十二 大原まり子の相手

文字数 3,534文字

「私、あの人たち、苦手なの・・・」
 大原まり子がギブスに包まれた僕の右手の指を握りながら呟いた。
「どうして?」
「難しい事を話すから・・・」
「そうか・・・」
 大原まり子は主義主張など、形式張った事が嫌いだった・・・。大原まり子が話したのは家族や、友だちや、趣味などについてで、映画サークルの面々が語るような、映画から類推される主義主張の類を口にしなかった気がする。

 大原まり子は僕への好意だけで、僕を看護するようになったのだろうか?看護師、平田麻美のストーカー行為から僕を守るために、小山絵里と交替で看護すると話したが、小山絵里が病室に来たのは僕が昏睡から醒めた一昨日の金曜だけで、その後、病室に来ていない。大原まり子と小山絵里の間で何かあった気がするが、ふたりで誰が僕の付き添いをするか揉めて、恋愛の相手が付き添いをすれば良いと結論したのだろうか?僕は記憶が曖昧だから、実際に何があったか推測するのみだ。
 大原まり子が僕を恋愛の対象に考えていても、僕はそう思っていなかったはずだし、僕は大原まり子と特別な関係ではなかったはずだ。その事は玲も認めている。

「あなたが眠っている時、長岡さんが回診に来て、起こさずに回診していったよ。今は休ませるのが先だと言って。目が醒めたら身体を動かせって・・・」
 大原まり子は僕の右手を撫でながらしみじみ話した。なんだか僕の右手を慈しんでいる感じがする。

『玲。僕は大原まり子と何もなかったと言ったけど、実際は何かあったんだろう?』
 僕は、布団の中に隠れている玲を呼んだ。
『えへへ、そうだよ。省吾がこの娘に手を触れようとしたから、止めたよ。
 なぜって、省吾の覚悟ができてなかったからだよ。
 中途半端はいけないよ。後悔するよ』
『だったら、どうしたらいい?大原まり子はこうやって僕を看護してるんだ。
 何とかしないと、大原まり子の心が傷ついてしまう』
『大原まり子は、二度と後悔したくないって思ってるよ。
 省吾に迫られた時、省吾にたくさん触れてもらえばよかったと思ってるよ』
『どういうことだ?』
『省吾は一度、死んだんだよ』
『だから、どういうことなの?』
『だって、一度死んで、難題門の前までいったでしょう。
 大原まり子は、省吾が、一度、死んだのを知ってるから、後悔してるんだよ。省吾は大原まり子の一番の理解者だったんだからね』

『僕と大原まり子は、いつも、何を話してた?』
『大原まり子は美術科の山野薫に恋して、その時の相談相手が省吾だったんだよ。彼女、省吾に何度も電話して、相談してたよ』
『そんな事があったなんて、まったく憶えてなかった・・・。
 だけど、思いだした・・・』

 大原まり子は僕に恋して、相談は、僕に会う口実になってた。その事は、ふたりで会って相談話を聞く時、彼女の態度と話の内容で、はっきりわかった。
 女子寮と看護学科でも、大原まり子と僕の関係は、親友同士として公認だった。大原まり子も、小山絵里も女子寮に住んでいる。大原まり子が付きっ切りの看護してるから、皆、大原まり子と僕が恋人の関係になって、小山絵里が脱落したと思いはじめたらしかった。
 そんな根も葉もない理由で、大原まり子に冷たく当らなくていいのに、女子寮の女たちや映画サークルの女たちには困ったものだ。僕が女たちの恋人でもないのに、なぜ、大原まり子に嫉妬するのだろう・・・。

『女の所有欲の表れだよ。見えない所で戦って火花を散らしてる。
 省吾、黙ってると、もてるよ。話すと、イメージ壊れるよ』
『玲は何を言いたいの?』
『なんていえばいいのかなあ・・・。
 省吾がいると、その場が引きしまるよ。
 でも、話すと、難しいんだよ。
 どうでもいいことに、なんでも理由を見つけようとするからね』
『何にでも、理由はあるだろう』
『じゃあ、胸キュンの理由はなに?説明できる?』
『神経伝達物質の不足だろう?セロトニンの?一時的な精神不安定だろう?』
『そうなる理由は何?』
『わからん!そんな事、話してる時じゃないだろう!』
『でも、大原まり子と話している省吾は、難しいことを話さないね』
『うん、大原まり子は、聞いてほしい事がたくさんあったから、聞いてあげたよ。
 聞いてあげなかったら、どうなってたかな・・・』
『無理にでも、聞いてもらったと思うよ。大原まり子、ああ見えて、押しが強いよ』
『もしかして、大原まり子も、ストーカーに成りつつあるのか?』
『どうしてそう思うの?』
『看護師、平田麻美は、嫌がる相手にいろいろ強要するからストーカーとすぐわかる。
 僕は大原まり子を嫌ってない。彼女は僕が嫌がる事をしない。ストーカーの看護師がいるから、彼女がいると助かる』
『そうだね。まわりから勘ぐられて、実態は親友のままの彼女はつらいよね』
『もし、僕が大原まり子に、もう僕の世話をしなくていいと言っても、大原まり子は僕にくっついていると思う。
 僕が彼女を嫌っても、彼女、僕の世話をするために、ここに来ると思う。
 いい娘だとは思うけど、今の僕は、彼女の気持ちに答えられない気がする』

『やっと気づいたね。過去の省吾は、スケベでいい加減だったよ』
『そう言うな。一応、僕が玲の父親なんだろう?』
『うん、そうだよ。
 スケベしょうごは、難題門のなかへ、いっちゃったよ。
 今は、マジメになったよ』
『いつ、スケベが復活するか、わかんないぞ』
『冗談はやめてね』
『うん、わかってる。
 玲は、大原まり子の結末がわかってるんだろう。何とかしてあげられないのか?』
『う~ん・・・。そうだ!うまい方法は、省吾の代りを見つけることだよ!』

『おおっ!卓磨を呼ぼう!斉藤だよ、機械科の!』
『ええ~。あのオタクを呼ぶの?ネチネチしてて、あたしニガテだよ~』
『大原まり子の相手を見つけるんだから、呼んでよ。頼むよ。
 アイツから、ボイスレコーダー、借りたままなんだ。バッグに入ってる。
 小山絵里が、壊れてないって確認したから、早く返したいんだよ』
『それって、あのオタクを呼ぶ口実だよね』
『わかるか?』
『わかるよ~。しょ~がないなあ~。
 ちょっと待っててね。大原まり子を、その気にさせるからね・・・。
 あ~ぁ、あたしのお母さんを探す前に、大原まり子の相手を探すのかあ・・・』

 僕は、僕の右手を撫でている、彫りの深い大原まり子の横顔を見つめた。
 正面から見ると丸顔なのに、横から見ると、そんな印象はまったくない。なんだか奇妙な感じだ。
 大原まり子が僕の目を覗きこんで微笑んだ。
「うん?どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「いや、何もついてないよ。
 僕が入院してるのを、誰が知ってるかな?」
 大原まり子は他人に余計な事は話さない。他人のプライバシーに口出ししない。堅物ではない。自分に無関係な事に関心を示さないだけだ。だから、自分が関係すると判断した時は、静かに優しく素早い行動に移る。
 今、彼女に僕が、玲の母親になってほしいと言えば、彼女は、母親になるよ!と叫んで、僕に抱きつくはずだ。僕の右手を握っている彼女から、その気持ちがよくわかる。

「田村君が入院してるの、男子寮と女子寮の人たちは全て知ってるわ。看護学科と小山絵里さんの国語科もね。寮に各科の学生がいるから、あなたを知ってる全科の学生に知れわたるね。
 入院してるのを知らせてほしい人がいるの?」
「うん・・・。機械科の斉藤」
「私、連絡しておこうか?あの人、おもしろいよね!連絡してくるね!」
 大原まり子が病室から出ていった。

『玲。何かしたのか?僕が知ってる大原まり子と違うぞ?
 大原まり子、卓磨に関心がなかった気がする・・・』
『大原まり子に、卓磨のいいとこだけを思いださせたよ。
 卓磨、あれでも人気があるんだよ。
 省吾と同じで、黙っていると受けがいいんだよ』
『なんだ、それ?』
『大原まり子、戻ってくるよ。
 陽気になってるから、いろいろ訊いたらいけないよ』
『わかってる。ヤブヘビにならないようにするよ』
『卓磨が来たら、なに話すの?』
『映画サークルののチケットがあるのを忘れてたんだ。バッグの中に入ってる。三ヶ月はこんなだから映画を見に行けない。僕の代りに大原まり子と卓磨に行ってもらうよ』
『それ、いいね。案外、うまくゆくよ』
『玲は、うまくゆくのがわかってるんだろう?』
『うん・・・』
『そしたら、もっと、うまくやってね』
『は~い』
 大原まり子が病室に戻ってきた。玲は布団の中に潜りこんだ。

「斉藤君、すぐに来るって言ってたよ」
 大原まり子は笑顔だ。うれしそうに話してる。今は、卓磨がどうだったかなんて訊かない方がいい。
「ありがとう。実はね・・・・」
 僕は大原まり子に映画サークルのチケット・無料招待券の事を話してあげた。
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