第13話 幕間 カステラの桐箱

文字数 4,088文字

前書き

ファーレンハイト・番外編の第4話に公開していた作品を本編に挿入します


❏❏❏❏❏


 六月十一日 午前九時五十分

 月に一度は必ず実家に顔を出す葉梨を官舎の玄関で見送っている。
 今日は葉梨のご両親から食事に招かれていたが、俺は断った。
 靴を履き、俺に向き直った葉梨は口を開いた。

「十時半には戻ります」
「うん、気をつけてね。ご家族や伊都子(いつこ)さんによろしく」
「はい、ありがとうございます」

 そう言って振り向いて出て行くのかと思ったが、葉梨は何かを言いたそうにしている。妹の麻衣子さんの事だと思う。

 麻衣子さんとは文通をして一年半ほど経つが、会わなくなって二年経つ。
 葉梨が実家に帰る時は二回に一回はついて行っていたが、麻衣子さんの変化にマズいと思った俺は行かなくなった。

 それは俺が昭和のチンピラからインテリヤクザの風貌に変えた頃だった。
 チンピラ時代は目を合わせずに挨拶をして、会話も最低限だった麻衣子さんは、初めてインテリヤクザの俺を見た時に顔を赤くしていた。何事かと思ったが、右手で左腕を掴み、震える手を誤魔化していた。

 イケメンな俺に、キミはフォーリンラブ――。

 そんなふざけた事を思い浮かべたが、麻衣子さんは本物の清楚な令嬢だ。俺はマズいと思った。
 俺は清楚系は好きだ。可愛いから。でも、松永さんに言われて考えを改めたところだった。

『社会通念上、清楚系を演じた方が良いと合理的な判断をした女性と、男ウケ狙いで貞操観念がガバガバなクソ女を見分けろ。本質を見抜け』

 松永さんは加藤を見ろと言った。男ウケなど一ミリも考えていない、と。
 確かに奈緒ちゃんはそうだ。キャリアウーマン風のカチッとしたタイトスカートのスーツで美容部員みたいなまとめ髪で濃い化粧、大ぶりなアクセサリーをつけた姿が多い。よっぽどの男じゃなければ近寄れない雰囲気に俺も怖くて近寄れない。近寄るけど。

 その姿は奈緒ちゃんに悪い虫がつかないようにする為にやらせていると松永さんは言っていた。
 でも実際は松永さんの個人的な好みだと知ったのは後になってからだったが、松永さんが言った言葉には納得出来たから何も聞かなかった事にした。ストッキングの色もデニールも指定したらしいが、何も聞かなかった事にした。松永さんは意図的にストッキングを伝線させてるとか、俺は何も聞いていない。

「岡島さん」
「ん? なに?」
「両親には、ご都合が悪いようだったと俺から言っておきます」
「あー、うん……ごめんね」

 ただ食事に招かれたのなら、俺は喜び勇んでスキップしながら葉梨の実家に行く。お手伝いさんの伊都子さんの料理はすごく美味しいし、ポメラニアンのクルミちゃんとウニちゃんに会いたい。でも、食事だけじゃないと葉梨は知っているから、断っておくと言った。

 後輩に気を遣わせる事はしたくない。でも、麻衣子さんはマズいと思う。俺なんかと付き合うなんて、彼女にとって良い事では無い。
 麻衣子さんは家柄に見合った男性とお付き合いするのが良いに決まってる。
 合理的な判断で清楚系にしているのでもなく、ましてや男ウケ狙いの清楚系でも無い。本物の清楚な令嬢だ。相手が俺ではダメだ。

 閉じられた玄関ドアに施錠して、俺は息を吐いた。

 ◇

 先月、葉梨のご両親が官舎に来た。
 葉梨同席の上で、麻衣子さんについて話をした。

 葉梨の親父さんは末娘が初めて自己主張した、と言っていた。麻衣子さんは、「私は岡島さんが好きです」と言ったそうだ。
 葉梨の両親は俺の身辺調査を済ませていた。全て知っている。別れた嫁とも会ったと言った。
 別れた嫁はいろいろとバラしたようで、離婚を切り出された時に俺が警察を辞めると即答した事をご両親は知っていた。

 嫁は警察を辞める事を望んでいたから俺は即答したのに、その時にはもう遅かった。『養育費払えなくなるから警察辞めんなバカ』を捨て台詞に、嫁は息子を連れて出て行った。

 子供が俺を好きでいる事、月に一度の面会交流は実家で、俺が仕事でも子供は祖父母、伯父伯母、いとこと面会を必ずしているのは、別れた嫁に俺が誠実だから嫁が応じてくれるのだと葉梨の親父さんは言った。

 傍から見れば俺は誠実かも知れない。
 嫁に不要不急のわりとどうでもいい連絡をすると、『所轄に相談実績作ってお前をストーカー規制法で潰す。監察にも言う』と、正攻法で一番イタいところを突いてくる嫁だ。しかも隣県だ。義父は隣県の同業だ。誠実にならざるを得ない。

 ご両親は、俺が養育費以外に金銭援助をしている事も知っている。高卒警察官で年齢と階級から俸給はわかっている。
 交際、結婚を考えると俺は優良物件でない事から、初めの頃は身辺調査の結果を踏まえて諦めろと言ったようだ。でも、麻衣子さんは諦めなかった。

 その想いを綴った手紙は葉梨からもらったが、美しい文字で紡ぐ想いに俺は心を揺さぶられた。
 でも俺は想いを受け入れてはいけないと思って、関係が進まないように、他愛の無い手紙のやり取りをしようと考えた。
 麻衣子さんは葉梨の妹だし、遊びで手を付けるわけにはいかないから。

 初めて手紙をもらったのは昨年の二月だった。あれから一年四ヶ月が経つ。
 届いた手紙はカステラが入っていた桐箱に収めてあるが、桐箱は三個目になった。

 いつからか、官舎に帰り、ポストに麻衣子さんからの手紙があると頬が緩むようになった。それではいけないと思っているが、麻衣子さんの手紙は俺の楽しみになっていた。

 鉛筆で下書きしている事、筆圧が強い時がある事、書きたい事が増えた時に字がだんだんと小さくなる事、追伸の行数が本文を超えた時もある事など、毎回違う便箋の上で麻衣子さんの気持ちが溢れる様に、俺はもっと麻衣子さんを知りたいと思うようになった。
 多分、俺は麻衣子さんに恋をしたのだと思う。

 これまでの手紙のやり取りの内容を、メッセージアプリでしたら、多分三十分で終わると思う。
 でも、手紙に込めた麻衣子さんの気持ちは、テキストでは見えない。

 ◇

 今、手元にある手紙は先週届いたものだ。
 いつもは部屋で読むが、今日は葉梨がいないからリビングで読み返している。返事を書かないといけない。

 薄い黄色の便箋の隅に葉っぱがデザインされたものだが、確か以前にも同じ便箋があった。俺はそれを探して、レースのカーテンから日が差し込むリビングで、寝っ転がりながら読んだ。

 ――葉梨とスイーツブッフェに行った話をした後の手紙だ。

 追伸には小さな文字で、庭で四つ葉のクローバーを見つけたと書いてある。でもウニちゃんが踏みつけたと。

 文字が詰まった小さな文字に頬が緩む。
 だが、俺はある事に気付いた。麻衣子さんは鉛筆の下書きとは違う言葉を書いている、と。下書きなのに筆圧が強い。

 何だろう。麻衣子さんは何を書いたのか。
 俺は便箋を日にかざした。

 『手紙が御迷惑なら御返事はなさらないでください』

 ――ウソだろ。

 もしかして、これまでの手紙にも何かを書いたのか。本当の気持ちを言えなくて他の言葉に置き換えたのか。

 ――便箋、黄色の便箋は二回目だ。

 先週届いた手紙にも麻衣子さんは何かを書いたのか。
 俺は便箋を日にかざした。
 文頭から読むが、筆圧が弱くてわからない。

 ――筆圧が強いところ……あった。

『来週、岡島さんにお会い出来なかったら、私は諦めます』

 ――今日の事だ。

 でも下書きに書いただけでペンでは書いていない。だから問題ないはずだ。手紙を返せば良いはずた。でも――。

 俺はスマートフォンを手に取った。葉梨に電話をする。電話しないと。

 呼び出し音が鳴った。
 心臓がドキドキする。
 出てくれ、頼む。そう祈るように待っていると、留守番電話サービスに繋がった。
 だがすぐに葉梨からメッセージが届いた。

『電車です。折り返します』

 ――でも葉梨に何を言えばいいんだ。

 葉梨に麻衣子さんの手紙の内容など言えない。なら葉梨に何を、どう伝えればいいんだ。

 ――俺は何をしているんだろうか。

 麻衣子さんはいつまでも進展しない関係を終わらせようとしている。多分、今年二十九歳になる麻衣子さんは人生の岐路に立たされている。焦りがあるのだろう。奈緒ちゃんだってそうだった。心が浮ついていた。
 男と違って、女性の二十九歳は特別な年齢だ。でもだからといって、麻衣子さんの相手は俺ではダメだ。でも――。

 着信音が鳴った。
 画面に表示されたのは葉梨だった。

「もしもし、ごめんね」
「ああ、いいんです。何か、ありましたか?」

 ――多分、葉梨は知ってる。

「麻衣子さんの手紙の事で、ね」
「ああ。麻衣子が書いた事ですよね」
「うん。下書きの」
「……はい」

 ――やっぱり知ってる。

 少しの無言の後、最初に口を開いたのは葉梨だった。思いがけないその言葉に、俺は何も言えなくなった。

「麻衣子の兄として岡島さんに申し上げます。私は、麻衣子が初めて恋をした男性が岡島さんで良かったと心から思っています」

 ――叶わぬ恋でも良いと思っているのか。

「……麻衣子さんに伝えて欲しい」
「はい。何でしょうか」

 ――俺は何を言っているんだ。何を伝えればいいんだ。

「……俺の電話番号を教えて、電話をかけて欲しいって、伝えて」
「わかりました。えっと、ありがとうございます、でよろしいのでしょうか」

 ――意図を掴み(あぐ)ねてる。

「……それは俺が決める事じゃない」
「そうですか……」

 電話を切り、少しだけ息を吐いて、また手紙を読み返した。
 麻衣子さんに何を話せば良いのだろうか。

 俺は麻衣子さんを好きになった。
 でも、結婚は出来ない。麻衣子さんはそれでも良いと言うだろうか。きっと言うと思う。
 でも、今年二十九歳になる麻衣子さんは焦る。

 ――俺との未来が無いと受け入れる日がいつか来る。

 麻衣子さんの想いを受け入れた誠実な俺は、結婚を拒む不誠実な男だ。

 ――俺じゃない人と幸せになって欲しい。

 でも、俺は麻衣子さんが好きだ。
 どうすればいいんだろう。
 レースカーテンの向こうに広がる青い空を眺めながら、俺は溜め息を吐いた。
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