第5話 スカートと空冷式ユイ

文字数 3,187文字

 休み時間。ユイは机の上に突っ伏していた。そのまま放っておいたら溶けてしまいそうである。

「それにしても、暑いでござるな」

 最近、高校にクーラーが設置されることは多くなったが、予算の関係や建物の設計上、あまり充分な設備とはいかなかった。
 そこに来て、ここ数年は異常気象の連続と言える暑さが続いている。ただでさえ教室全体を冷やすほどのパワーが無いクーラーと、断熱性の低い校舎だ。その室内温度は、決して快適と言えない状況である。

「うーん。まさか学校で水をかぶることも出来ないもんね。――いや、外でもダメだけど」

 と、隣の席に座るイアが言う。この席順になったのはくじ引きによる偶然だが、二人は席が近いこともあって、こうして話すことが多い。

「まあ、水をかぶる方法は、風があって初めて機能するのでござるよ。つまり自転車に乗っている時だけの秘策でござるな」

「そっかぁ」

 ユイと同じように、イアも机と一体化する。一人でやっても別に体感温度は変わらないが、二人でやると……やはり何も変わらない。

「ああ、でもいい方法もあるでござるよ」

「え、ほんとに?」

「うむ」

 机の中から、扇子を取り出す。バサッと広げたそれは、白地に筆文字で『史上最強』と書かれた冗談みたいな一品。

「何か特殊な扇子なの?」

「うむ。言わずと知れた有名ブランド、ダ〇ソーの逸品でござる」

「……100円のやつじゃん」

「100円のやつでござるな」

 それを親指と残り4本指で挟むように持ち、パタパタと自分のお腹を仰ぐ。もう片方の手で制服の裾を軽く持ち上げてやると……

「これだけで、服の中に風が循環するのでござるよ。よく顔だけ仰いでいる人を見るが、それより効果的でござる」

「へー、そうなんだー。じゃあ、私も」

 イアが取り出したのは、直径10センチほどの羽根を付けた扇風機だった。持ち手に乾電池を入れて動かすタイプである。

「はーっ。本当だ。涼しい」

「む、それはずるいでござるよ」

「ずるくないもーん。あー、うちの学校がセーラーで良かった」

 確かに、裾をスカートに入れないセーラー服ならではの方法である。少しゆったり作られているのも相まって、風が通りやすい。

「スカートももう少し涼しい素材で作られていると、なお良いのでござるけどな」

「いや、これ以上薄いとスカートまで透けちゃうよ。っていうか、風でめくれちゃうし」

「それもそうでござるな」

 軽く脚を開いたユイが、スカートの中にまで風を送り込む。机があるため視界は遮断されているが、はしたないと言われても仕方ない所作だ。

「ねえ、前から思ってたんだけど、ユイちゃんって無防備だよね。とっても」

「む。そうでござるか?」

「うん。もう少しいろいろ気にしてもいいんじゃないかな、って」

「拙者としては、これでもきちんと気にしているつもりなのでござるよ。現に、中までは見えぬでござろう?」

「うん。えっと、ギリギリ見えなければいいやって考え方自体が違うと思う」

「?」

 どうやら、もともとの価値観の違いに他ならないようだ。長い付き合いの中で何となく察していたし、何よりイアもあまり他人にどうこう言える立場でもないので、

(ま、いいか)

 で済ませる。このやり取りも何度目になるか分からない。


「そう言えば、自転車に乗るときは、スカート、どうしてる?」

「うむ。普通に座ってござる」

「それ、前からの風でめくれあがったりしないの?」

 ユイの場合、他の人よりも速く走る。それは下手をすると自動車並みに、だ。
 普通の速度で走っていても気になるイアにとって、ユイがどう対策しているかは気になった。

「ああ、それは……」

 ユイが答えようとしたところで、チャイムが鳴る。それが雑談の終わる合図になっていた。





 放課後。ユイは実際に自転車を見せてくれた。

「このサドルの高さが、スカートがめくれないコツでござるよ」

「え?」

 高い。それはもう、両足を地面につけることが出来ないのではないかと思うほどに、高い。実際、このママチャリの限界ギリギリまで――具体的に言えば、シートポストの限界線と呼ばれる破線が見えるまで――高さを上げられている。

「よ、っと」

 ユイが自転車を傾けて、サドルに座る。やはり両足が地面につく状態ではなく、片足だけで支えている状態だ。ペダルを下ろしたときに、脚が伸び切る直前くらいになる高さ。

「このくらいにしておくと、スカートの『前』から風が当たるので、風がスカートを押さえる形になるのでござる。一方で……」

 自転車に跨るイアを指さす。イアのサドルは、購入時にお任せでセッティングしてもらったきり、全く高さを変えていない。地面に両足の踵をつけて、それでもまだ数センチの余裕がある状態だ。

「その高さでペダルを漕ぐなら、膝は曲がったままでござろう。必然、スカートの下から、中に向けて風が入ってくるのでござる。その風が行き場を失うと、スカートがめくれてしまうのでござるな」

「あ、そっか」

 要するに、風の強さではなく、吹き込む角度の問題であるらしい。

「ついでに、立ち漕ぎをするなら、後ろにカゴをつけておくのも良いでござるよ。このカゴがスカートの後ろ側を押さえてくれるので、ちょっと安心でござる」

「あ、それってバッグを入れるためだけじゃなかったんだ」

「まあ、重い荷物を入れる時も、後ろカゴの方が安心でござるけどな。前カゴはハンドルを取られやすくなるでござる。なので拙者は基本的に、後ろを使ってござるよ」

 とはいえ、ユイの場合は後ろのカゴより、サドルの方が高い。これではスカートを押さえる効果は薄いだろう。スクールバッグを縦に積んでようやく効果を発揮する。

「ちなみに、スカートの裾などが後輪に巻き込まれるのも防げるのでござるよ。とはいえ、イア殿の自転車にはドレスガードが付いているから、サドルが低くても巻き込まれはしないでござろうけど」

 と、ユイはイアの自転車の後輪……その横に取り付けられたプラスチック製のカバーを指さした。

「あ、これ、ドレスガードって言うんだ。初めて知ったよ」

「うむうむ。拙者も前の自転車にはつけていたでござる。まあ、サドルさえ上げてしまうと、さほど必要はなくなるのでござるけどな」

 自転車を降りたユイが、じりじりとイアに近づいていく。

「さあ、イア殿も、サドルを上げるでござる」

「え?い、いや。私は別にいいかなぁ。怖いし、危なそうだし……」

「いやいや。力が入りづらい姿勢で漕いでいる方が、実は転びやすいでござるよ。さあ、さあ」

「ゆ、ユイちゃんはそうかもしれないけど……」

「観念するでござる。うりゃー」

「きゃーっ!」





 結局、ユイに押し切られる形でサドルを上げてしまった。とはいえ、ユイほど極端に上げたのではなく、両足のつま先が地面に着く程度にとどめてもらったが。
 その効果のほどは、意外なところにまで派生していた。

(漕ぎ出しが、軽い?)

 もともと、スカートが押さえられればそれでいいと思っていた調整だが、副次的に足に力が入りやすくなった。

「すごい。これ、楽に走れるよ」

「そうでござろう。そもそも人間の脚は、伸ばしきったときに最も力を発揮するのでござるよ。逆に言えば、脚を曲げっぱなしで力が入るわけがないのでござる」

「あー、それでスポーツ自転車に乗っている人とかは、あんなにサドルが高いんだね」

「うむ」

 例えばスクワットをするとき、あえて高い負荷をかけるため、膝を伸ばしきらない方法がある。あれはわざと疲れる方法を実践しているわけだが、自転車でサドルを下げるのはまさにそれと同じと言えるのだ。

(だからユイちゃん、あんなに速いのに、脚が細いんだ……)

 余計な肉のついていない、しなやかな脚。そこからどうやってあの速度が生み出されるのか。
 いろいろな理屈はあるのだが、そのひとつがサドルの高さだったことを、イアは今日初めて知った。
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