第61話 最終決戦

文字数 3,892文字

「すげーな。あんなバトンタッチの方法があったのか」

 九条からユイへの交代を、すぐ後ろで見ていた男性が言う。その男性から自転車を受け取ったのは、綺麗な青色の髪を片方だけ編み込んだ女性だった。

「感心してないで、早くそのペットボトルを寄越しなさい」

 女性は少し強めの口調で、ふんだくるようにバックパックを取った。

「ああ、そうだった。このハンデも引き継ぐんだったな。でも、重いぞ」

「重くても仕方ないでしょう。車体に括りつけるより、背負った方がパワーが出せる。私たちの作戦のはずです」

「でもそれは、パワーのある俺たち男性選手の話で、あんたは別じゃ……」

「……甘く見ないでください」

 その女性は、おもむろに自転車をこぎ出す。変速ギアのないママチャリは、ゆっくりと車輪を回していった。
 それが、どんどん早くなっていく。
 脚は止まらない。回るペダルも、一瞬たりとも止まらない。
 圧倒的な回転力で、その車体は進んでいく。

「私にとって、このくらいのタイム差はちょうどいいハンデです」

 その女性選手――ルリが、ユイを追う。



『えー、現在アンカーとして走っている選手たちの紹介をしたいところですが……この第4走者の区間。さほど長い距離でもないので、そんな時間もありませんねぇ』



 実況の声を聴きながら、ユイは少しだけ考えた。

(この状況。自転車がいつまで持つかは考えなくていいのではござらぬか?)

 と……
 最終的に車体が壊れようとも、自分がゴールさえできれば勝利だ。ゴールに着いた後の事や、ゴール手前でのことは考えなくてもいい。
 もともと、勝利のためだけに組み上げた、この大会で使うためだけの自転車だ。普段の通学用と違って、この後の使い道は考えていない。

(なら、拙者が必死にぶん回して、このまま逃げ切れば……)

 そう考えてしまったところで、ユイは首を横に振った。自分の頭の中にある『それまで考えてきた勝ち方』を、自分で振り払う。

(……そうでござるな。お前を壊しはしないでござるよ)

 特に名前も決めていない、ただの改造ママチャリ。
 しかしこの車体は、仲間たちの想いを背負って走った、大事な車体だ。

(ひとまず、無事にゴールまで走るでござる。これ以上の負担を与えないようにして、ゴール後に修理……それから)

 そっと、ペダルを再確認する。回転時に強いトルクを加えると異音がするようだ。つまり、軽く回せば大丈夫。
 後輪の歪みを最小限にするためにも、ハンドル側に重心を移動する。そのまま頭から突っ込むように、前へ、前へ……
 本来なら、充分な推進力を得られるとは言い難い姿勢。しかし、

(拙者なら、これでも勝てる!)

 目の前にいる数名の男性選手を追い抜き、その勢いのままコーナーへと侵入。後輪を地面から少し浮かせながら、ドリフト気味に曲がっていく。

(一度でも勢いを失えば、また加速するときに負担が大きくなるでござる)

 止まることも、減速することも出来ない。ユイはそんな中、呼吸をするのを諦めた。
 短距離で決着をつける時の戦法だ。とはいえ、ここからゴールまではおよそ3キロメートル。少しだけ長すぎる。
 ユイの身体が先に限界を迎えるか、それとも自転車が先にダメになるか、
 あるいは――

「マシントラブルですか? ユイ」

「――ルリ姉」

 相手に追い抜かれてしまうか。そう考えているうちに、実際に追い付かれた。寄りにも寄って、相手はルリだ。

「……また、無茶な走りをしましたね。ユイ」

「いや、拙者ではござらぬよ。他のみんなが頑張ってくれた結果でござる」

「そうですか。それで、その車体でどうするのですか?」

「そうでござるな……全員をぶっちぎる。みんなの想いを乗せて、そのうえでこの車体と共にゴールする。その予定でござる」

 そう答えたユイは、ふと笑った。この真剣勝負の場で、ピンチな状況であるのに、あまりにも似つかわしくない笑顔。

「どうしたんですか?」

「いや、ちょっと考えてしまったのでござるよ。みんなと自転車に乗ることって、今までなかなか無かったでござるからな」

「……?」


 ユイは、ママチャリに乗れば無双の実力を持つ。
 スピードも、コントロールも、生き残るための知恵と技術さえも、他の人たちを遠くに置き去りに出来る。
 だからこそ、自転車は一人で乗るものだと思っていた。たまに誰かと走る時も、いつも共有できる時間が限られていた。
 今は、違う。
 チームのみんなが繋いでくれた自転車を、多数のライバルたちと競いながら走れる。
 いつまでも、一緒に自転車を楽しめる。


「ルリ姉。仲間って、いいものでござるな」

「え?」

「いや、そこでマジ重めの『え?』はやめて。拙者がおかしい人みたいになるでござろうが」

「いや、ユイがおかしいのは今に始まったことではありませんが、私まで巻き込まれるのが嫌だったので」

「……やっぱルリ姉らしいでござるな」

 まだ目の前には、多数のライバルたちがいる。この状況をひっくり返すのも、至難の業だろう。
 もしそれらを抜いたとしても、隣にいるルリとの一騎打ちになる。彼女は最後まで力を温存して来る。この大会で最も警戒していた存在だ。



「行くでござる。みんなのっ、ママチャリーっ!!

 ユイの乗る自転車は、さらに加速した。追い付いてきたルリと張り合うために、より高速でペダルを回転させる。
 走り方としては、荒々しさが無い。安定してペダルを回転させている。常に同じ負担でチェーンを引いている。

(なるほど。上から下へと踏み込むのではなく、前から後ろへと蹴り出すようなペダリングですか)

 と、ルリが分析した通りだ。車体よりも自分自身に負担をかけるような乗り方だ。それで壊れた車体を、無理やり安定させていた。

「そこまでして、私に勝ちたい理由は何ですか?」

 ルリが気になったことを聞く。少なくとも、そのくらいの余裕はあるという事だ。
 答えに詰まったのは、ユイだった。

「そうでござるな……いろいろありすぎて、拙者の頭では伝えきれぬ」

「頭の回転は鈍そうですものね」

「むむっ。なんか馬鹿にされたでござるか」

「気のせいという事にした方が良いです」

「そうでござったか。――いや、ごまかされぬよ!?

 会話を挟みながらの勝負。そのはずなのに、ぐんぐんと順位は上がっていく。周囲の体力が落ちていく中、この二人のパワーは上がっていた。

「おおかた、一番の目的は賞金の100万円でしょう。私もそうです」

「うむ。魅力的でござるな。それが一番なのは間違いない」

「他に考えられる理由としては、学生としての仲間意識、でしょうか。チームで走っているからこそ、負けられないのでしょう?」

「もちろんでござるよ。よじろー殿に、アミ殿に、九条殿。それからカオリ殿やイア殿も、大切な仲間でござる。期待を裏切りたくはない」

 と、ルリがユイの戦う理由を言い当てて、ユイが正解だと認める。

「他に考えられる理由があるとしたら、相手が私だから、ですか?」

「おお、それも正解でござる。ルリ姉が参加しなかったら、拙者だってこんな故障寸前の自転車に命を預けたりしないでござるよ」

 ユイがキラキラとした目で、前だけを向いて言う。それを横目に見たルリは、ふっと笑った。

「やはり、ユイの初恋のアキラ様を、私が取ってしまった事――まだ許せませんか。それとも、バイトを押し付けて先輩気取りの私に、一泡吹かせたいとか」

「いや、それは残念ハズレでござるな」

「?」

 ルリからしたら、ユイはほんの去年までの恋敵で、半年前に無理やりバイトを押し付けた張本人。そして今はバイト先の先輩かつ、ユイの初恋の相手を奪った女だ。
 そういう関係だと思っていたから、てっきりどこかで嫌われているのではないかと思っていた。バイト先での態度はフレンドリーだが、根に持っている部分はあるのだと……
 しかし、

「拙者にとってルリ姉は、どこまで追いかけても追いつけない自転車乗りで、いろいろ教えてくれるメカニックで、何より……お姉ちゃんみたいな人でござる」

「え?」

「拙者は、認めてほしいのでござるよ。何も知らないままルリ姉に自転車を教わって、いつの間にかルリ姉を大好きになっていた。だからこそ、認めてほしいのでござる」

「――相変わらず、馬鹿ですね」

「何と!? ルリ姉いま何と申したか!」

「馬鹿だと言ったんです」

 大好きだなんて、そんなのルリだって同じだ。
 確かに嫌味を言うことも多いが、ユイを対等と認めなかったことは一度も無い。
 ただ、分かりやすく伝えるのが恥ずかしかった。

「拙者が勝ったら、なぜ拙者を馬鹿にしたのか、教えてもらうでござるよ」

「いいですよ。負けられない理由がまた増えましたね」

 いつも不愛想なルリが、ほんの少しだけ笑った気がした。
 しかし、それを確認することも出来ない。なぜなら、

(アタック!?

 ルリが前に出て、ユイを引きはがすような勢いで加速したからだ。

(拙者も、負けられんよ)

 どのみち、レースは終盤。このまま全力を出しきって構わない。
 レース実況者の声が、競技場のスピーカーから響いてきた。


『レース終盤。ここで一気に順位を上げてきたのは、輪学大学3年生チームのルリ選手。それを追うのが、ファッションカオスのユイ選手。トップ争いに躍り出たまま、勢いも衰えません。
 まさかの女子2人による競争。周囲も必死に追いかけますが……』


 その周囲とやらを、もうユイは見ていない。隣にいるルリの事だけは気にかかるが、

(ルリ姉――)

 彼女はゴールだけを見ているようだった。なので、ユイもそれに倣って、ゴールだけを見続ける。


『ゴール! 優勝したのは――』
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