第9話 リフレッシュ

文字数 2,913文字

 翌朝、ユイはいつも通りの時間に寝て、いつも通りの時間に起きた。つまり、いつも通りの寝坊である。
 せっかくバイトが休みだったのだから、早めに寝ればよかったのに――と誰もが思うだろう。ユイだってそう思っていたのだ。だから布団に入った時間までは早かったはずなのだが、習慣とは逃れられないものである。
 結果、いつも通りの遅刻をするのであった。

 その遅刻を、ユイは昼休みまで引きずってしまった。いつもならすぐに忘れる程度の事も、万全を期したなら気になるのだろう。

「なぜ、今朝も起きられなかったでござるか……拙者のばか」

 弁当を口に運びながらも、ユイはやはり元気が無かった。いつもなら美味しいはずのお母さん手作り弁当も、今日は味が分からない。これはこれで母に失礼である。

「あははー……きっと、疲れがたまってたんだよ」

 隣の席に座る友人イアは、ユイを優しく励ましてくれた。うなだれるユイの頭をなでて、能天気に笑う。

「ユイちゃんは頑張り屋さんで、変なとこ真面目さんだからねー」

「ううむ……そうなのでござろうか」

「うん。きっとそうだと思うよ」


「ユイが頑張り屋……か」

 イアがいる方とは逆から、男子の声がする。何の感情も感じない、温度の無い声だ。

「九条殿……」

「よう。今朝も遅刻だったな」

 壁に寄り掛かっていた九条は、おかっぱ髪をさらりと指でかきあげた。斜めに切られた前髪から覗く目線は、ユイの後頭部あたりを見下ろす。

「す、すまぬとは思っているでござるよ」

 九条に直接何か迷惑をかけたわけでもないにしろ、気分が悪いのは分かる。ホームルームの時間を削るなどして、間接的には迷惑をかけているわけだ。
 何より人間は、自分と同じ立場でありながら、自分の出来ることが出来ない相手を嫌う傾向がある。いわゆる『みんな遅刻してないのに、お前だけ遅刻するなんて変だ』という考え方だ。

「九条君。ユイちゃんだってバイトで忙しくて、大変なんだよ」

 イアが弁護に入った。
 同じ『みんな』でも、九条は『みんなが出来る事なら、出来るようにしろ』という形で『みんな』を使うタイプ。対するイアは、『誰にだって出来ない事くらいあるんだから、みんなで助け合おう』という形で『みんな』を使うタイプ。

「……」

 比較的、この件には男女差があるらしい。なんとなくだが、この手の議論になると九条には男子が味方し、イアには女子が味方する。もっとも、同性だから理屈が似ているのか、それとも理屈抜きで同性を擁護しているのかは分からない。
 案の定、昼休み中の教室はこの件に注目し始めた。そして、二つの勢力に分かれて対立する構えを見せる。
 それを眺めまわした九条は、少しだけ苦い顔をした。

「ちっ! 話を無駄に大きくしてくれたな。イア」

「おやおやー? みんなが見てたら強気に出れないタイプなのかな? 九条君」

 お互いに、渦中の禍であるユイを放って睨み合う。ユイを守る構えのイアは、ユイの背中にさりげなく手を置いて立ちふさがった。
 しかし、その横を九条が素通りする。

「え?」

 もともと九条にとって、用事があるのはユイだけなのだ。わざわざイアや、彼女が集めた女子たちを相手にする必要はない。
 スッと学ランのポケットに手を入れた九条は、何かを引き抜き……

「ユイ。これ……」

 ……ユイの机に置いた。その手の動きを見ていたユイは、差し出されたものを手に取る。

「こ、これは……」

 丁寧に包装紙に包まれ、リボンまでつけられた小さな箱。それはあまりにも、九条のポケットから出て来るのに似つかわしくないものだった。

「それ、アロマキャンドル。寝る前に焚いておくと、安眠効果がある。お前にやるよ」

「せ、拙者に?」

「ああ。俺もバイク買うために随分バイトしたからな。その……大変なのは分かる、つもりだ。それに、お前の自転車が速い事も知ってる。えっと、通学にかかる時間が問題ってわけじゃ、ないんだろ」

「九条殿……」

「そ、それだけだ。邪魔したな」

 結局、九条は一度もユイと目を合わせず、言いたいことだけを言って退散してしまった。教室からも出て行ってしまったが、お昼ご飯はどうするつもりなのか気になるところだ。

「えっと、あれ? 九条君、ユイちゃんに文句を言いに来たんじゃないんだ」

「うむ。そのようでござる。……あ、礼を言い忘れたでござるよ。追わねば――」

 立ち上がろうとしたユイを、そっとイアが抑えた。肩を掴んで、席に戻す。

「まあまあ、これは別に追いかけなくていいんじゃないかな。っていうか、追いかけられると複雑じゃないかな」

「む?」

「そっとしておいてあげようって言ってるの」

 軽くユイの頭を叩いたイアは、それから九条の残した箱を手に取る。きっと店員が『贈り物なら』と包装してくれたのだろう。そんな感じの包み方だ。

「私も、九条君に悪いことしちゃった。後で謝らないとね。あ、と、で」

「うむ。では拙者は今すぐ礼を言いに――」

「あ、と、で」

 イアにそう言われたユイは、周囲を見回す。すると、回りにいた生徒たちは男女問わず、同じような含み笑いで言うのだった。

「「「あ、と、で」」」

 と――

(むぅ……拙者、何かそんなに言われることをしたのでござるか?)



 その様子を、遠巻きに見ていた男子が一人。

(ふーん。……九条っち、そんなもの用意してたんだねー)

 気に入らないとばかりに舌打ちをした彼は、すっと教室を後にした。

(ユイちゃんも、まんざらじゃなさそうじゃーん。よかったよかったー。なーんてね)

 左耳に開けたピアス代わりの安全ピン。それを少しずらした彼は、やはり不機嫌そうだった。





 いつものように学校を終えて、バイトに行く。そんな一日を終えて、そろそろ日付が変わる頃。
 家に帰ってきたユイは、両親を起こさないようにこっそりと風呂に入り、一日の汗を落とす。そしてベッドに戻ってくると、あの箱を開けた。セロファンテープで止められた包装紙を、可能な限り傷つけないように開けて……

「うむ。おお、こんな感じなのでござるな」

 箱の中に数個、ころころと並んだ、小さなキャンドル。そのうちのひとつを手に取り、マッチで火をつけた。ちなみにこのマッチは以前、ユイが叔父たちとキャンプに行ったときの残りである。
 ベッドの横にあるチェストにキャンドルを置き、その香りを大きく吸い込む。こうして寝る前に深呼吸するのも、新鮮な体験だった。

(しばらく焚いたら火を消して、溶けた蝋を捨てておくのでござるな。ちょっともったいないでござるけど……)

 同梱されていた説明書を、あえてキャンドルの明かりだけで読んでみる。火の揺らぎのせいで若干読みづらいが、明るさ自体は十分である。

(九条殿、ここまで拙者を気遣ってくれているとは思わんかったでござるな。このアロマキャンドルも、きっと安いものではないでござろうし……)

 さすがに値段など聞かなかったが、ちょっと気になった。とはいえ、そんなことを気にして眠れなかったら、せっかくのキャンドルも勿体ないというものである。

「おやすみ。九条殿」

 ふぅ――

 息を吹きかけてキャンドルを消したユイは、溶けた蝋をそっと別な容器に流して、眠りにつくのであった。
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