十三 ケーキ

文字数 2,813文字

 明美とともに暮して一ヶ月後、土曜、午後。
 僕と明美は昌江の病室にいた。
「いっしょに暮らして一ヶ月、もう夫婦みたいに暮らしてる。再来年の春、卒業したら明美と結婚する。就職は地元にします」
 僕は昌江の手をさすりながら伝えた。
「あなたって、まじめね・・・。あなたたちが決めた日なら、いつでもいいのよ」
 昌江は笑顔で明美と僕を見ている。昌江の容姿は明美とよく似ている。
「自分の好きなようにしてるだけだよ・・・」
 守りたい者を守り、助けたい者を助ける。無理はしない。自分ができる範囲で行動している。自分のしたいようにしているだけだ。守りたい者の中心に、明美がいる。そして母の昌江がいる。実家の両親には兄夫婦がついている。明美は僕のそうした考えを理解している・・・。僕は、これまで僕を支えてきてくれた人たちと、今、身近になった人たち皆に感謝している・・・。

「このあとお父さんに挨拶して、久しぶりに明美と映画に行こうと思ってる。
 どっちも夕方からだから、時間はあります」
 明美の父原田壮一郎の菩提寺に、原田家の墓がある。
「ありがとうね。お父さんも喜ぶわ。
 いろいろ気づかいも大切だけど、二人の時間を大切にするのよ・・・」

 しばらく昌江は口を閉ざしていた。僕を気づかって話をさずにいたが、僕の気持ちが固まったのを納得した上で、決心したかのように、僕の両親の伝言を伝えた。
「昨日の午前中、あなたのご両親が来たわ。
 年末年始はこっちにいて、家族と、特に明美と過すように伝えてください、と頼まれたわ。あなたによろしくって・・・。二人とも、あなたに会わないで帰ると言ってた。信頼してるからって。
 あなた、ご両親に似たのね・・・」
 昌江はしみじみとそう言った。
「はい・・・」
 僕は昌江の言葉を否定しなかった。僕が似たのは父だ。あの自己中の母は反面教師だ。昌江は、年末年始、僕が明美の親戚に会ってプレッシャーを受けるのを気にかけていたのだろう。やはり、明美の人を気づかう性格は、母の昌江に似たらしい。明美は歳を取れば、昌江のようになるだろう・・・。
両家族が公認した明美と僕の生活は、年の瀬に向って穏やかに進行していた。


 翌日、日曜、午後。
 明美と僕は、知りあいのケーキ屋Cedar treeに注文していたケーキを持って昌江の病室に行った。事前に、病室の入院患者がケーキを食べれるか否か看護師に尋ねていた。全員、市販のケーキを食べれるので八号(二四センチ十~十二人分)のクリスマスケーキを注文していた。
いつもなら、北関東特有の空っ風が吹いて、その割りに陽光が眩しくて暑いくらいなのに、この日は風のない穏やかな日だった。窓から射しこむ陽光は季節を忘れた小春日和のように心地良い。陽射しを避けて窓辺近くの戸棚の上に置いたフラワーアレンジメントも、先週の月曜に持ってきた時と同じに活き活きしていた。

「はい、ケーキ。クリスマスとかそういうふうに特別に考えないでね。
 たまにはこうして、みんなでケーキを食べるのもいいでしょう?」
 明美は昌江のベッドサイドテーブルでケーキの箱を開いて、持ってきた皿にケーキを取り分けている。
「そうね。省吾さん、みなさんに差しあげてね」
 昌江は僕にそう言って、隣のベッドの木村さんや他の二人に微笑んだ。
 明美と僕は皿に取り分けたケーキにフォークと飲み物を添えて、皆のベッドサイドテーブルに運んだ。

 僕が昌江の見舞いに来るようになってから、木村さんを除く患者二人が退院して、新たに二人が入院している。みな、昌江から原田家の内情を聞いているらしく、気楽に僕と話すようになっていた。
 入院患者は、皆、昌江と同世代だ。僕と明美のような世代の者が家族にいると思うが、明美と僕のように、見舞いに来てあれこれ話す者がいないらしい。
「遅くなって、すみません・・・」
 花屋の店員、明美の義姉の木村良子が病室に現れた。僕と明美の顔を見て微笑み、持ってきたフラワーアレンジメントを、窓辺近くの戸棚の上に置かれたフラワーアレンジメントと交換した。

 明美から花屋の店員が義姉だと聞かされた翌日、僕は昌江に植物の本を届けた。そして花屋へ行って、良子に、明美との事を説明して自己紹介した。すでに良子は昌江の病室を訪ねて、フラワーアレンジメントを見て、明美と僕の関係を確認していた。
 その事を知っているはずの昌江は、良子の事を僕に何も話さなかった。昌江の気遣いか、それとも良子を紹介するのを忘れてたのか定かではないが、昌江が良子にも僕にも、互いの存在を知らせなかったのは確かだ。僕は昌江の病状が気になった。
「省吾、どうしたの?」
 明美が僕にケーキがのった皿を手渡した。僕は昌江のベッドから離れて、陽射しが暖かな窓辺に明美を誘って独り言のように明美に呟いた。
「お母さんは、なぜ、僕と良子さんに、互いの事を話さなかったんだろう」
 僕は、昌江が病気のせいで物忘れが激しくなったと思ったがその事を話さなかった。明美は僕の考えを感じていた。
「ああ、お母さんの性格だよ。あれこれ説明するより、本人に確かめさせる主義なの。おかげで、私は人に訊かずに自分でいろいろ調べるようになったし、計画的にもなったの。それなりの行き違いはあったけどね。
 母の病気はあとで話すね。今は、検査も兼ねて定期的に長期入院してるの・・・」
「わかりました・・・」
 やはり、病室で話す内容ではない。昌江の病名と状況を知っても、病状が変化するわけではない。いずれ明美が話してくれるだろう。

 僕は話題を変えた。
「お母さんは、明美が幼い頃から、明美のことをいろいろ考えてたんだね・・・」
 僕は、義姉の良子や隣のベッドにいる木村信子さんと話す昌江を見た。義姉の良子も隣のベッドの信子さんも名字が木村だ。単なる偶然か?
「隣のベッドの木村信子さん、義姉の親戚なの。
 義姉は仕事があるから、朝、お見舞いに来るの。兄もいっしょだよ。だから、私たちとは出会わなかった。今日も兄は仕事だから、あなたと会うのは冬休みに入ってからだね。
 ああっ、兄はあなたを避けてるんじゃないよ。心配しないでね。母に似て、慌てない性格なんだ。いつでも会えると思うから、慌てずにいるの。あんまり話さないけど、母に似た感じだよ。
 義姉は、省吾がここにフラワーアレンジメントを持ってきた翌日、見覚えのあるフラワーアレンジメントがここにあったんで、気になってたと電話で話してたよ」
 明美は良子からの電話を思いだしたらしく、昌江と良子を見て微笑んでいる。僕は明美を見つめた。この母にして明美ありだ・・・。
 優しく包むような初冬の陽射しに、明美の柔らかな長い巻き毛の髪が、ふんわりと薄茶に染まって見えた。僕の視線に気づいて、明美が僕を見て微笑んだ。
 あれっ?この顔、この笑顔、どこか他の所で見た記憶がある・・・。
 僕はどこで見たのか、思いだせなかった。
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