第7話 急変

文字数 2,277文字

 午後十時五十三分

 俺は今、しょんぼりしている。

 俺が風呂に入っている間、優衣香はトイレに行って来た事に気づいたという。腰に違和感があり、トイレに行ったらやっぱりそうだったとも言った。

 ――ぼく、この半年間お仕事がんばったのに。

 生理中はエッチ出来ないのかなと思い、ネットで調べるとダメだと書いてあった。まあ、そうだろう。体に負担がかかるし、まあ、良くないだろう。良くない、だろう。でも負担がかからないやり方はあるのかな……。いや、ダメだ。優衣香に負担をかけてはいけない。

 初めて俺は優衣香と長く一緒に過ごすのに、エッチ出来ないなんて哀しい。でも、優衣香だってそう思っているはずだ。
 だが俺は思った。
 おっぱいを全て覆うパットと戦ってないでベッドに押し倒してしまえば良かったじゃないかと。
 玲緒奈さんを送った後、夕飯が先だと一歩も引かない優衣香に強気に出れば良かったじゃないかと。

 ――無理。出れない。絶対に無理。

 優衣香の生理痛はどんなものなのだろうか。ロキソプロフェンナトリウム錠を服用するくらいだから、重いのだろうか。
 男の俺には良く分からない事だが、生理痛は人それぞれで皆同じではない事だけは知っている。

 以前、加藤にお願いをして、女性の生理について教えてもらおうとした事がある。
 女性警察官は全体の二割程度で少ないが、これからは増えるだろうし、そうなると男よりもさらに体調を気遣わなければならない。だが男の俺には生理の事は分からない。だから加藤に頭を下げて教えてもらう事にしたのだが、結論から言えば、『人それぞれだからネットで調べろ』で終わった。

 加藤に俺は丁寧にお願いをした。
 女性に生理の事を聞くのはセクハラにあたる事は重々承知しているが、同僚女性の体調管理という意味で知識を得たいとお願いをした。だが加藤は、「松永さんは私にパンツ見せてとかストッキングが伝線したら俺が破くから言えとか土下座するからケツ揉ませてとかいつも碌でもない事を言うのにそれはセクハラだと認識していないんですか?」と言ったのだ。

 確かにそれはセクハラだ。だが俺は言い返した。警察組織は男社会だ。そこに二割、女がいる。セクハラがあっても仕方ないだろうと。その代わりに姐さんやお前からパワハラされるのを俺らは我慢している、と。
 だが加藤は「パワハラが嫌ならセクハラしなければ良いじゃないですか。セクハラされるからパワハラしてるんです」と言う。
 俺はムカついて「無理矢理おっぱい揉むわけじゃないんだからセクハラ発言くらい許せよ」と言うと、裏拳をお見舞いされた。
 痛かったし、「無理矢理おっぱい揉むのは強制わいせつです」と至極真っ当な説教を食らった。
 そして、「ネットで調べて分からない事があったら玲緒奈さんに聞け」と言われたのだ。

 ――怖くて聞けないから優衣ちゃんに聞いてみよう。

 でも優衣香も嫌がるかも知れない。お願いしてダメなら、俺はネットで調べて、もう一度加藤にお願いしてみようと思った。

 ――加藤、か……。

 缶チューハイの残りを飲みながら、俺は隣の加藤と葉梨の事を思い浮かべた。
 きっと二人は今頃、熱い夜を過ごしているのだろう。何回戦目かな。いいな。羨ましいな。

 二ヶ月ぶりに会うと葉梨は言っていた。加藤は一度しか経験が無いから、それを知った葉梨は驚いただろう。だが葉梨はこう、なんかねちっこそうな気がするから、加藤を優しく抱いたんだろうな、加藤は満足しているんだろうなと、俺は思った。

 仕事中の加藤は相変わらず葉梨を手の甲で引っ叩いてるし、何となく以前より厳しくなった気がするが、加藤個人を見ると葉梨に夢中な恋する乙女っぷりは増している。幸せそうで俺は嬉しい。

 加藤は優しい女性になりつつある。玲緒奈さんの目論見通りだ。
 葉梨も言っていた。加藤は優しい女性だと。そう言って頬を緩めた葉梨が、加藤のどんな事に優しさを感じたのかは聞かなくても良いと思った。
 加藤が優しくなった事は俺も知っている。
 その優しさは裏拳を食らった時に感じた。葉梨と付き合う以前は鼻血が噴き出しても狂犬のままだったから。

 今年二月、加藤の手元が狂って鼻に裏拳がクリーンヒットして鼻血が噴き出した時、加藤は焦って「ごめんなさいごめんなさい」と繰返し、ティッシュペーパーを指に巻き、指ごと俺の鼻の穴に突っ込んだのだ。しかも人差し指だった。
 裏拳も痛かったが、鼻の穴にティッシュで直径の増した人差し指を突っ込まれた方が痛かった。

 加藤はすごくしょんぼりとした顔をして、「ごめんなさい」を繰返し、指を突っ込んだまま俺の頭をポンポンしているから俺は何も言えなかった。
 優しさの方向性が明後日だなと思ったが、優しくなったのは事実だから黙っていた。

 おそらく、葉梨が感じた加藤の優しさはそれじゃ無いと思う。そうであって欲しい。
 鼻血を出して指を突っ込まれるような事が起きたのでは無いのなら、俺は安心だ。被害者は、俺だけでいい。あれはホントに痛いから。

 二人には幸せになって欲しい。
 二人で熱い夜を過ごして欲しい。
 だが――。

 ――ぼくはおあずけ。

 しょんぼりしていると、洗面所から声がした。優衣香が俺を呼んでいるのか――。
 そう思った俺はドアを開け廊下に出ると、優衣香が倒れたのかと思うような音がして、奇声も聞こえた。
 生理痛か、薬の副作用か。
 俺はノックせず洗面所のドアを開けると、優衣香がへたり込んでいた。

「優衣ちゃん! どうしたの!?」

 振り向いた優衣香は顔を歪め、赤い顔をして涙を浮かべていた。


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