第168話 信頼の積み木 7 Aパート

文字数 7,062文字


 愛さんの家へ向かう途中、今週の事を思い返しても、月曜日も水曜日も電話したのはわたしからで、最近愛さんからの連絡が少ないんだよ。
 もちろん愛さん自身のケガ、親友さんの事。色々あるからと思ってわたし自身も我慢してたのに、いつもなら週末までには必ず来るはずの連絡が、今週に限って全く愛さんからの便りが無い事にしびれを切らせたわたしの方からメッセージをいれたんだよ。
 せっかく月曜日に、ほぼ夜通しでナオくんに話を聞いてもらって気持ちが落ち着いたのに、愛さんの口から聞いた不穏な一言が残ったままになってるから、またざわついて来るんだよ。
 わたしとナオくん、二人だけの約束。

一人で泣か

、一人で塞ぎ込ま

、一人で抱え込ま



 この三

の約束があるからって言うのも助けて、今週頭にナオくんの家にお泊りしたにもかかわらず、また話を聞いて欲しくなってしまうんだよ。
 わたしが心の隙間に風を吹かせて、時間を空けずに送られてきた愛さんからのメッセージ。

宛元:愛さん
題名:嬉しいです
本文:ぜひ会いたいんですけれど、また私の家に来てもらっても良いんですか? 
   遠くないですか? しんどくないですか? 

宛元:愛さん
題名:気にしないで下さいね
本文:ありがとうございます。朱先輩にそう言ってもらえてとても嬉しいんですが、最近の
   お父さんは女だからどうとか、子供はどうとか言って平気で酷い事言いますけれど、
   お父さんの言う事なんて聞く耳持たなくて良いですからね。

宛元:愛さん
題名:楽しみにしています
本文:分かりました。今日のお昼は食べずに楽しみにしておきます。それじゃあお昼から待って
   ますね。

 わたしは愛さんの家へ向かう途中、愛さんからの返信メールを読み返しながら気持ちを落ち着けるんだよ。


 愛さんの学校はどうなるのか。男子に受けた傷病はどう言った具合なのか。気がかりがたくさんある中、わたしは愛さんの家の呼び鈴を鳴らす。
 もしも初めにおじさまが出て、門前払いをされたらどうしようかと思ったけれど、顔を出してくれたのは
『今、私と慶しかいないので遠慮せずに入って来て下さい』
 愛さんだったんだよ。

 弟の慶久くんとお話をして、変な事言われたら恥ずかしいらしくてそのまま愛さんの部屋に案内された時、前回は無かった傘が広げて置いてあるけど、内側に空と雲が描いてあるこの傘が空木くんからの贈り物なのかな。
「じゃあ飲み物の用意をしてきますので、少し待っててくださいね」
 傘に目が留まってたわたしに、ほんのり頬を染めた愛さんが部屋を出て行くんだよ。
 全体的に涼しい色で統一された愛さんの部屋は、いつ来ても整理整頓されてる印象なんだよ。
 その中でも広げて置いてある傘。愛さんが大好きな景色である事も合わせれば、愛さんがこの傘をとっても気に入ってるのも、空木くんが愛さんを本当にしっかりと見てくれてるのも伝わるんだよ。
 わたしが今日のお昼にと用意したバスケットと過去問の入ったバックをちゃぶ台の上に失礼させてもらう。
 愛さんがゆっくりと階段を上る足音を耳に入れながら、机を見るとノートと教科書とプリントが広げられてるのが目に入るんだよ。
 こんな時でも、わたしと同じ学校に入学してくれるために努力し続けてくれてるんだって分かるから、心の隙間に吹いた風は気にならなくなってくるんだよ。
「朱先輩お待たせしましたって、朱先輩はお客さんなんですから座って寛いでいて下さいよ」
 っとここで、愛さんの想いを探すのは終わりなんだよ。せっかく愛さんが目の前にいてくれるんだから、
「ちょっと朱先輩。飲み物が零れてしまいますって」
「じゃあ早くお盆を置いて、お顔も治って来て、元気になって来た愛さんを“ぎゅっ”ってさせて欲しいんだよ」
 愛さんに触れて、愛さんを確かめたいんだよ。

 愛さんの両手が空いた事を確認してから、改めてわたしから愛さんに“ぎゅっ”ってすると、愛さんも遠慮がちではあるけれど、わたしの背中に手を回してくれるんだよ。
「愛さんが元気そうで、お顔も治って来ててわたしは、とっても嬉しいんだよ」
「ありがとうございます朱先輩。実際このガーゼが取れたら、来週以降は塗り薬と自然療養に切り替わるって言ってもらえましたし、実際の所もうほとんど痛みは無いんですよ」
 本当に、本当に良かったんだよ。先週愛さんの表情を見た時は心臓が止まるかと思ったし、わたしの心もはっきりと凍ったんだよ。
 だけど今の愛さんは自然に笑ってくれてると思うし、喋ってくれる時に痛そうにしてる雰囲気もない。
「じゃあ空木くんも、元の愛さんに戻ったらとっても喜んでくれるし、何より愛さんのご両親も安心できると思うんだよ」
 部屋に広げて置いてある傘や、役員室での空木くんを見てたら、どっちにしても愛さんを大切にはしてくれるだろうけど。
 それでも自分の彼女が元気な方が嬉しいと思うんだよ。
「両親……私たちの話なんて、女だからとか子供だからとか言って、何にも聞いてくれないお父さんの事なんてどっちでも良いです」
 わたしが胸の内を温かくしてると、愛さんの腕に力が入った上、言い方そのものがぶっきらぼうになってしまうんだよ。
「お父さんの事はって……お母さんは?」
 再びお父さんとは拗れてしまってるっぽい愛さん。
 そっちの話はもちろんしっかり聞くけど、いつもはお母さんの事も合わせて出て来るはずなのに、おじさましか出て来なかったから、念のためおばさまも先に確認しておくんだよ。
「お母さんは大好きですよ。ちゃんと私を理解してくれた上で応援もしてくれています」
 良かったんだよ。これで安心してまずは、おじさまのお話を聞けるんだよ。
「お父さんの事は嫌い? 顔も見たくない?」
 以前も同じ質問をしたわたし。これは基本中の基本のお約束なんだけど、とっても大事な事だからわたしは、たいていこの質問から入る事が多いんだよ。
 そして笑顔が大好きな愛さん。家族でもある、しかも一度は大喧嘩をして仲直りも済ませた愛さんが、良かったとまで口に出来たあの出来事。だからなのか、“嫌い”って言葉を使わずに、無関心を装おうとする愛さん。
 ひょっとしなくても徹底して他人を優先する愛さんが傷ついてても何の不思議もないんだよ。だからランチは後回しにして、愛さんから片時も離れないように意識するんだよ。
「私だけじゃなくてお母さんの言う事も聞いてくれないお父さんなんて、喋りたくないですよ」
 今回は声に震えもないし、言葉に感情の起伏も見られる。
「お母さんの言う事も?」
 だから、愛さんは大丈夫だと一度判断できたけど、わたしの体験上。どうしても聞き流すことが出来ない言葉があったんだよ。
「……そうなんです。女は感情に振り回される生き物だから駄目だとか、私の事は心配じゃないのだとか、私に何があっても良いのかだとか。子供だって言って聞く耳を持ってくれない私の気持ちをお母さんが、言ってくれているのに、子供に振り回されてるなんて言ってそれも聞いてくれないんです」
 愛さんのおじさんが、今回の事でとっても心配して娘に対しての防衛本能を働かせすぎてしまっているんだよ。
 それでも防衛本能自体、自分の為じゃなくて自分の娘とは言え、他人のために働かせてる辺り、やっぱり他人を優先する愛さんのおじさまらしく、優しくて良いおじさまなんだろうなって分かるんだよ。
「でも、愛さんなら大切にしてくれてる事は分かってると思うんだよ」
 聡い愛さんの事だから、自分の気持ちをほんの少し思い出してもらえるだけで、お父さんの印象自体は変わると思うんだけど。
「いくら大切にしてくれている事が分かっても、今日来る朱先輩の事は男の人だと思っていますし、先週の説明と、関与した生徒の処分を伝えに来てくれた先生を“家に上げた!”とか言って、まるでお母さんが浮気したみたいな言い方をするんですよ? そんな事言われたら、今でもお父さんが“大好き”なお母さんが傷ついてしまうじゃないですか」
 私の背中に回した腕に力が入る愛さん。
 でもそうなんだ……夫婦になって何十年経っても

が好きだって気持ちを持って行動できる夫婦。あるいは子供の前でもお互いの気持ちを見せあえる夫婦。おじさまの方も、おばさまの事を想って無ければ“家に上げた!”って嫉妬しないだろうし、もっと無関心な態度や言葉になってしまうんだよ。
 そんな二人に大切に大切に、週末しか帰って来られない限られた時間の中でも、たくさんの愛情を貰いながら育った愛さん。だからこんなにも純真でまっすぐに育ったのかもしれないんだよ。
「おじさまにわたしの事、ちゃんと話した?」
 おばさまとは電話越しとは言え、ご挨拶させて頂いたけど、おじさまとは一度も声すら聞いた事も無いんだよ。
「そんなの言える訳ないじゃないですか。もしお父さんが朱先輩に酷い事言ったらお父さんとは絶交になってしまいます」
 分かってはいた事だけど、愛さんもまた他人の為に、その感情の色と形を変えることが出来るんだよ。
 しかも注意深く耳を傾ければ気付けるけど、愛さんは無意識でおじさまを嫌う事を嫌がってる事も分かるんだよ。そうじゃないと、さっきのような返事にはならないんだよ。
 おじさまは愛さんを守るための防衛本能を働かせすぎて、学校や先生相手にその感情の色を変える。それに合わせて愛さんも、おばさまやわたしへの気持ちからおじさま相手にその感情の色を変える。
 その中でおばさまだけがただ愛さんの事を第一に考えて動いてると思うんだよ。でないと愛さんの口からおばさまの事は“大好き”なんて無条件で出来ないと思うんだよ。
「それに今回の件は慶も腹立ったみたいで、お父さんに口悪く文句を言ってくれたんです」
 お互いがお互いの為にその感情を揺らし、色をも変えることが出来る。だからこの家族は温かいんだろうし、愛さんの声に悲しみや寂しさの混じった震えは無いんだなって、納得しかけたところに、
「慶久くんも愛さんの味方をしてくれたの?」
 いくら今週の頭って言うか、一週間程前にわたしが慶久くんと話をしたからって言っても、行動まで変わるなんて予想外も良い所なんだよ。
「はい。慶はこの家で一番幼いから“子供”だって言ってお父さんが私の話を突っぱねていたのが、どうしても納得いかなかったみたいで一緒になって言ってくれました」
 そっか。わたしが話したから。じゃなくて、話を聞いてもらえない寂しさを理解出来たからこそだったんだよ。
 つまりなんだかんだ言っても愛さんのご家族なんだから、相手を想いやれる優しさは今はまだ小さくても、ちゃんと持ってるんだよ。
 だとしたらおばさまに対する言葉には、同じ女の子として文句は言いたけど、ご家族みんなをこんなにも想ってるのに、おじさま一人だけがその思いを受け取ってもらえないなんて寂しすぎると思うんだよ。
 そして愛さんが見落としてるかもしれない大切な心。
「おじさまの言葉で、おばさまは傷ついてた? 涙してた?」
 お互いの事を想いやって、感情の色を変えることが出来るご家族なのだから、愛さんの事で感情の色を変えても自分の事で感情の色を変える事は無いと思うけど、
「……涙はしてませんでしたけど、今日は夫婦そろってデートに行けない。その代わり私が男の人と会わないか監視するって言ってお母さんの笑顔を無くしていました」
 また、私が考えもしなかった返答に、そんなにまで愛さん夫婦は仲が良いんだなってわたしが驚くハメになるんだよ。
 わたしはそう言うご家庭を知らない。ただし、今回もわたしの話は後回しで
「監視って?」
 次に愛さんの口から出て来た不穏な言葉なんだよ。
「私を、先生も含めた全員が女性しかいない女子高に今から転校させるから、今後は一切男の人とかかわるのは辞めなさいって。それに対してお母さんが、男の人にも色々な人がいる。今回みたいに暴力に頼る男の人ばかりじゃない、男の人の印象を決めて欲しくないって……やっぱり喧嘩になってしまって……」
 ここで他人の笑顔が大好きな愛さんの声が震え始める。
 わたしが愛さんの声を震わせてしまったと思うと、わたしの心臓が涙で湿ってしまうんだよ。
「色々しんどい事を話してくれてありがとう。そしてごめんね」
 だから何を置いてもまずは愛さんに感謝を。辛いかもしれない事を口にしてくれた愛さんにねぎらいを。その次に本題を。
 本当なら、一人ぼっちになってしまっているであろうおじさま。一人はどうしたって寂しいのだからおじさまの気持ちを誰かに繋ごうかと思ったけど、お互いがお互いを想い合っていても、愛さんが独り傷ついたり寂しい思いをしてしまうなら、やっぱりわたしには愛さんが一番なんだよ。
「……でも結局は夫婦でお出かけしたんだよね」
「……はい」
 家の中にはいないご両親。
 まず最低限の事だけは真っ先に認識してもらうんだよ。
「愛さん。好きの反対はなんだか覚えてる?」
「それって無関心ですよね」
 良かった。もう愛さんの声が元に戻ってる。
 だけど、愛さんの小さな悲しみをわたしはそのままにはしておかないんだよ。
「そうなんだよ。つまりね、お母さんが先生からのお話を伺うために家に上げるだけでも、的外れな防衛本能を働かせてしまったり、“ヤキモチ”を焼いてしまうくらいには、おじさまはおばさまがとっても大好きなんだよ」
 わたしがこの話をする時に、いつも吹く郷愁の風。今回は愛さんのご両親との温度差も相まって、余計に冷たく感じてしまうんだよ。
「だからってお母さんの話は聞かないし、お母さんが浮気した! みたいな言い方はいくらなんでも酷すぎます」
 本当に人を疑う事を知らないのかって言うくらい純真な愛さん。
「それはもちろんなんだけど、少しだけ視点を変えるんだよ――愛さんが会長さんと仲良く喋ってる時、空木くんから“やきもち”を焼いて貰ったら、どういう色の感情になる?」
 今までの愛さんなら嬉しいとか、申し訳ないなとか、どれだけ

信頼「関係」だったとしても、“信用して貰えていないのかなって

”までで、うっとおしいとか、煩わしいとか、それ以下の感情色になる事は無いって言うか、愛さんの口から聞いた事が無いんだよ。
「……私から優希君への“大好き”の見せ方が悪いのかなって、小さいのかなって、逆に優希君を不安にさせていないのかな、自信を無くしていないかなって申し訳ないって言うか、私の方が不安になってしまいます」
 たっぷり時間をかけて愛さん自身の気持ちを整理して、慶久くんの足音が聞こえた時、不安、落ち込むどころかまた、わたしの予想を超える回答を口にしてくれた愛さん。
 それと同時に、恥ずかしがり屋さんの愛さんなりの愛情表現も分かるし、伝わる。
 これなら今週の月曜日、私相手でも堂々と言い切った空木くんの気持ちにも頷けるんだよ。
 本当に二人がキスをしてからも、止まる事なくとどまる事なく、増々信頼「関係」を高く強く築けてるのが分かる、伝わる。
 そして、そこまでの信頼「関係」を築き上げた愛さんなら、恥ずかしがり屋の愛さんなりの愛情表現の表し方、伝え方まで分かってるのなら、
「空木くんから、倉本くんとの事で“ヤキモチ”を焼かれた時、落ち込んだり嫌な気持ちになるどころか、空木くんに対して自信を失くして無いかなって気遣える愛さんに質問です。おじさまから先生との事を疑われて、おばさまは

としても、傷ついたかな? そんな相手とすぐに気持ちを切り替えてデートを楽しめるのかな?」
 今度は少しだけ誘導させてもらいながら、質問させてもらうんだよ。
「確かにそうですけれど……」
 よっぽどおじさまと大喧嘩して、おばさまの味方をするって決めてるのか、分かってるはずの答えに愛さんが渋るんだよ。
「今日のデートは、おばさまなりのおじさまに対する好きを表す日かも知れないんだよ」
 行き違った時、喧嘩した時にこそジョハリの窓を意識して、お互いの気持ちを見せあって心の色を感じ取って、お互いの意見に耳を傾ける。
 これは空木くんとお付き合いを始めた当初から、愛さんにずっと意識してもらってた事なんだよ。
「……分かりました。確かにお母さんもたまにお父さんに対して“お仕置き”って言っているのを聞いていますから、今週ずっとオカンムリだったお母さんが、今日そのお仕置きをしていてもおかしくないですもんね」
 お仕置き……どう言う思考で結論が出たのかは気になるけど、身体と腕から力が抜けて大きく息を吐いた愛さん。
「あっと。ずっと抱きついていてすみません。座って下さいね」
 わたしから抱きついたはずなのに、恥ずかしそうにお顔を染めながら
「……っ!」
 先週教えた隙のない座り方が更に上品になってる気がするんだよ。
「じゃあせっかく作って来たから、遅くなったけどランチにするんだよ」
 レディたるもの、例え同性であっても愛さんの前では立派に頼れるお姉さんでいたいから、お腹は鳴らせないんだよ。
「朱先輩のお昼。本当に久しぶりなのでとっても楽しみです」
 わたしが何をしても、ワガママを言っても喜んでくれる愛さん。やっぱり親友さんよりもご両親さんよりも誰よりも、わたしが愛さんの一番の理解者でありたいと思いながら、愛さんとのランチを楽しむんだよ。

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