第6話 真夜中のカーチェイス 前編

文字数 3,852文字

 学校が終わると、ユイはそのまま家に……は行かずに、近くの自転車店に向かう。客としてではなく、アルバイトとして、だ。
 17時からのシフトである彼女は、一度家に戻るだけの時間が無いのである。何しろ、ここから自宅まではユイでも1時間以上かかるからだ。
 ロッカールームに入ったユイは、学生服を脱いで、店の制服に着替える。とはいえ、店側が支給しているのはエプロンだけで、ワイシャツやスラックスは自前だ。

(この暑い中、スラックスは嫌でござるな。まあ、店の中は冷房が効いているのも確かじゃが……)

 せめてジョガーパンツのようなゆとりがあれば良かったのだが、あいにくと職場では認められていない。ので、仕方なく今日もノータックのテーパードシルエット。肌に張り付く裏地が何とも心地悪い。

(これが『動きやすい服装』だと言うのだから、この職場も困ったものでござるな。布地にゆとりがない事だけが動きやすさではないでござるよ)

 と、たかが高校生バイトが言ったところで、職場はマニュアルを変えないものである。
 どころか、マニュアルを制作しているだろう本社の人間とは顔を合わせたことも無い。雇われの支店長には話が出来るのだが、「規則だから我慢してね」の一点張りだ。

 しかし、接客は楽しい。意外なことに喋り方自体は注意されないし、客も面白がってくれる人が多い。ユイ自身の人柄や、人懐っこい雰囲気もあっての事だろう。
 そうして閉店時間である21時まで仕事をして、最後に店内の掃除をする。それが終わるころには、労働基準法的にも限界の時間だ。



「お疲れ様でござった。店長」

 学生服に着替えたユイが、元気よく店長に挨拶をした。ちなみに、タイムカードは着替える前に切っている。

「はい。お疲れー。気をつけて帰るんだよ」

 やや小太りの店長は、にこやかに言った。

「夜も遅いから、いろいろと注意してね。事故とか、変質者とか、警察とか」

 最後の警察に関しては、青少年健全育成条例とやらに違反しているのを承知しての心配だ。
 22時以降の未成年の外出は、地域の条例で禁止されている。にもかかわらず、帰宅に1時間以上かかると理解したうえで21時以降まで仕事をさせていたと分かれば、店長も警察に何を言われるか分からない。
 なので、警察には見つかるなという、なかなか理不尽な要求である。

「店長。やはりこの店、人が足りてないのではござらぬか?」

「うーん。まあその通りなんだけどね。新しいバイトさんとか入ってくれないんだよ」

「最低賃金ギリギリの募集では、そりゃ誰も入りたがらないでござろう」

 わりと言いたいことを遠慮なく言うユイ。少なくともこの職場は、どんなことも気兼ねなく言える環境にはなっている。言うだけであり、別にそこから何か改善できるわけではないが。

「まあ、ね。だからルリちゃんを呼び戻そうとは思ってるんだ」

「おお、ルリ姉でござるか。戻ってくるのでござるか?」

「うん。怪我してた脚のリハビリも終わったみたいだし、大丈夫だよ。来週から出勤してくれるって」

 店長がほほ笑む。作り笑顔などではなく、忙しい仕事が格段に楽になることによる安堵の笑顔だ。同じような笑顔を、ユイも見せていた。

「そうなったら、拙者は20時で仕事上がり――」

「そうなったら、ユイちゃんと一緒に閉店作業してもらうからね。ついでに外の掃除もお願いするよ」

「……店長。拙者の仕事量が減ってないでござるよ?」

「うん。ぼくの仕事量を減らす方が優先だから」

 どう転んでも、ブラック企業はブラック企業なのである。もっとも、店長だって現在の仕事量が適切なわけではない。本社から与えられたノルマの厳しさは、思った以上に店舗を圧迫していた。



 ゴロゴロゴロゴロ――

 最近は珍しくなってきた横付け式の発電機(ダイナモ)が、音をたてて回る。前輪のタイヤ側面にローラーを当てて、その回転で電気を起こす仕組みのものだ。
 それによってLEDライトを起動し、夜道を照らす。光量は速度次第なところもあるが、思った以上に安定して明るい。しかし……

(重いでござるな)

 当然ながら、発電しながら進むわけである。そのぶん体力を使うため、ペダルはいつもより重く感じる。

(いっそ乾電池式か、USB充電式のライトを取り付けたいでござる。……次の給料が出たら、必ず買おう)

 問題は、どこに取り付けるか、だ。
 ライトステーと呼ばれる、ライトを取り付ける専用の場所はあるのだが、これは乾電池式のライトをつける場所ではない。というより、外付け式ライトのほとんどが、ハンドルなどに巻き付ける方式を採用している。
 ならハンドルに取り付ければいいのだが、ユイの使うハンドルは既に、いろんな部品で埋め尽くされていた。飲み物を入れるボトルホルダーや、速度を表示するサイコン。それに後ろを確認するサイドミラー。ベルや変速ギアのシフターもある。

(仕方ない。このライトで我慢するしかないでござるかな)


 片側2車線の道路。その左側車線を、ユイが走る。自転車とは本来、歩道を走る用には作られていないものだ。特にユイくらいの速度が出る場合、車道を走る方が安全である。
 慣れてくれば怖くはないし、快適に走れる。歩道特有の点字ブロックや、横断歩道との段差を気にしなくていい。

(そう言えば、不審者が出るって、学校でも言ってたでござるな)

 朝のホームルームで、そんな話をされた気がする。もっとも、ユイは遅刻していたので、詳しい話は聞けていないが。

(まあ、学校で警告するくらいなら、その不審者も登下校時を狙った者でござろうな。こんな夜中まで出てきたりはせぬだろう)

 と思うものの、少しでも疑い始めると怖いものである。見慣れた夜の暗闇が、何か得体の知れないもののように感じる。

(む、信号は赤でござるか)

 交差点に、一台の車が停車している。最近よく見る電気自動車だ。ユイの自転車の視界は、乗用車のそれより高い。なので自動車の屋根越しに、前方の信号などを見ることが出来る。

(拙者も停まるしかないでござるな)

 ブレーキをかけて、電気自動車の後ろに並んだ。当然だが、ダイナモが回らなくなったことにより、ライトが消える。交差点なので街灯もあるが、それでも少し不安だ。
 その後ろから、大きなワンボックスカーがやってくる。

(むっ?)

 ユイの自転車は、後ろからも見えやすい。荷台の先端にも、後ろカゴにも反射板を貼っているからだ。なので、追突されるということは無いだろう。
 だから、自分の後ろに並ぶ形で止まってくれるはず……と、ユイは思っていた。しかし予想に反して、ワンボックスカーはセンターライン寸前まで右によると、ユイの真横に来る。

(あー、たまにいるでござるよな。自転車を1台に数えず、真横にベタ付けを当たり前だと思っているドライバー)

 悪気はないのだろうが、自転車からすればプレッシャーだ。これでは走り出すことも難しい。
 と、思っていると、さらに予想外の事が起きる。

「お嬢さん。こんな夜中にどうしたの?」

「え?」

 助手席の窓を開けて、男が話しかけてきたのだ。年齢は若いが、それでもユイよりずっと年上だろう。暗いので、細かい人相は分からない。

「大丈夫?」

「どこ行くの?」

 さらに複数名の声。スモークが貼ってあるので見えないが、車の中には大勢の人が乗っているようだ。
 ガララ……と、スライドドアが開く。

「うわっ、セーラー服じゃん。え、高校生?」

「もう子供は寝る時間だよ」

18歳未満(こども)じゃないかもしれないじゃん」

 ユイが黙っている間にも、どんどん話が進んでいく。いつの間にか信号は青に変わり、前方の電気自動車は静かに進んでいた。だというのに、このワンボックスカーは進む気配が無い。

「ねえ、お譲さん」

 助手席のドアが開かれた。こうなると、ユイに逃げ場がない。
 前はドアにふさがれ、すぐ右は車体そのものが封じている。後ろに下がればいいのかもしれないが、自転車はバックできるように作られていない。左には歩道との境になる垣根。
 そんな中、ユイの肩に手が触れる。自分やクラスの女子たちのような小さな手ではない、成人男性の大きな手――

「ねえ、送っていこうか?」

「この車デカいから、チャリごと積めるよ?」

「何歳? 名前なんっていうの?」

 だんだん、その人たちの声が大きくなってきた。返事が無いので苛立っているのかもしれない。しかし、声が出ない。

(……もし、善意で拙者を送ってくれると言っているなら、申し訳ないのでござるが)

 ひょっとしたら、いい人たちなのかもしれないが、ユイはそれでも逃げる事にした。
 自転車を降りると、それを担ぎ上げて垣根に飛び込む。わずかではあるが、こういうところには隙間があったりするのだ。
 自転車も、制服も、引っかかる。むき出しの足や腕を、枝が引っ掻いた。パキパキと音を立てて折れる枝と、特に音もなく切れる肌。

(すまぬ、垣根)

 無理やり歩道まで通ると、自転車を置いてくるりと回転。今来た道を一目散に走って逃げる。

「あ、逃げたぞ!!

「Uターンだ。あっち!」

「追いかけろ。逃がすな!」

 口々に男たちが言う。もうどう考えても善意で助けてくれる人ではない。

(拙者が何をしたというのでござるか!?

 半べそをかきながら、それでも走るユイ。

(まあ、しかし……)

 その目は、怯えた小動物のような弱弱しいものから、急に肉食獣のそれに変わる。そう……殺戮ベアと恐れられた目だ。

(自転車さえ走らせれば、あとは拙者のものでござる)
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