見ることが出来た喜びで、長袖・ロングスカートの蒼ちゃんにそのまま抱きつく。
「どうしたの? 何かあったの?」
 私の気持ちを分かってくれていなさそうな蒼ちゃんの方は、まだ体中の痣に痛みが残っているのか、身体をビクつかせる。
 そこで冷静になれた私が、蒼ちゃんから離れようとしたら、ふわりと私を包み込むようにして、背中に手を回してくれる。
 私が蒼ちゃんの匂いで安心していると、
「相変わらず愛ちゃんは甘えん坊さんだねぇ」
 当たり前のことをワザワザ指摘してくれる。
 そもそも、昨日先生から蒼ちゃんの話をしっかりと聞いて、蒼ちゃんがどれだけ凄絶な乱暴をされて来たのかを知ってしまって尚、この蒼ちゃんの優しさって言うか温かさ。そんなの甘えたくなるに決まっている。
「ごめんね。こんな玄関だと暑いよね。早く入ってよ」
 だけれどこの炎天下の中、いつまでも手提げかばんを持ったまま玄関にいるのは暑いのだから改めて家の中へと入ってもらう。


 改めて誰もいない家の中、蒼ちゃんを一度リビングへ案内すると
「ごめんね。私のせいで愛ちゃんの顔が酷い事になって」
 私の顔に蒼ちゃんが頬をくっつけてくれる。
「そんな?! 蒼ちゃんが謝る事なんて何一つないよ! 嫌がる蒼ちゃんのせいにするなんてどうかしているのは、サッカー部男子の方じゃない!」
 なのに再び私の心が、もう処分も出て終わった事のはずなのに軋み上げる。
「……戸塚君じゃなくて、サッカー部なの?」
 私の心が軋んでいるのを感じ取ってしまったのか、蒼ちゃんが寂しそうに私から一歩離れてしまう。
「だってそうじゃない! 嫌がっている女の子が目の前――っ!」
 しまった。先生からも該当者本人にすらも話をしないでくれと言われていたはずなのに、思わず口が滑ってしまった。
「……ひょっとして、先生が話に来たの?」
「……うん。昨日先生が説明しに来て、向こうの勝手な言い分と今回の事件の全てを、該当者たちの処分と合わせて話してくれた」
 だけれど、親友である蒼ちゃん相手に嘘はつきたくなかったし、変な隠し事もしたくなかったから、蒼ちゃんにこれ以上離れて欲しくなくて、手首を掴んで打ち明ける。
「そっか……じゃあ、本当に全部知ってしまったんだね。あ~あ。愛ちゃんには余計な先入観無しで、男の人を理解して欲しかったのになぁ」
 けれど、私の一言で元気を無くしてしまう。せっかく先生が色々教えてくれた中で促してくれた注意事項だったはずなのに。
「でも。今回の全容についてはむしろ酷く言い淀んだ先生に対して、先を促したのはどちらかと言えば私とお母さんだったよ」
 だからって訳でも無いけれど、やっぱり先生の責任にはしたくなかった。
「それに加えて私は、先生には全部話して欲しいって、他の誰でも無い親友の事だからって言うような事も言ったけれどね」
 そして、私の想いを全面的に理解してくれたお母さんのせいにはヒトカケラもしたくなかった。
「……本当に、おばさんも愛ちゃんもそう言ったの?」
 多分先生が私相手だから言ったとか思ったのだろう、私やお母さんの判断に蒼ちゃんが驚く。
「うん。あの日の二人とサッカー部及び、顧問の先生の処分理由だって事で私もお母さんも先生の話を聞くって決めたかな」
 ただどう言ったとしても、最終的に話してもらう事にしたのは私の意志なのだ。
「その上で男の人もそう言う人ばかりじゃないし、男の人に対する印象は決めて欲しくないってお母さんからは言われた」
 そう言えば、あの時先生も一部の教師のせいで、教師全体がそう言う目で見られる事もあるって、その夢や理想と現実・現状のギャップに辛酸を舐める事も多いって教えてくれたっけ。
「本当に愛ちゃんは大切にされてるんだね」
 本当にそう思う。お母さんや朱先輩……その上、親友の蒼ちゃんを始めみんなが私を大切にしてくれる。
「蒼ちゃんだって大切にされているよ。私のお父さんもそうだけれど、心配になり過ぎて頭を固くしているだけだって」
 頭で分かってはいても、ロクに私の話すらも聞いてくれないお父さんなんて大嫌いに決まっているけれど。
「そうだとしても私、愛ちゃんと一緒にこの学校を卒業して、三年前の約束を最後まで果たしたいよ」
 そんなの当たり前に決まっている。
「だから、私もお父さんに分かって貰えるまで言い続けるから、蒼ちゃんも一緒に戦お?」
 それでもダメなら、私たち二人と蒼ちゃんラブな慶を巻き込んで三人で戦えば良いと思うのだ。
「あの甘えん坊の愛ちゃんも強くなったねぇ」
 言葉はいつも通り柔らかいのに、その目は私を不安に掻き立てる哀愁が帯びていて、
「私が動けなくなってしまった時、いつでも私を叱咤激励してくれた蒼ちゃんがいたからだよ」
 今まで何回心を塞いでしまいそうになる度に、蒼ちゃんや朱先輩から叱咤激励を貰ったか。特にここ最近においては蒼ちゃんもしんどかったはずなのに、それでも私を大切にしてくれた。この恩と言うか感謝は一生かかってもそう簡単に返せるものじゃない。
「あれ? 空木君は?」
「優希君は叱咤激励って言うより、いつも甘えさせてくれる感じかな?」
 実際優希君が怒った姿なんて数えるほどしか見た事が無い。それよりもわたしに対する嫉妬や拗ねてしまう方が圧倒的に多い上に、私の前ではカッコつけたいとか言って、実際に拗ねた姿を見た事もないのだ。
「……愛ちゃんは強くなったんじゃなくて、甘える相手を私から空木君に変えただけだったんだね」
 そして蒼ちゃんが私に、やっぱり寂しそうな目を向けて来る。
「別に変えていないよ。私が安心して甘えられるのは蒼ちゃんだけだって。優希君に関しては私に対して“好き”をたくさん頑張ってくれているんだから、私は大人しく優希君からの“好き”を全て受け取れるようにするだけだよ」
 もちろんそれでも足りなければ、もっと“好き”を頑張ってもらえるように、あの手この手は使うけれど。だからこそ、優希君が安心して私に対して“好き”を頑張ってもらえるように、私は一点の黒もなくほぼ全てを包み隠さず話すようにしているのだ。その上で優希君だけが“好き”を頑張り過ぎてしまわない様に、私なりの表現方法で、優希君に対する“大好き”を見せるのだ。それが私なりに考えた最低限彼女としての意識だと思うし、優希君に対する思いやりの一つだと考えてはいる。
「“好きを受け取る”かぁ。さすがは恋愛上級者の愛ちゃん。愛され女子でもあるんだね。その辺りの話も聞きたいところだけど、そろそろ夕摘さんが来るのかな?」
 確かに優希君からは、私一人では返し切れないくらいの“好き”を受け取っているけれど、愛されているかって言うとどうなんだろう。
 好きとか愛は確かによく聞くし、似ている気がするけれど、私の名前の中にも入っている「愛」……愛って言うのが実際どう言うものなのかよく分からない。
 本当なら、私もこの辺りの話を蒼ちゃんに聞きたかったのだけれど、本当にもうすぐ実祝さんが来そうな時間だったから、二人だけの親友の話は一旦ここで辞める事にする。


 実祝さんがもうすぐここに来る事を意識したとたん、私の落ち着きが無くなる。これなら蒼ちゃんと、さっきまでの雑談を交わしていた方が良かったんじゃないかって思った頃合い。
「っ!」
 蒼ちゃんの携帯が鳴り出す。
『……もしもし? 防だけど、夕摘さんどうしたの?』
 しかもその電話はまさかの実祝さんからだったみたいだ。
 まあ、蒼ちゃんと実祝さんで仲良くして欲しいのだから別にかまわないのだけれど。
 なのに、なのに悪く無いはずの私の方に半眼を向けて来る蒼ちゃん。
『愛ちゃんとなんて約束したの?』
実祝さんとなんて話しているのか、その声音も心持ち変わっているような気がする。
『――ちょっと待ってね。――愛ちゃん。携帯は?』
 その蒼ちゃんが私に向かってため息をついたかと思うと、
「自分の部屋だけれど」
 それがどうしたのか。
「夕摘さん来るのに、何で持ってないの?」
 蒼ちゃんの視線が半眼から責める目つきに変わり始める。
「何でって……自分の家にいるんだから普通持ち歩かないって」
 私は当たり前の事を言ったはずなのに、なんか納得が行かない。
『夕摘さん。私の目の前に今、愛ちゃんがいるから代わるね。だから好きなだけ文句を言っても良いよ。夕摘さんも愛ちゃんとの付き合い方、扱い方も分かって来てるよね』
 ちょっと待って欲しい。私の取り扱い方とか付き合い方とか一体何の話なのか。そんなのが出回っているとしたら優希君の耳に入る前に何とか出処を――
『――じゃあ代わるね――はい。愛ちゃん』
「ちょっと待ってよ。話の流れがイマイチ分かっていないんだけれど」
『……』
 それでも責めるような目つきを向けたまま、無言で携帯を差し出し続ける蒼ちゃん。
『……もしもし。実祝さん?』
 そのまま実祝さんを待たせる訳にも行かないからと渋々電話を取ると、
『愛美酷い。場所分からないから電話した。なのに出ない』
 いきなり文句を吹っかけられる。
『場所って、送ったメッセージは?』
 目印も送ったはずなのに。
『どれもよく似てて分からない。愛美が冷たい。許せてないなら今日は泣いて帰る』
 そんな事されたら、昨日からの高ぶった私の気持ちはどうしてくれるのか。それに今日の夜、お姉さんからも電話がまたかかって来るんじゃないのか。
 しかも今日は仲直りをするって決めているのだから女の子一人、涙で帰す訳には断じていかない。
『分かった。迎えに出るから今見える物を言ってくれたら――』
『――愛ちゃんへの文句は言えた? だったら愛ちゃんが外に出るのはちょっと大変だから、私が迎えに出るし目印になりそうなもの、教えてくれるかな』
 だからと思ったところで、携帯をスッと取り上げられて再び蒼ちゃんと実祝さんで話を進めてしまう。蒼ちゃんは私の顔を気遣ってくれたのかもしれないけれど、これだと私は実祝さんに文句を言われただけじゃないのか。しかも私の扱い方の話も出来ていないし。
「そしたら愛ちゃんの今の顔で外に出るのは、空木君相手以外は嫌だろうし、私が夕摘さんを迎えに行ってる間に、夕摘さんとのメッセージを見返しておく事! いい?」
 そして私に一つ言いつけを残した後、私に気遣って蒼ちゃんが夕摘さんを迎えに行ってしまうのを見送る事に。
 その後、よく考えなくても蒼ちゃんも絶対安静でないといけないのに、私の方が行くべきだったのではと思いながら、二階へ上がって、一応実祝さんとのメッセージのやり取りを確認する事にする。


 改めて自分の部屋に戻ってメッセージの確認をして、その実祝さんからの着信の数を見てびっくりする。なんだか分からないけれど、本当に困っていて私だけじゃなくて蒼ちゃんにも電話した事が分かって、理由は分からないままだけれど、気が咎める。
 結局その分からない理由が気になって、ここ数日間の実祝さんとのメッセージのやり取りを見直して、何となくこれかなと言う目星だけは付いたけれど……うまい言い訳が思い浮かばずに蒼ちゃんが実祝さんを連れて戻って来てしまう。
「愛美……」
 実祝さんとはあの健康診断の日以来で、私が戸塚やサッカー部の後輩男子から暴力を受ける前だったから、当然今の私の顔を見るのは初めてのはずなのだ。
「ようこそ実祝さん。ここが私の家『愛美。ごめんなさい。あたし愛美がどうなってるのか全然分からなくて無理ばかり言ってた。さっきの電話の事も含めててっきり口だけであたしの事、許してくれる気が無いんだって思ってた。でも、愛美の顔を見て違うって分かった。分からずあたしの方が酷い事言ってた。だから本当にごめんなさい!』――実祝さん……」
――改めて実祝さんを出迎えたところで、そのまま抱きつかれてびっくりする。
「許してくれる気も何も、今日私と実祝さんは仲直りをするんだよね」
 本当なら私よりも実祝さんの方が身長は高いはずなのに、ここが玄関先にもかかわらず私にしがみついたまま離れない実祝さん。
「そんな事言っても、さっきの愛美は電話にも出てくれなかったし冷たかった」
「電話に気付かなくて出られなかったのは謝るけれど、私冷たかった?」
 その答えが私に半眼を向けてきた理由だって分かるけれど、その蒼ちゃんからは答えをもらえない。
「冷たかったし今日も許してもらえないんじゃないかって怖かった。愛美のくれたメッセージの目印がそもそも見つけられなかった」
 つまり私のメッセージと目印が分かりにくくて、私に電話をくれていたのに私が出なかったって事なのか。
「ごめん。そう言われたら確かに私の不親切だったかもしれないけれど、私って怖い? 冷たい?」
 優しくは無いけれど、厳しいだけで怖かったり冷たかったりするのはまた違うんじゃないかなって思うんだけれど。
「怖い。あたしが知ってる中で、怒らせると愛美より怖い人は知らないし、冷たく感じる。でも愛美程情の深い人もまたあたしは知らない」
「私も前に言ったけれど、本気で愛ちゃんが怒ったら本当に怖いよ? 前の学校で私の為に本気で怒ってくれたあの時の事、まだ忘れられないもん」
 確かに私が本気で怒ったら、あのクラスの女子も、天城も……そしてあのクッキーの時の実祝さんもみんな怖がってはいたっけ。でも私だって戸塚や後輩男子、それに初めの頃限定ではあるけれど、優珠希ちゃんにも怖い思いをさせられたのに。しかも今日仲直りをするって言う話をしているはずなのに、どうして私が怖いって言う話に変わってしまっているのか。
「だから愛ちゃんは、今日仲直りするはずの夕摘さんを怖がらせたんだから、ちゃんと謝る事」
「さっき謝ってもらったから、それよりも愛美と喋れなかったり喧嘩になるのはもう嫌だからあたしには怒らないで欲しい」
 私みたいな小娘が一人怒ったって怖い訳が無いのにとも思ったのだけれど、やっぱり独りって言うのはどうしたって心細いのだから、そう感じてしまうのかもしれない。
「ごめん実祝さん。寂しくしたのは謝るよ。でも私にとって蒼ちゃんは本当に大切な親友で――」
「――愛ちゃん。そこから先はここでは辞めよ? 慶久君もおばさんも直に帰って来るんだよね」
 確かにそうだ。それに私の大切な友達を玄関に立たせっぱなしって言うのも失礼になってしまう。
「ごめん。確かにそうだね――改めて私の家にようこそ! 実祝さん」
 三度目の正直、実祝さんを私から引き剥がして出迎える。


 今日のお客さんは、私の親友と友達だって事で女の子ばかりなのだからと、一階リビングじゃなくて直接私の部屋へと案内する。
 もちろんこれからする話は、特に家族に聞かれたら恥ずかしいからと部屋の鍵もかけて。
「愛美の部屋、涼しい。それに傘のセンスも良い」
 私よりも一足先に入った実祝さんから何とも嬉しい感想を貰う。
「ありがとう実祝さん。その傘は優希君がくれた日傘兼用の傘だよ」
 外布は濃紺で、内布は私の大好きな雲が広がる青空。だから雨の日でも青空を見ることが出来るこの傘は、既にお気に入りなのだ。
「そう。愛美が幸せそうで良かった」
 私の返事に何を思ったのか、心底安心した表情を浮かべる実祝さん。
「ありがとう。そして蒼ちゃんも。取り敢えず座ろ?」
 ただどの話、何の話をするのも腰を落ち着けてからだと思ったのだけれど、実祝さんが座るどころか姿勢を正して私の方へと向き直る。
「愛美。先にあたしの話を聞いて欲しい」
「――愛ちゃん。愛ちゃんは夕摘さんの話をじっくりと聞いて、仲直りしてる間にお母さんに電話しないといけないから、家の電話借りても良い?」
 そう言えばおばさんとの約束だって言っていたっけ。
「うん、もちろん。その間に実祝さん、ゆっくり話そうね」
「愛美……本当にありがとう」
 蒼ちゃんを見送ってからの実祝さんの一言。蒼ちゃんがいなくてもこの空気は変わら無さそうで、安心する。これなら今日で長い喧嘩の仲直りは出来そうだと、私も内心で喜びながら、改めて私と実祝さん二人だけになった部屋の中で、実祝さんの話を聞く態勢に入る。

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