十二 うれしい痛み

文字数 837文字

 翌週、木曜、午後十時過ぎ。
 家庭教師が終って帰宅した。今日は家庭教師先が多忙で夕飯が出なかった。事前にその事を明美に伝えてあった。
 遅い夕食後。
「明美の両親に会っておきたい・・・」
 僕は台所で、洗い物をしている明美に言った。明美の母、昌江は入院している。父親はすでに他界してお寺だ。
「どうしたの?」
 シンクに向ったまま、明美は向きを変えない。
 僕は明美の腹部に両腕をまわし、背後から抱き寄せて、明美の耳元で話した。
「こうしてたら、正式な主婦だね・・・。
 暗黙の了解だけで、いっしょに暮してるのは、いやだろう?」
「何のこと?」
 明美は洗い物を続けたままだ。
「正式に、挨拶しようと思ってる」
「先日二人で見舞いに行って、母に挨拶したでしょう。母も認めてるよ」
 明美の声が弾んでいる。
「今度は正式に、卒業した春に結婚すると宣言する。宣言はおかしいな・・・」
「だいじょうぶだよ。お母さん、よくわかってるよ」
 明美が向きを変えた。僕と向き合って僕の腰に腕をまわした。腕に力が入っている。
「だから、お母さんは、病室で結婚衣装を披露して、婚姻届を出すだけでいいって」
「わかった。そうするよ」
 僕も力をこめて明美を抱きしめた。

「省吾、植物図鑑を届けてから 毎日、お見舞いに行ってるでしょう?
 あなた、お母さんに気に入られてるよ。何を話したの?」
 明美は顔を離して、僕を見つめた。
「天気の事とか、その辺の野草の事とか、庭木の事とか、そんなとこかな・・・。
 ああ、明美の事を訊かれたよ。気配りする優しい人だと話しといた。人を気づかう性格だと。僕は明美が大好きだ、とくに容姿が大好きだと言っといたよ」
「あなたらしいね・・・」
 明美が目を伏せてふっと笑った。
「そうか・・・」
 僕は明美を力いっぱい抱きしめた。明美の髪から、大好きな明美の匂いがする。
「あんっ、だめっ、潰れる・・・胸が・・・」
 強く抱きしめられて、明美はうれしい痛みを訴えた。
 僕はこのままずっと明美とともにこの家で暮らしたい・・・。
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