十五 玲のお母さん

文字数 3,519文字

 僕は心だけの存在になって、玲とともにS公園の松の樹の梢に座り、事故に遭う実体としての僕を見ていた。

 実体の僕は、自転車に乗った小山絵里をあおり運転していた車の左フロントで撥ねられ、左車線の歩道と車道のコンクリートの段差がある縁石に、顔面と右肩から激突した。
 縁石にぶつかった衝撃で、鼻と頬骨と顎が砕け、頸椎を捻挫し、右鎖骨と右肩関節と左右の肋骨、そして右腕上腕骨と尺骨と橈骨を骨折した。縁石に激突した衝撃で、僕の心臓は不規則な動きをしていた。
 僕を撥ねた車のドライバーは車を止めて、ブルブル震えたまま何もできずにいた。
 小山絵里は僕が撥ねられる直前にブレーキをかけて自転車を停止していたたため、事故の一部始終を目撃していた。彼女はすぐさま救急車を呼び、警察に連絡して事故の一部始終を伝え、僕を撥ねた車のナンバーも伝えていた。

 心の存在の僕は彼女の行動を見て感心した。同時に、左車線に立ったまま、無惨な状態の僕を、車に撥ねられた犬や猫を見るように見ている彼女の態度に、人の本心ってこんな時に出るんだなあ、と呆れた。

 S公園の近くに消防署と警察があったため救急車と警察がすぐに駆けつけた。僕の心臓は不規則な動きをしていたが、病院に着くと同時に停止し、心肺蘇生法を受けたまま手術室へ運ばれた。


『ねっ、死んだよ。でも、生き返ったよ』
『わかったよ。それで、難題門の前まで行ったのか・・・。
 あの門、どうしてあんなに強固に作られてるんだ?城壁だって、とてつもなく高くて強固に見えたぞ。厳重に警備されてるのか?』
『警護の者たちは、見えなかったんだね。性格は悪くないけど、見た目の凄い強面(こわもて)の人じゃないな。強面の者たちが、たくさんで難題門と城壁を守っているよ。人がかんたんに入ったり出たりしないように・・・』
『美具久留の爺ちゃんは、どうしてあそこにいたんだ?』
『門番が連絡したんだよ。爺ちゃんの身内がまちがって来てるから、連れもどせって』
『門番たちは、鬼か?』
『人がつけた名前は鬼だよ。門と城壁を守ってるのは、みんな、鬼だよ。
 みんな、心で話すんだよ。だから、ウソはつけないよ。
 でも、こわくないよ。やさしいよ』
 玲はそう言って、玲と話す鬼の姿を見せてくれた。その姿はまさに、映画に出てくる魔物の鬼だった。しかし、玲と話す鬼は、優しいまなざしで玲を見つめて、
「お父さんといっしょに、お母さんを探すなら、お父さんに、ほんとうの心で物事に立ち向うよう、話してあげなさい」
 と話している。これって美具久留の爺ちゃんが話した事だぞ。

『そうだよ。心のなかのことが、人の心に伝わるんだよ』
『それで大原まり子に手を出そうとした僕を、玲が止めたのか・・・』
『大原まり子、お母さんになるって決心できないんだよ。だから、あたしのお母さんじゃないよ』
『ありがとう。わかったよ。真の心だな。戻ろう・・・』
『うん。もどろうね』
 松の梢で、玲が心の存在の僕の左手を握った。

 僕は怪我した僕の顔が気になった。
『真の心が伝わると言ったって、つぎはぎだらけの顔では心を伝える前に、人は逃げだすよ。
 玲。僕の顔はどうなるんだろう?フランケンシュタインになるのかな・・・』
『だいじょうぶ。もとどおりになるよ』
 玲がそう話している間に、玲と僕は病室のベッドにいた。
 僕の左手は小金沢真理子に握られていた。
『僕の顔、傷痕が残るのか?』
『長岡さんが話したように、まえより、カッコよくなるよ。
 まわりの女の人が、省吾に関心を持つから、気をつけてね』
『わかりました。玲が、僕にはたくさん女がいるから縁を切るんだよ、と話したのは、冗談じゃなかったんだね?
 玲が話した女は、女の友だちの事なんだろう?』
『うん、そうだよ。でも、省吾は恋人予備軍に思ってたよ』
『そういう人、あと、何人いるの?』
『えっちゃんに、まさこに、アッキーかな。三人だね。みんなお友だちだよ』
『気にしなくていいのか?』
『今は、気にするのは、この真理ちゃんだけだよ』
 玲は、母と話しこむを小金沢真理子を見て、何かに気づいたらしい。
『真理ちゃん、なんだか、女っぽいね。しょうご~。こういう人が好きなんだね~』
『こら、からかうな・・・』

『でも、だいじょうぶ。あたしのお母さん、省吾とあたしにやさしいよ
 ほかの人は、自分にやさしいだけだよ・・・』
『どういうことなの?』
『ほら、ちっちゃい子どもが、好きだから仲よし、けんかしたから仲よしやめた、というのがあるよね。人はおっきくなっても、そのままだよ。
 でも、あたしのお母さんはちがうよ。省吾のほんとうの心を見て、省吾を好きになるよ。そして、あたしのお母さんになるよ。
 お母さん、やさしいよ』
『聖母みたいだね』
『うん。お母さん、さがそうね』

『真理子をどうしようか?』
『省吾のお母さんにまかせたら、どうするかな?』
『ダメだよ。僕の世話をしてくれるなら、僕の相手は誰でもいいと思ってる』
『うわっ、それって保護責任者なんとかだね!』
『母は、何だかんだ言っても、こうしてここにいるから、僕の世話をしてるように見えるけど、僕の世話をしてくれる人を、早く見つけようとしてるだけさ。
 母は、しっかりした人なら、僕の相手は誰でもいいんだよ』
『それって、省吾の意志にまかせるってことだね。
 ヤッホー。安心したよ!お母さん、さがそ!』
 玲が小さくなって、ベッドの僕の横で小躍りしている。
『玲は、僕が母から何か忠告されるのを心配してたのか?
 それは無いよ。早く自力で生きろと考えてるみたいだよ。
 そう言う意味なら、保護責任者なんとかだね』

『なんだか、鎖につながれた犬だね』
『どういうこと?』
『鎖につながれた犬は、鎖からのがれて自由に動きたいと思うの。
 鎖につながれたことがない犬は、鎖につながれて犬小屋で暮らしたいと思うの。
 ノラとカイイヌのお話・・・』
『アハハ、僕はノラにはならないよ。玲がいるし、玲のお母さんもいるからね』
『うれしいなあ~。
 真理ちゃんと話すといいけど、真理ちゃん、何も話さないよ。
 でもね。手の握り方を感じて、省吾を理解するよ。
 あたしのお母さんのこと、わかってるだけ、省吾に教えるね。
 真理ちゃんから、誤解されないようにしてね。
 ヨイショ・・・』
 玲がさらに小さくなって、僕の髪の間に入った・・・。

『じゃあ、あたしのお母さんの顔と姿を教えるね・・・』
 僕の心に、二十歳前後のかわいい()が現れた。
『うわっ・・・。アルパカ・・・、じゃない・・・。なんて、かわいいんだ・・・』
『はい、じゃあ、わすれてね』
『なんで?』
『省吾はいろいろ考えこむ性格だよ。お母さんのこと、あれこれ想像しちゃうでしょう。
 想像したのがお母さんとちがうと困るから、記憶を消しておくね。
 かわいいお母さんに会うという、大事なことだけは残しておくよ』
『玲がお母さんを知ってるなら、すぐ探せるぞ。
 大原まり子や小金沢真理子とすっぱり縁を切って、お母さんに連絡しよう!』
『あたしも、教えてもらったばかりだよ。爺ちゃんに。
 お母さん、あたしと省吾のこと、まだ知らないよ。無理に会っても、お母さんになるっというまで、時間がかかるよ』
『そうか。自然の成り行きに任せろって事だな。三ヶ月はここから出られないから、まあ、そうするしかないね』
『そうだよ。じゃあ、真理ちゃんを観察してね』
『うん。わかったよ』

『真理ちゃんの手、握りかえしちゃダメだよ。握りかえすと、省吾が意思表示したと思うよ』
『真理ちゃん、玲のお母さんになる、と言わないかな?』
『いわないよ。お母さんになる気、ないみたいだよ』
『いずれ結婚するだろう。そしたら子どもができるだろうに?』
『結婚して、赤ちゃんができたら、産むんだって。
 そういう考えの人に、赤ちゃんはこないんだよ』
『じゃあ、子どもはいらないと言う人に、子どもができるのは何?』
『自分で気がつかない部分のほんとうの心で、赤ちゃんを産みたいと思ってるんだよ。
 だって、その人、産まれるまでも、産まれてからも、大事に育てられたから。おっきくなって、そういう記憶をわすれてるだけだよ』
『そうか・・・。真理ちゃんは、大切に育ててもらえなかったんだ・・・』
『はためには、大事に育てられたよ。
 でも、真理ちゃん、自分のお母さんの気持ちを感じてたんだよ。
 お母さんは、人を愛せない人だと・・・』
『そういうことか。愛情って、育てられる時に記憶するんだね・・・。
 僕は愛情を記憶しているんだろうか・・・』
『大切に育てられたから、記憶してるよ。その後、適当だったよ』
『やっぱりな・・・』
『そしたら、真理ちゃんを観察してね~』
『わかりました・・・』
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み