第2話 急転直下

文字数 2,497文字

 六月二十五日 午後十時四十五分

 ――かなり、ナナメってる。

 海っぺりの工場から下道で帰って来た俺たちは、捜査員用のマンション近くのコインパーキングに停めた。
 岡島が車を誘導したが、後ろに座る俺でも気づく程、車がナナメってる。

「飯倉さ、しばらく車を運転しろ。横浜はまあまあ運転マナー良いから都内よりマシだろ」
「はい。すみません。そうします」

 俺も運転を頻繁にするわけではないが、久しぶりに運転しても問題は無い。ここまでカンが鈍るものなのかと、飯倉の運転を見て思った。

「メシ、食ってからマンションに戻ろうよ」
「はい」

 車を降りて岡島に声をかけ、三人で望月のバーに行くことにした。


 ◇


 捜査員用のマンションから望月のバーまでは歩いて五分もかからない。

 生ぬるい風が腕と頬を撫ぜつける中、男三人で一方通行の道の歩道を歩く。
 街路樹の葉は生い茂り、街路灯が等間隔に照らしている。平日の夜遅くということもあって人通りはなく、静かな空気が辺りを包んでいた。

 店の前の交差点に差し掛かった時、前を歩いていた飯倉が背を向けたままハンドサインを送って来た。

 ――吉原絵里の男がいる、と。

 飯倉の十五メートル先に男がいる。
 長身の痩せた男。黒いストレートパンツに水色の半袖シャツ、足元はシャワーサンダルだ。ああ、あのバイクは男のバイクだ。
 ドレスアップした大型スクーターが交差点の先に停めてある。手には何かを持っているが、おそらくタバコだろう。望月の店の隣にタバコの自販機が複数台あるからそこで買ったのか。

 男は一人だ。
 ということは、群馬県警の皆様(・・・・・・・)が付近にいるということか。だが気配は無い。
 隠れるような場所も無いなと見回していると、後ろから車の音がした。左方向からは白いワンボックスカーが来て、そのワンボックスカーは左折した。男はバイクの鍵をポケットから出し、バイクに近寄っている。

 ――あっ……。

 前にいる飯倉も隣の岡島も気づいた。
 街路樹で街路灯の光が届かない暗がりから人のシルエットが滲み出て来ている。
 俺たちの後ろから来ていた黒いワンボックスカーは交差点を直進し、バイクの後ろ、右の路側帯ギリギリに寄せている。助手席の後ろのスライドドアが開き、フルフェイスヘルメットの男が出て来た。

 男は声を上げることなくバイクの横で崩折れたが、左折した白いワンボックスカーから降りて来たと思料される男たちに連れ去られたのだろう。既に男の姿は見えない。

 ――連絡、受けてないんだけど。

 その時だった。
 後ろに人の気配がして俺も岡島も振り向いたが、遅かった。慌てて振り向いた岡島の首には既に男の手がかかっている。
 その男、群馬県警の中村(なかむら)清隆(きよたか)さんは俺を鋭い眼差しで見ていた。

「須藤からなんにも聞いてねえようだな」

 初めて会った日は慇懃で優しい声音だった中村さんは、今は俺たちに怒りをぶつけるような低い声だった。

 背後では車二台とバイクが走り出す音がする。

 俺は岡島の前に出て、中村さんの手を掴んで上向けに跳ね上げた。そのまま手を離した勢いと体重を前方に移した反動で突き飛ばすように押し返したが、中村さんはびくともしない。しかも――。

「今すぐ須藤に連絡しろ」

 俺の両手首を片手で掴み、俺の膝裏に足をかけている中村さんの有無を言わせぬ声音に、俺は気圧された。


 ◇◇◇


 午後十時五十二分

 須藤諒輔は捜査員用のマンションでスープを別の鍋に移し替えていた。
 手羽元と大根を先に移し替え、両手鍋を持ちスープを移し替えていると、胸ポケットに入れたスマートフォンが鳴った。

 スープを移し終わり、鍋を置いたところで着信は切れた。
 スマートフォンの画面を見た須藤諒輔はメッセージも届いていることに気づき、メッセージを見たが眉根を寄せ、少し首を傾げた。
 着信もメッセージも松永敬志だった。
 須藤諒輔はすぐに折り返した。

「もしもし、どうした?」

「ああん!?」

「もしかして、見ちゃった?」

「ふふっ、そうなんだ。で?」

「えー、中村が俺に来いって言ってんの? メンドクセーな。用があるならお前が来いって言ってよ」

「だよね、ふふっ。わかった。ちょっと待ってて」


 ◇


 午後十時五十三分

 事務所には松永玲緒奈、加藤奈緒、葉梨将由がいた。
 席に着いて仕事をしているが、加藤奈緒が右にいる松永玲緒奈をちらりと見て、口を開いた。

「あの、玲緒奈さん。お話があります」
「んー? なにー?」

 加藤奈緒は正面にいる葉梨将由に目配せをして、葉梨将由は立ち上がった。

「えっ、なによ?」

 加藤奈緒も立ち上がり、少し頬を緩めた。
 松永玲緒奈は加藤奈緒を見ながら、葉梨将由をちらりと見た。

「土日のいずれかに、私たちに時間を頂きたいです」
「んんっ? デート?」
「いえ、私の両親に、葉梨が結婚の承諾を得に挨拶をしますので……」
「……ウソ!?」

 松永玲緒奈は驚いた表情をした後、目に涙を浮かべながら立ち上がった。

「イヤッッホォォォ!」

 ガッツポーズをして狂喜乱舞する松永玲緒奈を二人は目を見開いて眺めていたが、松永玲緒奈のスマートフォンに着信があった。

 我に返った松永玲緒奈はデスクに置いたスマートフォンの画面を見て、先ほどまでの喜色満面から一瞬だけ真顔に戻ったものの、喜び溢れる表情で応答した。

「もしもし! 諒ちゃん、あのさ……」

 加藤奈緒と葉梨将由が結婚を決めたことを須藤諒輔に伝えようとした松永玲緒奈だったが、須藤諒輔の話を聞くうちに徐々に口角が下がっていった。
 そんな松永玲緒奈を見ていた二人は、後退りしている。

「わかった。で、三馬鹿はどこにいるの?」

「うん、そう……」

「了解、すぐ行く」

 スマートフォンを切った松永玲緒奈は二人を見ること無く、机の引き出しに入れてあるカバンから財布と鍵を取り出した。

「もうっ! また今日も帰れないじゃない」

 そう言って財布と鍵をマイバッグに放り込み、事務所の隅にある折り畳み自転車を掴むと、松永玲緒奈はドアに向かって行った。

 ドアに手をかけた松永玲緒奈は見送りに来た二人にこう言った。

「三馬鹿を()って来る」

 葉梨将由は加藤奈緒の後ろに身を寄せた。


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