十三 斉藤卓磨

文字数 2,265文字

「やあ、痛々しいけど、元気そうだね。
 手術後の昏睡してる時、見舞いに来たんだけど、そのあとは、連休前に出されたレポートの提出期限が迫ってて、見舞いに来られなかったんです。昨日の締め切り日に、ようやく提出できた。機械科は提出物の評価が単位取得に大きく影響するんですよ。
 ああ、大原さんから聞いたよ。手術前に、一度、死んだんだってね。
 あの世はどうでした?生き返ったということは、三途の川を渡らなかったんでしょう?」
 卓磨は病室に入ると、いつもの笑顔のまま冗談のように話した。

 いつも卓磨は微笑んだような顔をしている。ちょっと面長で鼻筋の通った高めの鼻と、わずかに張っている頬骨が印象的だ。歯並びは良く、薄めの唇だけ動かして笑うようにニッと口角をあげると、きれいに並んだ上下の歯が見える。茹でたトウモロコシを渡せば、そのきれいに並んだ歯で、トウロコシの並んだマメの列をいっきに噛みとってしまう気がする。髪は黒くて縮れ毛。マッチョで、一見いい男。よく見ると、バラエティー番組でマントヒヒに似ていると揶揄された俳優に似ているが、性格はいたって穏やかだ。

「ああ、死んでたらしい。この世とあの世の境の門まで行って追い返されたけどね。
 大原さん、バッグの中に、卓磨のボイスレコーダーがあるから、返してあげてください」
「ああ、これね・・・。はい、斉藤君・・・」
 大原まり子は、戸棚のショルダーバッグからボイスレコーダーを取りだして卓磨に渡した。
「なんだか気になって、壊したらいけないと思い、タオルに来るんでおいたんだ。
 それから、ふたりに頼みがある。
 僕が映画サークルに入っているのは知ってるよね?」
「ああ、知ってるよ・・・」と卓磨。
「僕は三ヶ月入院するから、映画サークルの活動ができない。
 ふたりに、その代役をお願いしたいんだ。
 活動と言っても大した事じゃないよ。無料で上映映画と試写映画を見て批評するだけだ。
 僕の代りをしてくれるなら、あの蝶ネクタイと、オリオン座の支配人に連絡するよ」
 試写会と映画の批評は、映画館オリオン座で支配人の大森さんを交えて行っている。

「僕はかまわないよ。映画を見て感想を話すだけでいいなら、協力するよ。
 大原さんも、協力しようよ」
 卓磨は大原まり子に微笑んでいる。
「そうね。映画サークルの人は苦手だけど、斉藤君といっしょなら、いいわよ」
「よし、決った。バッグにスマホと映画のチケットがあるから取ってください・・・」
 僕は大原まり子に、バッグのスマホと映画サークルのチケット、映画と試写会の無料招待券を取ってもらった。
「蝶ネクタイ、名前は谷川さんだったよね。オリオン座の支配人は大森さん・・・」
 僕は谷川さんと大森さんに連絡した。
 ふたりとも僕の代役の卓磨と大原まり子を承諾してくれた。僕は谷川さんと大森さんに、卓磨と大原まり子の連絡先を伝えた。

「さあ、これで、代役になったよ。はい、チケット。卓磨に渡しとく。
 しっかり、大原さんをエスコートするんだぞ」
「大原さん、よろしくね」と卓磨。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 大原まり子の頬がほんのり赤い。
「支配人の大森さんが、もし可能なら、今上映している映画も見てくれと言ってた。映画が終ったら批評会の予定だそうだよ。
 批評会は七時だ。批評会前の映画上映は、その四時間前だから、午後から行ってくるといいよ」
 僕がそう話しているあいだ、大原まり子は何か考えていた。
「母が来るだろうから、小山絵里に話さなくていいよ。ストーカーも心配ないよ」
『心配ないよ~』
 玲が僕に囁いている。

「大原さん、予定は?よかったら、いっしょに行きませんか?」
 卓磨はうれしそうに大原まり子を誘っている。
 卓磨に誘われて大原まり子はうれしそうだ。卓磨に向けた大原まり子の微笑みは、愛想笑いではなさそうだ。
「いっしょに行ってきてね」
 僕がそう言うと、大原まり子は頷いた。
「はい・・・」
「そうと決ったら、母に連絡しとくよ・・・」
 僕はその場で、母に連絡して、大原まり子に用ができて、お昼から出かけると伝えた。母はすぐに病室に来ると言って電話を切った。独りで学生寮の来客室にいても、つまらないらしい。だけど、母が宿泊しているのは僕が暮らしている男子寮だ。何をして時間を潰しているのだろう。母のことだ。若い学生たちを相手におしゃべりしているのだろう。

「お母さんが来るまで、ここにいるね」
 大原まり子は申し訳なさそうに僕にそう言って、卓磨に微笑んでいる。
 一瞬、僕の心に、慣れ親しんだ大原まり子をどこか手の届かない遠くへ送り出してしまうような、説明できない寂しさが湧いた。同時に、自分の寂しさを紛らわせるだけで、大原まり子の気持ちを利用してはならないとの気持ちも湧いている。
 僕に抱きついたり、手をさすったりする大原まり子は、僕を恋愛対象に見ているのは確かだ。大原まり子と話した事はないが、ずっと親しい友だちでいたいと話したら、彼女はいったいどう返答するだろう・・・。

「大原さん、ありがとう・・・。
 目覚めて今日で三日目だ・・・。一日が長いな・・・」
 僕は、湧きあがる気持ちとは違う事を話して、気を紛らわせた。
「動きたいですか?」
 卓磨が僕の言葉に応えた。卓磨はバカ正直な所がある。どんな事にもまじめに対応する性格だ。もし、大原まり子が卓磨に恋愛対象として好意を示せば。卓磨は快く、ごく自然にこれに応えるだろう。
 ただ一つ心配なのは、まじめすぎる卓磨の性格だ。それも、大原まり子が直してくれる気がする。
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