二十 顔
文字数 3,100文字
入院から二ヶ月後の七月初旬。
手術で、身体の骨折部位を固定していたステンレスの固定具が取り除かれた。
麻酔から覚めると、大原まり子と卓磨が僕を見ていた。そばに大淵俊一と加代と小金沢真理子がいて笑っていた。僕は、僕を見守る皆に感謝した。
『玲。みんなを呼んでくれたんだね。ありがとうな』
『みんな、ここにいる省吾と、縁がある人たちだよ~』
と玲が妙な事を言った。
『ここにいる僕ってどういうことなの?退院したら、縁が無くなるのか?』
『省吾しだいだよ』
『そうか・・・』
僕は玲にそう答えて、いずれ、ここにいる皆とは縁が無くなるんだ、と考えこんでしまった。そうなった時、僕はどうしているのだろう。
『そのときは、お母さんがいるよ。早くさがそうね~』
『そうだった。早くさがそうね。とは言っても、まだ入院してるぞ』
『・・・』
玲は返事をしなかった・・・
七月下旬、午後。
長岡さんの外科第三診察室で顔の包帯が取られた。これまで包帯を交換する時に空気に晒さられて日焼けした時のように感じていた顔が、包帯が取られた時は妙に心地良く感じられた。
「皮膚の細かな神経も再生してる。皮膚組織も完全に綺麗に再生している。
空気が触れても、気にならないだろう」
「ええ、ちょっとピリピリしますね。日焼けしたみたいに」
「紫外線よけのクリームを出しておく。朝と午後に薄く塗ってくれ。蛍光灯も紫外線が出てるからね。顔を見るか?」
「ええ、ちょっとこわいですね」
「前より、男前だぞ。こんどから美容整形もするか!儲かるのにな・・・」
「まあ、先生ったら!」
そう言いながら、看護師が僕に手鏡をよこした。
『これは誰だ?』
『しょうごだよ~。あたしのお父さんだよ~』
玲が肩の上ではしゃいでいる。
鏡に映った顔は僕の顔だ。でも、僕ではない。各部の位置は以前のままだが、目鼻立ちが整っている。
「な、男前だろう・・・」
長岡さんがにやにや笑っている。隣で看護師が相槌を打っている。
「俳優の○○に似てます」
「いや、刑事役の△△だろう。まあもそういうことだ。
もう、怪我する以前みたいに、顔を洗っていいよ。まあ、皮膚が丈夫になるまで、顔を洗わないのが一番いいんだが、そうもいかんだろう。優しく洗えよ。紫外線よけのクリーム忘れるなよ。
骨折箇所の金具を抜いた傷痕は、気にならないか?」
「痒いですね」
「化膿は無いな。ギブスも変えたから、動かせる関節は動かせよ。
よし、また、回診で会おう」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
僕は長岡さんに礼を言って診察室を出た。
通路ですれ違う看護師が、僕を見て会釈している。みな、顔見知りの看護師なのに、看護師は僕の包帯の顔しか知らないから、包帯の取れた僕を見て、なにか珍しい動物を見るような顔で通り過ぎていった。
『玲。なんか妙だぞ。僕の顔はそんなに変ったか?』
『小さいものが大きくなって、低かったのが高くなって、太かったのが細くなったんだよ』
『おもしろい事を言うね。綺麗な二重になって、鼻筋が高く細くなって、少し出てた歯が引っ込んで、唇が少し膨らんだんだろう。
ここまで変るんだから 事故の怪我は酷かったんだろうな・・・・』
『怪我したとこが みんな、残ってたから、再生できたんだよ。
先生に感謝だね』
『ああ、感謝だね!』
『ねえねえ、鼻水も涙もでるよね?唾液もでるよね?』
『ああ、正常だ。問題ないよ。何か気になるのか?』
『長岡さんが、いろいろな細い管を縫合してたよ。うまくなおしたんだね』
『あの人、まじめなんだ。細かいとこまで丁寧に治したんだね。感謝だよ。
長岡さん。冗談言う時もまじめなんだぞ。聞いているみんなは、冗談だと気づかないんだ。話がうまいんだよね』
『あのね、守護霊がついてるんだよ。守護霊が先生に、相手の心を伝えてるんだよ』
『なるほどね。ふたりで医師をしてるんだね。心の医師と外科医師を』
『うん、そうだね。
ねえ、しょうご~。省吾のお母さんが実家にもどって静かになったと思ったら、また、病室がうるさくなるよ』
『なんで、うるさくなるんだ?』
『みんなが、省吾を見に来るよ』
『僕の顔を見に来るのか?動物園だな、ここは・・・・』
『入園整理してくれるよ。卓磨と大原まり子が整理券をくばって、入園料とって』
『ほんとか?』
『あははっ、うそだよ~』
僕は、左肩の玲に頬を寄せるようにして笑顔になっていた。僕を見て、すれちがう看護師が笑っていた。午後の院内に患者は少ない。通路を移動しているのは看護師と見舞いの人くらいだ。
看護師二人とともにエレベーターに乗った。二人とも外来専門の看護師で、僕とは馴染みが薄い。
「すみませーん。乗りまーす」
声とともに、大原まり子と卓磨がエレベーターに駆けこんだ。ふたりは僕に気づかない。
僕は、顔の包帯を取る前に、腕のギブスを取り換えて肘が動かせるようになっていた。
今、顔の包帯が取れて腕のギブスが変った僕に、今までのミイラ男の印象はない。僕はふたりを驚かせようと思って、黙ってふたりを観察した。
エレベーターの中でふたりは何も話さなかった。
三階でエレベーターが止まった。
エレベーターを出たふたりから遅れて、僕はエレベーターから出た。少し離れてふたりの跡を歩いて、ナースステーションに挨拶し、病室をそっと覗いた。
大原まり子は椅子に座って、卓磨はベッドに腰かけていた。
僕はゆっくり、そっと病室に入って、ふたりに微笑んだ。
「おかげで包帯が取れたよ。こんな顔になった・・・」
病室に入る僕を見て、一瞬ふたりは、見知らぬ人に声をかけられたような表情になり、いつものふたりに戻った。
「うわおっ!ビフォー、アフターだね!」
卓磨が珍しい彫刻を見るような顔で僕の顔を見ている。
「整形、うまくいったのね!」
大原まり子の表情も卓磨と同じだ。
「ああ、以前とは変ったよ。長岡さんが話したようになってた・・・」
僕は何気なく左肩を見た。玲は見えなかった。耳の後ろに隠れているらしい。
「不満ですか?」
卓磨がニタニタしながら僕を見ている。以前より顔が引きしまったと言いたいのだ。
二ヶ月もギブスと包帯を捲かれていれば、顔といえど贅肉は無くなるし、筋肉は痩せる。怪我した筋肉も縫合したから、なおのことだ。
「カッコイイよ!田村君の変貌をみんなに話していいよね?」
大原まり子はちょっと興奮気味だ。スマホで僕を写真に撮っている
「いいよ。顔を隠すわけにゆかないからね」
まだ、顔の筋肉をうまく動かせないような気がする。包帯を巻かれていた時はけっこう笑ってたから、そう思うのは気持ちだけだ。
『そうだよ。なにも心配ないよ。正常に動くよ。みんなが省吾を見にくるから、週末はにぎやかだよ~』
玲が肩で囁いている。
『やれやれ、これだと完全に見せ物だな。玲。なんとかならないか?』
『遠目には以前とかわんないよ。みんな、いちどだけ顔を見れば、納得するよ』
『やっぱり、見せ物だぞ。卓磨に言って入室制限させようか?』
『だいじょうぶ。みんな、気を利かせて、少しずつ、見舞いにくるよ』
『それならいいか・・・。
玲のお母さんは?ここにはこないのか?』
『わかんないよ。近くに来てたみたいだけど・・・。
でもね。会えるよ。近いうちに・・・。楽しみにしてようね』
『わかりました。守護霊様』
「省吾。スケッチしてましたよね。ここの壁に貼りませんか?」
「どうして?」
「白い壁だけだと殺風景でしょう。看護師さんに頼んで貼らせてもらいましょう。
省吾の絵は、見栄えするから、みんなに受けますよ」
そう言って卓磨は戸棚の上のスケッチブックを開いている。
手術で、身体の骨折部位を固定していたステンレスの固定具が取り除かれた。
麻酔から覚めると、大原まり子と卓磨が僕を見ていた。そばに大淵俊一と加代と小金沢真理子がいて笑っていた。僕は、僕を見守る皆に感謝した。
『玲。みんなを呼んでくれたんだね。ありがとうな』
『みんな、ここにいる省吾と、縁がある人たちだよ~』
と玲が妙な事を言った。
『ここにいる僕ってどういうことなの?退院したら、縁が無くなるのか?』
『省吾しだいだよ』
『そうか・・・』
僕は玲にそう答えて、いずれ、ここにいる皆とは縁が無くなるんだ、と考えこんでしまった。そうなった時、僕はどうしているのだろう。
『そのときは、お母さんがいるよ。早くさがそうね~』
『そうだった。早くさがそうね。とは言っても、まだ入院してるぞ』
『・・・』
玲は返事をしなかった・・・
七月下旬、午後。
長岡さんの外科第三診察室で顔の包帯が取られた。これまで包帯を交換する時に空気に晒さられて日焼けした時のように感じていた顔が、包帯が取られた時は妙に心地良く感じられた。
「皮膚の細かな神経も再生してる。皮膚組織も完全に綺麗に再生している。
空気が触れても、気にならないだろう」
「ええ、ちょっとピリピリしますね。日焼けしたみたいに」
「紫外線よけのクリームを出しておく。朝と午後に薄く塗ってくれ。蛍光灯も紫外線が出てるからね。顔を見るか?」
「ええ、ちょっとこわいですね」
「前より、男前だぞ。こんどから美容整形もするか!儲かるのにな・・・」
「まあ、先生ったら!」
そう言いながら、看護師が僕に手鏡をよこした。
『これは誰だ?』
『しょうごだよ~。あたしのお父さんだよ~』
玲が肩の上ではしゃいでいる。
鏡に映った顔は僕の顔だ。でも、僕ではない。各部の位置は以前のままだが、目鼻立ちが整っている。
「な、男前だろう・・・」
長岡さんがにやにや笑っている。隣で看護師が相槌を打っている。
「俳優の○○に似てます」
「いや、刑事役の△△だろう。まあもそういうことだ。
もう、怪我する以前みたいに、顔を洗っていいよ。まあ、皮膚が丈夫になるまで、顔を洗わないのが一番いいんだが、そうもいかんだろう。優しく洗えよ。紫外線よけのクリーム忘れるなよ。
骨折箇所の金具を抜いた傷痕は、気にならないか?」
「痒いですね」
「化膿は無いな。ギブスも変えたから、動かせる関節は動かせよ。
よし、また、回診で会おう」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
僕は長岡さんに礼を言って診察室を出た。
通路ですれ違う看護師が、僕を見て会釈している。みな、顔見知りの看護師なのに、看護師は僕の包帯の顔しか知らないから、包帯の取れた僕を見て、なにか珍しい動物を見るような顔で通り過ぎていった。
『玲。なんか妙だぞ。僕の顔はそんなに変ったか?』
『小さいものが大きくなって、低かったのが高くなって、太かったのが細くなったんだよ』
『おもしろい事を言うね。綺麗な二重になって、鼻筋が高く細くなって、少し出てた歯が引っ込んで、唇が少し膨らんだんだろう。
ここまで変るんだから 事故の怪我は酷かったんだろうな・・・・』
『怪我したとこが みんな、残ってたから、再生できたんだよ。
先生に感謝だね』
『ああ、感謝だね!』
『ねえねえ、鼻水も涙もでるよね?唾液もでるよね?』
『ああ、正常だ。問題ないよ。何か気になるのか?』
『長岡さんが、いろいろな細い管を縫合してたよ。うまくなおしたんだね』
『あの人、まじめなんだ。細かいとこまで丁寧に治したんだね。感謝だよ。
長岡さん。冗談言う時もまじめなんだぞ。聞いているみんなは、冗談だと気づかないんだ。話がうまいんだよね』
『あのね、守護霊がついてるんだよ。守護霊が先生に、相手の心を伝えてるんだよ』
『なるほどね。ふたりで医師をしてるんだね。心の医師と外科医師を』
『うん、そうだね。
ねえ、しょうご~。省吾のお母さんが実家にもどって静かになったと思ったら、また、病室がうるさくなるよ』
『なんで、うるさくなるんだ?』
『みんなが、省吾を見に来るよ』
『僕の顔を見に来るのか?動物園だな、ここは・・・・』
『入園整理してくれるよ。卓磨と大原まり子が整理券をくばって、入園料とって』
『ほんとか?』
『あははっ、うそだよ~』
僕は、左肩の玲に頬を寄せるようにして笑顔になっていた。僕を見て、すれちがう看護師が笑っていた。午後の院内に患者は少ない。通路を移動しているのは看護師と見舞いの人くらいだ。
看護師二人とともにエレベーターに乗った。二人とも外来専門の看護師で、僕とは馴染みが薄い。
「すみませーん。乗りまーす」
声とともに、大原まり子と卓磨がエレベーターに駆けこんだ。ふたりは僕に気づかない。
僕は、顔の包帯を取る前に、腕のギブスを取り換えて肘が動かせるようになっていた。
今、顔の包帯が取れて腕のギブスが変った僕に、今までのミイラ男の印象はない。僕はふたりを驚かせようと思って、黙ってふたりを観察した。
エレベーターの中でふたりは何も話さなかった。
三階でエレベーターが止まった。
エレベーターを出たふたりから遅れて、僕はエレベーターから出た。少し離れてふたりの跡を歩いて、ナースステーションに挨拶し、病室をそっと覗いた。
大原まり子は椅子に座って、卓磨はベッドに腰かけていた。
僕はゆっくり、そっと病室に入って、ふたりに微笑んだ。
「おかげで包帯が取れたよ。こんな顔になった・・・」
病室に入る僕を見て、一瞬ふたりは、見知らぬ人に声をかけられたような表情になり、いつものふたりに戻った。
「うわおっ!ビフォー、アフターだね!」
卓磨が珍しい彫刻を見るような顔で僕の顔を見ている。
「整形、うまくいったのね!」
大原まり子の表情も卓磨と同じだ。
「ああ、以前とは変ったよ。長岡さんが話したようになってた・・・」
僕は何気なく左肩を見た。玲は見えなかった。耳の後ろに隠れているらしい。
「不満ですか?」
卓磨がニタニタしながら僕を見ている。以前より顔が引きしまったと言いたいのだ。
二ヶ月もギブスと包帯を捲かれていれば、顔といえど贅肉は無くなるし、筋肉は痩せる。怪我した筋肉も縫合したから、なおのことだ。
「カッコイイよ!田村君の変貌をみんなに話していいよね?」
大原まり子はちょっと興奮気味だ。スマホで僕を写真に撮っている
「いいよ。顔を隠すわけにゆかないからね」
まだ、顔の筋肉をうまく動かせないような気がする。包帯を巻かれていた時はけっこう笑ってたから、そう思うのは気持ちだけだ。
『そうだよ。なにも心配ないよ。正常に動くよ。みんなが省吾を見にくるから、週末はにぎやかだよ~』
玲が肩で囁いている。
『やれやれ、これだと完全に見せ物だな。玲。なんとかならないか?』
『遠目には以前とかわんないよ。みんな、いちどだけ顔を見れば、納得するよ』
『やっぱり、見せ物だぞ。卓磨に言って入室制限させようか?』
『だいじょうぶ。みんな、気を利かせて、少しずつ、見舞いにくるよ』
『それならいいか・・・。
玲のお母さんは?ここにはこないのか?』
『わかんないよ。近くに来てたみたいだけど・・・。
でもね。会えるよ。近いうちに・・・。楽しみにしてようね』
『わかりました。守護霊様』
「省吾。スケッチしてましたよね。ここの壁に貼りませんか?」
「どうして?」
「白い壁だけだと殺風景でしょう。看護師さんに頼んで貼らせてもらいましょう。
省吾の絵は、見栄えするから、みんなに受けますよ」
そう言って卓磨は戸棚の上のスケッチブックを開いている。