四 馴れ馴れしい女

文字数 867文字

 翌日、土曜日、朝。
「田村君、朝食、食べられるかしら?」
 朝の検温で看護師が僕に尋ねた。
「胃腸は怪我してないから、食べれるよ」
「箸とフォークとストロー用意するね」
「だいじょうぶ、左手で箸を使える・・・」
「左利きなんだね」
「右利きだよ。顔の包帯があるから、汁物はストローだね」
「ミイラ男、ストローでスープを飲む、だね」
 看護師は声を押えて笑った。
 馴れ馴れしいな。なんで、この女はこんな冗談を言うんだろう。僕と知りあいか・・・。
「体温は正常ね。
 トイレどうする?一人でトイレへ行ける?
 ついていって、世話してあげようか?」
 やはり、知りあいみたいだ。ずいぶん親しそうだ・・・。
「行ってみる。今から行ってみるよ」
「わかったわ・・・」
 看護師はベッドの背を起こして僕をベッドから起こし、床に立たせた。僕は、点滴スタンドを押す看護師に付き添われてトイレへ行った。看護師はトイレから出てくる僕を待っていて、ふたたびベッドまで付き添い、僕をベッドに寝かせた。

 朝食がすんで、何事もなく回診が終った。長岡さんは、順調に回復してると言った。
 午前十時過ぎ。
 数人の女が見舞いに現れた。全員M大看護学科の学生と言うが、見覚えはあるものの、名前を思いだせない。女たちとの記憶が無いのを気づかれないよう、僕は女たちと適当に話を合せた。
 興味無い事を興味あるように聞き返したり、記憶に無い事を知っているように話すのはとても苦痛だった。聞き上手な人がいるけれど、そういう人の気持ちが僕にはわからなかった。

 今朝の回診で、病室を訪れる人の名前を思いだせない事を長岡さんに話してあった。
「脳震盪を起こして昏睡していたから、一時的なものだろう」
 と長岡さんは説明した。
 昏睡していた事自体が問題だろうと思ったが、昏睡の原因とその影響で誘発される症状がわかっても、何かが改善されると思えなかったから、人の名前を思いだせない病理的理由を長岡さんに尋ねなかった。
 看護学科の女たちが帰った後、哲学と経済学の教科書を読んだ。やっばり理数系の教科書の方が性に合っている・・・。
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