第56話 得意な距離

文字数 2,384文字

 ――少し時間をさかのぼって、与次郎たちが熱い戦いの真っ最中だった頃。

 アミを含む第2走者たちは、バトンタッチする地点で移動バスを降りていた。

「自分のチームの第1走者が来ましたら、係員の誘導でこちらに来てください。この線からこの線までの間で、自転車の受け渡しをしてください。そこを越えると、また線まで戻って走り直してもらいます」

 運営スタッフかボランティアか、誘導員の腕章を巻いた人が説明をしてくれていた。
 安いメガフォン越しで、内容が微妙に聞き取りにくい。実際には数メートルしか離れていないのに、まるで数十メートル先から口に布を当てて喋っているような声だ。

(まあ、だいたいパンフレットに書いてあることと、言ってること同じだろ)

 と、アミは手元の紙片に目を落とす。また、実況中継の三隅アナウンサーも同じようなことを言っていた。スマホ越しに送られてくるその声の方が、メガフォンより確実にクリアな音質だ。

「あれ? アミさん?」

「え?」

 声のする方を振り返ってみると、自分と同じくらいの歳の女の子が立っていた。どこかで見たような顔だが、いまひとつ思い出せない。ただ、向こうはアミを覚えているようで、

「やっぱアミさんだ。うわー、こんなところで会うなんて奇遇だねー。学校のユニフォーム着てるからすぐ分かったよ」

「え? えーと……」

「あ、もしかして覚えてない? ほら、こないだ陸上大会で会った、西高の」

「あ!」

 その紹介で、アミもようやくピンときた。

「レイカさん」

「そうそう。覚えてたんじゃーん」

「うわー。本当に奇遇だな」



 彼女の言うように、学校の陸上部の大会で、一度だけ会った仲だ。それも直接対決したわけじゃない。お互いに出る種目が微妙に違っていたので、まったく戦ったことも無かった。

「あの時はありがとうね。おかげで最後まで走り切れたよ」

「ああ、コンタクトレンズか。今日は落とすなよ」

「あはははっ。分かってるよ」

 あの大会の時、レイカが控室でコンタクトレンズを落とさなかったら、お互いに名前を知ることも無かっただろう。そのくらいの仲だ。
 とはいえ、まったく陸上とも高校とも関係のない地元の自転車大会で再会できたとなると、何か運命のようなものを感じる。

「レイカさんは、自転車やってたの?」

「ええ。もともとトライアスロン出身なのよ」

「え? じゃあどうして陸上部に?」

「いや、うちの高校、トライアスロン部なんか無いからね。でもなんか部活に入ってる方がいいし」

「ああ……そりゃそうだよな」



 そうやって談笑しているうちに、与次郎たち第一走者が近づいて来る。

「あ、ゴメンな。アタシ出番だから」

「あら、速いのね。同じ部活の子?」

「いや、同じクラスのチャラ男だよ。アイツ、やる時はやる男なんだ」

「ふーん」

 アミたちには、事前に打ち合わせていた秘策がある。合宿の際に全体練習で何とか実現させた必殺技――自転車ミサイルだ。
 与次郎が叫ぶ。

「頼んだよ。アミちゃん!」

 彼が乗り捨てるように飛ばしてきた自転車に、アミは恐れず近寄っていく。

「任せろ!」

 まるで生き物のように進んでいく自転車を、アミは確かに捕まえた。そのまましっかり身体を乗せると、勢いそのままに突っ込んでいく。
 すぐ後ろから、別なチームも追いかけてきた。向こうは大学生のアキラから、同じ大学のケンゴという男子に自転車が手渡される。



「ふーん。奇策を使うのね。アミさん」

 取り残されたレイカは、余裕の笑みを浮かべていた。アミの背中が見えなくなっても、レイカのチームの第1走者は来ない。
 そのうち、他のチームの人たちもやってきて、もたつきながらも交代していく。

「レイカ! ゴメン!」

 やっと来た。レイカのチームの第1走者だ。レイカと同じ陸上部所属の女の子。自転車には1本のペットボトルも乗っていない。つまり、チーム全員が女子で構成されているということだ。

「ほんとゴメン。私、やっぱり男子たちには勝てなかったよ」

「大丈夫よ。私が取り返すわ」

「え? ほ、ほんと?」

「ええ。次は上り坂が主体の第2区でしょ。私の独壇場じゃない?」

 事実、レイカに焦りは見られない。どころか、自転車を渡されているにもかかわらず走り出さず、こうして仲間と会話していられるほどの余裕だ。

「山は怖いわよ。途中で脚を止められない。絶え間なくチェーンに負担がかかる中、それでも休まずに登らなくちゃいけない」

「レイカ……?」

「確か、アミさんは短距離走とハードルが専門だったわよね。もって数十秒。その体力で、何分までなら登り続けられるかしら?」

「え? アミさんって、誰?」

「――何でもないわ。こっちの話。じゃ、行ってくるわよ」

 レイカがゆっくりと動き出す。その速度は、じわじわと上がっていく。まるで蒸気機関車のように、ひと漕ぎするたび着実に加速する。

 ギュン――ギュン――ギュン――



『はいはーい。こちら実況の三隅ですよぉ。
 各チーム第1走者が次々とバトンタッチしていく中、現在トップを走るのはチーム『ファッションカオス』のアミ選手。一番最初にバトンタッチしましたが、女性の体力でこの坂道を登るのは厳しいでしょうかぁ?
 他のチームの選手たちも苦戦していますねぇ。あくまでママチャリなので、あまり坂道に向かないのも仕方ない運命かもしれないですぅ。
 ――って。えええっ!? 中継、第3カメラに移せますかぁ?
 チーム『なかよし陸上部』のレイカ選手。まったく傾斜を感じさせない走りで進んできますぅ。
 女子だけで構成されたチームなので、男子の人数に応じて増えていく重量ハンデは0本。……なのですけど、それだけでは説明のつかない力強い走りですぅ!』



(そりゃそうよ。目の前にいる疲れた人たち、ぜーんぶ私が追い抜くんだから)

 レイカの牙が、

(もちろん、先頭のアミさんも、ね)

 体力も限界のアミを狙う。
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