第5話 ラブソングとソング

文字数 4,087文字

 午前二時十分

 カランカランとカウベルの音色と共に扉を開くと、心地よいジャズが流れてきた。カウンターの奥でグラスを磨いていた望月(もちづき)奏人(かなと)が顔を上げる。「いらっしゃいませ」という言葉よりも早く、「お久しぶりですね」と言った。

「あっ、中山さんもいる!」
「久しぶりー! 元気そうだねー」
「おかげさまで」

 カウンターに座り、いつものロングアイランドアイスティーを二つ注文した。

「メシ、ほどほどの量を食べたい」
「うーん、パスタとステーキを二人でシェアか、ハンバーガーというのは?」
「ハンバーガー! ハンバーガー!」
「ふふっ、ハンバーガー二つで」
「かしこまりました」

 望月は微笑みながらロングアイランドアイスティーを作り始めた。

 ――やっぱりこの店は落ち着く。

 カウンター席から店内を見渡すと、ジュークボックスが目に入った。

「モッチー、あのジュークボックスはどうしたの?」
「ああ、先月ね、向かいのバーが閉店して、頂いたんだよ」
「ちゃんと動く?」
「もちろん」

 ――何かかけようかな。

 ジュークボックスは木製でノートのようになっている曲名と歌手名が書かれたカードがパタパタと音を立てて回転する仕組みだ。

 ――何にしようかな。

 ジュークボックスを前にして、カードを何回か捲ると知っている曲名があった。

 Unchained Melody / The Righteous Brothers

 百円玉を入れるとレコードが背面から取り出されて曲が流れる。
 席に戻ると、中山も望月も口元に笑みを浮かべたが、ロングアイランドアイスティーをステアしてカウンターに置いた望月はこう言った。

「珠玉のラブソングを、野郎三人で聴くのも良いね」

 そう言って望月は笑いながらキッチンへ行った。

「乾杯」
「うん、乾杯」

 グラスを合わせてひと口飲む。
 ノンアルコールのロングアイランドアイスティーは濃い目の紅茶と炭酸水を混ぜたもの。それだけだが、俺にとってはいつもの味で美味しい。

「たっくん最低」
「何!? いきなり!? 何!?」

 中山は彼女と長く会えていないのに、よりによってこの曲はないだろうと言う。

「これってどんな曲なの?」
「お前知らねえのかよ」
「うん」

 映画の主題歌だとは知ってるし動画サイトで聴いたこともある。だが歌詞の内容は知らない。だって英語だし。

「英検三級ナメんなよ?」
「バカなの?」
「うん」
「ゆっくりした曲だから聞き取れるだろ?」
「単語はわかっても繋がるとわかんないよ?」
「バカなの?」
「うん」

 二人とも黙り、曲に耳をすました。
 単語はわかる。けどやっぱり……わかんない。
 首を傾げた俺に溜め息を吐いた中山は教えてくれた。

「会いたくても会いに行けない男が、家で待ってる女を想う曲。でも、時は過ぎる。女がまだ自分のものなのか、不安。そんな曲」
「もー! そんな曲かけないでよ!」
「お前がかけたんだろうが。カネ払って」

 拗ねる中山に俺は謝った。
 それから二人は曲を聴き続けた。

 ◇

「お待たせしました」

 望月は手に持っていたベーコンレタスバーガーを俺たちの前に置いた。付け合わせにポテトとピクルスがある。
 食欲を刺激する香りが立ち込める中、俺たちは食べ始めた。

「見た目は良いけど、食べ辛いよね」
「んふふ……そうだね。でも食べ方に個性が出て、見てて面白いよ」

 そう言った望月は中山を見た。
 中山はナイフとフォークでハンバーガーを真ん中から切っていた。
 俺は持ち上げて食べ易そうな部分を探している。

「ふふっ、本当だ」

 俺もハンバーガーを切る事にした。
 ナイフを入れるとハンバーグから肉汁が滴る。それを見た俺は思い出した。加藤――。

 数年前、捜査員用のマンションで俺が買ってきたテリヤキバーガーを加藤が食べていたが、加藤は顔にテリヤキソースがつくのもお構いなしにガツガツ食っていた。
 俺がそれを指摘すると、「人前ではやりませんから」と言った。俺は人扱いされていないのかと思ったが、加藤が「後で顔を洗えば良いんです」と言い、女らしさ皆無の合理的な女だなと改めて思い知らされた。

「んふっ……」
「なんだよ、思い出し笑い」
「ふっ……加藤がさ、ハンバーガーまるごと食って、顔にソースつくのをお構いなしだったんだよ」
「ええっ、奈緒さんって上品に食べそうな気がするのに!」
「人前ではね、人前ではそうするよ」

 加藤は療養中だが少しは良くなっただろうか。
 今は葉梨が付いている。恋する奈緒ちゃんは葉梨がそばにいれば幸せだろう。

「あ、モッチーさ、今ね、加藤が風邪ひいて寝込んでるんだけど、加藤でも食えるようなもの、何か作れる?」
「えっ風邪? 消化の良いものが良いね」
「うん。出来る?」
「大丈夫! 任せて!」

 キッチンへ向かう望月の後ろ姿を見ていると、中山が口を開いた。

「たっくん優しいね」
「りっくんだってアイス買いに行ったんでしょ?」
「うん」
「なら同じでしょ?」

 中山の顔を見ると、ハンバーガーを頬張りながら笑っていた。

 ◇

 ハンバーガーを食べながら、中山はちらりとキッチンを見た。
 その視線を俺に向けて、おもむろに口を開いた中山は、真面目な顔をして言った。

「ミニスカポリスの玲緒奈さんさ、パンツ履いてなかったのかな?」

 中山もそう思ってたのか。
 履いてないわけがないが、俺に跨って七時方向から撮ったあのアングルでは、確かにパンツが見えるはずなのにパンツは見えなかった。

「ノーパンのミニスカポリスは兄ちゃんの前でしかしないと思う」
「だよね」

 以前、ベロンベロンに酔っ払った兄が、玲緒奈さんのミニスカポリスを大絶賛していた。
 俺はおっぱいが大好きだが、兄はどちらかと言うとおっぱいより脚とケツが好きみたいで、高校時代から仲の良い須藤さんとは好みも同じなんだなと思った。

「多分ね、玲緒奈さんはソングを履いてたんだと思うよ」
「ソングって?」
「え、お前知らねえの?」

 英検三級の俺でも、ソングとは何かを知っている。曲ではない。舌の先を上の前歯に当てる感じで発音するソングだ。
 この前、優衣香が教えてくれた。

「Tバックだよ」
「……Tバック、か」

 中山は何かを考えている。
 玲緒奈さんがTバックを履いている事についてだろうか。

 あの日、俺は須藤さんとの電話を切った後、優衣香はまだ仕事をしていたから洗濯物を畳んでいた。
 和室で正座して畳んでいたのだが、ハンカチみたいなものかと思って手に取って広げたらTバックだった。

 俺は、なんとなく優衣香はTバックを履かないタイプだと思っていて、妄想カタログでもあまりページ数は多くなかった。だが優衣香がTバックを履くと知り、ページ数を増やした。
 履いている優衣ちゃんをいつか見たいなと思っていると、優衣香が和室に来てゲラゲラ笑い始めた。

 優衣香は、「女物のパンツを真剣に眺めてる姿って、イケメンだと絵になるね」と言った。
 多分、褒められたんだなと思いながら、いつTバックを履いたのか訊ねると前の日だと言った。
 あの緑のワンピースの下はTバックだったのかと俺は後悔したが、優衣香はもっと後悔させるような事を言った。

『ワンピースの裾から手を入れればすぐに胸だったのに、敬ちゃんはずっとワンピースの上から触ってたよね』

 パットを入れるタイプのタンクトップを着ていた優衣香は、裾から手を入れれば生パイだったのだ。考えればすぐにわかるのに、俺は一生懸命、ワンピースの上でおっぱいを全て覆うパットと戦っていた。
 しかも下はTバックだった。優衣ちゃんのワンピースの下はパラダイスだった。なのに俺は――。

 優衣香の事になると本気でバカになるのは自覚はある。あるが、冷静さを欠いて目の前のパラダイスを逃してしまい、俺はしょんぼりしてしまった。
 優衣香はそんな俺の隣に来て、Tバックは和製英語で本当はソングだと教えてくれた。

「彼女さ、T……ソングしか履かない」
「そうなんだ」
「海外で買って来て、俺に見せて感想を言えっていつも言うけど、俺いつも困ってる」
「んふふっ、なんでよ?」
「だってさ、綺麗、可愛い、エロい、それ以外に何て言う?」

 確かにそうだ。
 俺が優衣香のTバックを見た時、『紫のTバックでエロい』としか思わなかった。感想を言うとしたら中山の言う通り、綺麗、可愛い、エロいしか無い。

「そういうのさ、飯倉に聞いてみたら良いんじゃない? なんか適当に言いそうだろ、今のアイツ」
「んふふ、そうだね」

 ◇

 バーを出た俺たちは、捜査員用のマンションに向かっていた。
 望月からは鍋ごとチキンスープを渡されて、俺は両手鍋を持ちながら歩いている。

「たっくんさ、マンション近辺の状況ってまだ確認してないんだよ。だから今、夜の分を見てくる」
「んふふ……彼女に連絡するんだろ?」
「ふふふ……バレた?」
「行っておいで。電話の時は公用車が良いよ」
「うん、わかった」

 中山は笑顔のまま、脇道に入った。
 俺はそのままマンションまで歩いているが、中山が俺を見ている気配がする。

 ――気にしなくても良いのに。

 俺が無知なせいで、中山に寂しい思いをさせてしまったのだろうなと思うと、申し訳無い気持ちになった。

 ◇◇◇

 松永敬志の後ろ姿を笑顔で見つめている中山陸は、松永が約百メートル先の交差点を超えた時、スマートフォンを取り出した。

 松永を視界に入れながら、ショートメッセージを読んでいる。
 既に笑顔の消えた中山は眉根を寄せて、電話をかけた。
 松永はマンションに向かう角を曲がり、姿は見えなくなっている。

「もしもし、中山です」

「ああ、良いんですよ。で、ご用件は?」

「……そうですか」

「そうですね」

 電話相手と言葉を交わす度に、中山の顔は険しくなっていく。

「明日……というか今日ですが、お会い出来ますか?」

「はい。ではご自宅に伺います。時間はまた改めてご連絡します」

 中山はそう言って空を見上げた。
 唇を噛んで目を瞑り、相手が言い終わるのを待って、言った。

「笹倉さん、俺に連絡してくれてありがとうございました」

 電話を切った中山は、大きな溜め息をついた。



 ― 第3章・了 ―



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