五 一目惚れ

文字数 1,034文字

 M電鉄の六つ目の東新田駅で下車した。ここから明美の家まで徒歩で十分ほどだ。
 下車してから明美はずっと僕の腕を抱きしめたまま離さない。知りあいらしい駅員と挨拶する時も僕の腕を抱きしめるようにしている。やはり、昌江に何かあって、その何かを紛らわせるために、僕の腕にすがっているのだろう。僕は明美に合せて駅員に挨拶した。

「何があった?」
 駅を出た。歩道を歩きながら尋ねた。晩秋の夜空は雲一つない星空で風が冷たい。明美が抱きしめている左腕に明美の柔らかさと暖かさが伝わってくる。
「省吾に会いたくって、がまんできなかった・・・」
 明美は僕の腕を抱きしめて俯いている。
「うれしいな。そう言われると」
 僕は明美の腕をさすった。

 明美が星空を見あげた。そして歩道を見つめて話した。
「母は何年も入退院をくりかえしてて、私は大学と母の事と家の事があって、ずっとそれを続けてきた。
 祖父母も兄も、大学の事は知らないから、私の話を理解できない。
 何かある時は大淵さんに話を聞いてもらってた。
 それが当り前だと思ってた」
「うん・・・」
 僕は明美の腕をさすり続けた。
「だけど、大淵さんはそれ以上じゃない・・・」
「わかってる・・・」

 話を聞いて助言するだけなら誰でもできる。助言には責任を持たねばならない。相手が自分に好意を抱いているなら、助言は単なる助言でなく、好意に応えるのと同じだ。行動が伴えば、確実に相手の好意に応じたことになる。
 こうして明美の要望に従う僕は、大淵の代りに明美の相談相手になるだけでなく、大淵以上の存在になろうとしている。明美はそれを期待している。
 偉そうにこんな事を考えるけど、明美に会った時、僕はアルパカに似た、かわいい明美に一目惚れしたのを感じた。
 心のどこからか『そうだよ』と懐かしい声が聞えた。僕の心の声だろうか・・・。

「お母さんは変りないのか?」
 僕は気になっている母の昌江の様子を尋ねた。
「今日もお見舞いに来てくれたんだね。検査だったんだよ。異常無しだよ・・・」
 明美が歩調を緩めた。星明りと車のライトに浮ぶ僕の顔を見つめている。
「ああっ!無理なお願いしたから、母に何かあったと思ったんだね!
 ごめんね!そうじゃないの!
 今日、家に泊るだけじゃなくて、お願いがあるんだ。驚かないでね!」
「ああ、覚悟してる・・・」
 そう言ったものの、何を言われるのか想像がつかない。
「家に着いたら話すね・・・」
「わかりました」 
 そうこうしているあいだに、明美の家に着いた。
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