第3話 幕間 恋する乙女の入院生活

文字数 4,327文字

 私は今、パンツを見ている。

 言葉足らずだ。
 これでは自分のパンツなのか他人のパンツなのかわからないじゃないか。だがこの年齢(トシ)まで言葉足らずでも生きて来れたし、特に問題は無いからこのままで良いと思っている。語彙を増やしたら負けだ。

 私はやることも無くてヒマな入院生活を送っているが、今日はネットショッピングサイトの巡回をしている。
 今はメンズのパンツを見ているが、松永さんと中山さんが魑魅魍魎(クラブ)親玉(ママ)からもらったオレンジ色でパイナップル柄のパンツを見つけてしまった。

 ――葉梨は柄物パンツを履くのだろうか。

 葉梨は過去五回とも黒のボクサーパンツを履いていたが、違うパンツも持っているのだろうか。
 聞いてみれば良い。私は『黒以外にどんなパンツ持ってる?』と葉梨にメッセージを送り、返事が来るまでネットショッピングサイトを見ていることにした。


 ◇


 私は今、普段自分がインナーを買っている肌着メーカーのショッピングサイトのメンズを見ている。

 葉梨が泊まりに来た時の着替えが無く、部屋着とインナーとパンツと靴下を買っておこうと思いサイトを見ているが、初めて見るメンズコーナーには私の知らなかった世界があったのだ。
 メンズのインナーのレビューは奥様と思料される方のレビューが多い。

『型崩れしなくて良いです』
『即乾で助かります』
『真夏には暑いかも』

 ――ご主人の着用レビューを伺いたいのですが。

 仕方ない。インナーは葉梨の好みの素材などがあるだろうからとりあえず保留にしておこうと考え、パンツを見ようとパンツの文字をタップすると、絞り込みでいくつもの選択肢があった。
 トランクス、ボクサーパンツ、ブリーフ、申又(さるまた)

 ――申又(さるまた)

 令和の今では聞かなくなった言葉だが、公文書では現役だ。

 ボクサーパンツをタップすると、また選択肢があった。
 レギュラー、ローライズ、ロング。そして柄物、立体成型、と。

 ――ローライズ、か……。

 私は葉梨のローライズ姿を思い出した。
 ローライズでも立体成型のローライズなら事故は起きないのかも知れないなと。そうだ。起きなかったかも知れないのだ。あの日の葉梨にも――。

 捜査員用のマンションでシャワーを二人で浴びることになったあの日、葉梨は事故が予見されるもっっのすごいローライズだったが、懸念した通りの事故は起きた。
 事故が起きないようにするのも警察業務のひとつなのだが、葉梨の葉梨が熱量を増すのは生理現象だ。おまわりさんも人間だもの。仕方ないだろう。

 ただ、下腹部に熱量を増した葉梨の葉梨を感じて視線を下に向けた時、私は葉梨に顎を掴まれたのだが、それがどんな名称なのか知りたくて調べているものの、見つからない。

 葉梨はいつも少女漫画やTLコミックにあるような顎クイをして私はドキドキするのだが、顎を掴んだ一件については壁ドンにも複数の種類があるように、顎クイにも私が把握していない派生版があるのかと思って名称を一生懸命探している。だが見つからない。

 顎を掴み、強制的に顔を上向きにして指で頬を押し、そして口を(ひら)かせるアレはどういう名称なのだろうか。

 ――給餌、かな?

 この世には私が未履修のものが溢れている。勉強せねばなるまい。


 ◇


 病室に入って来る足音がする。誰だろうか。看護師さんかなと思っていると、カーテンを開けると同時に名を呼ばれた。

 入院中、どの看護師さんも本当に良くして下さって有り難く思っているが、この声の主である看護師さんは、私の推し看護師(ナース)だ。

「加藤さーん、面会の方がいらしてますよー。談話室にどうぞー」
「はーい」

 この看護師さんは松永さんが見舞いに来た際に色めき立った看護師さんのうちの一人なのだが、私が『あの人は女を食い散らかすバツイチで養育費を払ってませんけど、それでもいいですか?』と言った瞬間、「同僚に情報共有します。ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた看護師さんだ。

 中村清隆さんが見舞いに来て下さった時も色めき立っていたが、別の看護師さんに『あの人は研修で警視庁に来てる群馬県警の人ですよ。自宅は高崎らしいです』と言うと、色めき立っていた看護師さんたちのテンションはダダ下がりだったが、この看護師さんだけは食いついてきたのだ。「高崎なら横浜から湘南新宿ラインで一本で行けますね」と。彼女は『来れますね』ではなく、『行けますね』と言ったのだ。

 その旨を中村さんに伝えると、笑いながら氏名と電話番号を聞いておくようにと言っていた。

 私は看護師さんに連絡先を聞いて中村さんに伝えたが、この先どうなるか私は知らなくて良い。
 ただ、この看護師さんが小さな声で「――県警じゃなきゃ、いいんです……」と遠い目をしていたことだけは覚えておこうと思った。
 聞き取れなかった県警がどこの県警なのかは、聞いたら負けかなと思って聞いていない。いないが、ここは神奈川県だからおおよその見当はつく。だから、聞いたら負けだ。


 ◇


 談話室に入ると、こちらに背を向けていたスーツ姿の中村さんは顔だけ向けて笑顔を見せた。

「どう? 経過は」
「お疲れさまです。おかげさまで元気です」
「なんかちょっと丸くなった?」
「んふふふっ……」

 私が入院しているせいで皆に迷惑をかけているが、毎日誰かしら見舞いに来てくれる。中村さんも三回目だ。

 元々整った顔をした中村さんだが、連日の猛暑と睡眠不足と疲労で少しやつれた顔つきのせいか、男の色気がダダ漏れだ。
 以前は昭和の暴力団と風俗のキャッチだったが、今はイケメンだから看護師さんたちが色めき立つのもわかる気がする。

「皆さんが差し入れして下さるので、体重がジワジワ増えてます」

 中村さんは左に座った私に優しく微笑んでいるが、背に置いたカバンを手に取った。
 中から出したのは水色の封筒だ。

「ああ……懐かしい封筒ですね」
「懐かしいだと? お前が勝手に過去のものにしたからだろうが」

 口元には笑みを浮かべているが、目線は厳しい。
 中村さんと文通していた時、いつもこの水色の長封筒だった。初めて手紙を頂いた時、美しい文字に驚いた記憶が蘇ってきた。

「加藤、これを彼女に渡してよ」
「……看護師さんに、ですか?」
「ああ」
「でも看護師さんの顔を見てないですよね? 誰なのかも知らないですよね?」
「ああ」

 ――いいのか、それで。

 とはいえ、私は中村さんの好みの女性のタイプを知らない。あの看護師さんが好みのタイプでなかったらどうするのだろうか。遊びで手を付けるのだろうか。
 看護師さんにはお世話になっている以上、それは心苦しいからやめて欲しい。

「中村さん。看護師さんを食い散らかすのはやめて下さい」
「お前は何を言っているんだ」
「だって……」

 中村さんは松永さんと違って食い散らかさずに丁寧に手を付けるタイプだという。松永さんよりはマシに聞こえるが、中村さんも方向性が違うだけで碌でもない男だなと思いながら適当に聞き流した。

 中村さんは、彼女が高崎に『行けますね』と言ったからお友達から始めてみようと思ったそうだ。

「彼女と文通する」
「文通、ですか。メッセージアプリじゃダメなんですか?」
「ああ。手紙に書く文章は、嘘を吐けないから。相手の本質を見抜くには手紙が一番いいんだよ」

 私をちらりと見て、優しく微笑む中村さんは私に封筒を渡して立ち上がった。

「ごめんな、美容院を予約してるんだよ。また来る」

 そう言った中村さんは紙袋に入ったものを私にくれた。バター入りのどら焼きだという。

「今年の夏はかなり暑いらしいから、今のうちに気力体力と脂肪を蓄えとけよ」
「ふふっ、ありがとうございます」

 私も立ち上がり、一緒に談話室を出た。


 ◇


 病室に戻りベッドに腰掛けるとスマートフォンが震えた。葉梨だった。

『柄物』
『今履いてる』

 今日の葉梨は柄物パンツなのか。
 それはどんなパンツなのだろか。他にもあるのだろうか。
 さっき見ていた肌着メーカーのショッピングサイトにもたくさんの柄物があったが、葉梨の柄物パンツはどんなものなのだろうか。私の妄想はドントストップだ。

『どんなパンツ履いてるの?』

 いけない。私は松永さんから散々言われてきた碌でもない言葉をそっくりそのまま自分の恋人に送っている。だが私の妄想はドントストップだから仕方ないなと思っていると、すぐに返事が届いた。

『緑のチェックに赤いピーマン柄』

 ――どんなパンツだ。

 緑と赤。クリスマスっぽいパンツなのだろうか。緑はどんな緑なのだろうか。
 蛍光グリーンも緑だしクリスマスっぽい濃い緑も緑だ。それにピーマンだって大きさはどれくらいなのか。

 葉梨のパンツは蛍光グリーンで大きな赤いピーマン柄なのだろうか。
 濃い緑で小さな赤いピーマン柄なのだろうか。
 私の妄想はドントストップだ。

『パンツ見せて』

 いけない。私は松永さんから散々言われてきた碌でもない言葉をそっくりそのまま自分の恋人にまた送っている。だが仕方ないだろう。気になるじゃないか。緑のチェックに赤いピーマン柄だもの。

 私はそんなことを思いながら既読のついた画面を眺めていたが、画面上には碌でもないやり取りが残されていることに気づいた。

『黒以外にどんなパンツ持ってる?』
『柄物』
『今履いてる』
『どんなパンツ履いてるの?』
『緑のチェックに赤いピーマン柄』
『パンツ見せて』

 ――本当に、碌でもないな。

 この画面を元にセクハラの報告を上げられたら私は懲戒処分間違いなしだ。迂闊だった。反省せねばと思っていると、画像が届いた。

 ――どうしようっ! 奈緒キュンキュンしちゃうー!

 葉梨がパンイチで鏡に写した全身画像を送ってきた。外腹斜筋のポコっと出たあの部分がイイ感じに見えるよう、葉梨は緑のチェックで赤いピーマン柄パンツを少し下げている。

 私は葉梨の()っぱいも好きだが、この外腹斜筋のポコっとした部分も好きだ。

 葉梨はちょっとだけキメ顔をしている。可愛いな。私の頬は緩んでいる。恥ずかしいが、私は嬉しいのだ。葉梨がプロポーズしてくれた日、また私に魔法をかけてくれたから。

 一人の女だけを夢中にさせる男は、いい男――。

 私はもう、葉梨に夢中だ。




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 あとがき

 加藤奈緒が入院中にお世話になった看護師と藤川充のエピソードはこちらです

 ◇ブルースター/Tweedia
 https://novel.daysneo.com/sp/works/371382438c83d38d936509c1e983b13e.html

 ファーレンハイト第2部の約1年後の物語
 約8000文字 3話完結
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