第55話 必殺!自転車ミサイル!

文字数 3,886文字

『第1走者の展開は、もはや二人の争いになりましたぁ!』

 スマホで見られるネット中継。その実況解説を務める三隅アナウンサーの声を、ユイが聞いていた。場所は第4走者の待機所だ。

『先頭を走るのは、チーム『輪学大学3年生』の不知火アキラ選手。それを僅差で追うのは、チーム『ファッションカオス』の与次郎オトヤ選手。デッドヒートですぅ』

(ほう……よじろー殿。うまくやってくれているでござるな)

 本来なら与次郎がアンカーを務めるはずだったが、彼の希望により順番を変更したため、ユイがアンカーとして待機している。その沿道には応援や見物に来た人たちも多く混ざっていて、その中にはイアもいた。

「ねえ、ユイちゃん。ヨジロー君は勝てるの?」

「うーむ……中継を聞いている限りでは、どっちとも言えないでござる」

「え? そうなの?」

「うむ。ただ……あのアキラ殿と善戦を繰り広げているなら、それは充分な戦果でござるよ。スタート前の拙者の予想では、このセクションは完全に負けたと思っていたでござる」

 そんな話をしている二人の横を、今まさにレース真っ最中のアキラと与次郎が通過する。第3走者から折り返して戻るコース設計なので、ここは第1走者も通るのだ。





「ユイちゃーん!」

 与次郎の声が聞こえた。すれ違いざまで一瞬だけ、それでも確実に。

「ぼく、勝つからねー!! 見ててー!」

 言い終わるころには、自転車はユイの隣を通り過ぎていた。それでも、ユイにはきちんと届いた。

「が……」

 ユイがさっと振り返り、コースの真ん中に駆け寄る。両手でメガホンのような形を作り、去り行く与次郎の背中に向けて、

「頑張るでござるよー。よじろー殿!!

 警備員たちが『まだコースに入っちゃダメだよ』と、ユイを押し戻す。ユイもその指示に素直に従って、元の待機所へと戻った。

「ユイちゃん。コース入ったら危ないよ」

 イアからも注意された。

「う、うむ、すまん。なんか言わないといけない気がして……な、なぜでござろうな?」

 ドキドキと強く鳴り続ける心臓が、痛いくらいに胸の内側を叩く。抑え込もうとして手を胸の中央に当てても、苦しさが増すばかりで――

「の、のう。イア殿」

「なに?」

「今のよじろー殿、ちょっとだけ……えっと、ちょっとだけでござるよ?――カッコよくなかったでござるか?」

「え? うーん……」

 少し迷ってから、イアはにっこりと答えた。

「いつも通りだったよ」

「そ、そうでござるな。拙者の見間違いでござった」

 イアに言わせれば、与次郎はいつも通りだった。
 いつも通り、ユイの事となると必死で、何かと一生懸命で、ときどき見ていられないくらいの無理をする。
 そんないつも通りの与次郎だった。





(やべぇ……)

 アキラは、内心で焦っていた。

(この走り方、筋力的に負担がデカいんだよなぁ)

 アキラ自身の癖もあるかもしれないが、車体を横に振りながら走る『ダンシング』は、そんなに長時間の使用ができる技ではない。体力を大きくそぎ落とし、無駄なパワーを多く消費する技だ。
 なので、序盤で突き放す予定だった。そうやって相手を精神的に負かした後で、悠々と第2走者にバトンタッチする予定だった。

(俺らのチーム、この後に控えている第2走者のケンゴには、あんまり期待できないからなぁ。だから俺がぶっちぎりトップを取って、後を楽にする必要もあったんだけど……)

 予想外なことに、与次郎が後ろから追い上げてくる。その差はさらに詰まっていて、既に横並びに近い。
 頭を回さなくても、視線を横に向けるだけで、与次郎の乗る車体が見えるようになってしまった。前カゴを外したレース用ママチャリは、そのスッキリとした外観に似合わない荒々しい走りをしている。

「ユイちゃーん! 見ててねー!!

 ライダーもまた、力強い雄叫びを上げながら走ってくる。

(こいつ、馬鹿か?)

 はたから見れば、与次郎に叫ぶほどの元気が有り余っているようには見えない。そもそも叫ぶこと自体が必要ない。
 車体にありったけのパワーをぶつける。そんなテクニックもコントロールも必要な局面で、他所を気にしている暇などないはずだ。
 第2走者が見えてきた。交代だ。



『さあ、ここでバトンタッチに入りますよぉ。
 今回のリレー。バトンの代わりとなるのは『自転車』そのものですぅ! 乗り換える際は、地面に引いたラインから5メートル以内で納めてくださいねぇ。地面に目安となる線を引いていますので、その中でお願いしますよぉ。
 あ、チームメイトの男子選手の人数に合わせて増える『水入りペットボトル』も引き継いでくださいねぇ。
 それにしても、誰かが座った後のサドルって、ちょっと興奮しません?』



(ひとまず、俺の勝ちは確定か。問題はオトヤ君を置いてけぼりに出来なかったことだな)

 と、バトンタッチ手前でありながら、アキラは勝利を確信した。
 ブレーキを引いて、右足をペダルから降ろす。左ペダルに全体重をかける形で、降りる姿勢をキープ。

(おっと、ペットボトルも引き継ぎか)

 背中に背負っているリュックサックも、肩から降ろして手に持つ。バランスを崩しそうになるが、そこは技術でキープだ。

「アキラ! こっちだ!」

「分かってるよ。ケンゴ」

 大学の同級生同士、お互いの名前を呼び合って、場所を確認する。
 アキラと与次郎の戦いもここまで……と思っていた、その時だった。

(え?)

 アキラの真横を、信じられない何かが通り過ぎた。



(ぼくの勝ちだ! アキラさん!)

 与次郎は、ブレーキを掛けない。
 そのままラインへと突っ込んでいく。目標は、第2走者であるアミのすぐ隣。
 彼女の右肩に、左ハンドルをぶつけるような角度を狙って、

「ぶっはぁー!」

 一気に空気を吐き、最高速度へと到達する。そのまま、

「頼んだよ。アミちゃん!」

 両ペダルから足を離した与次郎は、フレームの中央を蹴ってジャンプした。そのまま脚を大きく開き、自転車だけを射出する。
 無人の自転車は、乗り手を失ったまま、それでも勢いだけでまっすぐ進んでいった。

「任せろ!」

 少し左に逸れ始めた自転車に、アミが跨る。こちらも走りながら、無理やりハンドルを握る形で、だ。
 バトンタッチできるのは、5メートルのエリアだけ。この長さは自転車本体の、およそ3倍にあたる。
 たったそれだけの短い間隔で、アミは飛んできた自転車に何とか飛び乗った。まずハンドルを握って、次にサドルに腰掛けながら、車体を右に倒す。左に逸れた向きを、正面へと立て直す。
 そして、最後にペダルを踏む。バトンタッチ完了だ。



『ああーっと!?
 チーム『ファッションカオス』のバトンタッチ、早いですぅ。いつの間にか分からないタイミングで、与次郎オトヤ選手が、青井アミ選手と交代しましたぁ。
 ハンデとなるペットボトルは、自転車についてますねぇ。なぁるほど。これで一気にペットボトルと自転車の両方を受け渡す作戦のようですぅ。
 一方、『輪学大学3年生』の不知火アキラ選手。第2走者のケンゴ選手にリュックを渡す動作で遅れたぁ!』



「ま、マジかよ……無茶苦茶しやがって」

「へっ、へっへへー。これくらいしないと、アキラさんに勝てないからねー」

 お互いに息を切らせながら、係員の誘導でコースの外に向かわされる。その足取りはふらふらで、与次郎に至っては肩まで借りている。

「なあ、なんでそこまでして、俺に勝ちたかったんだ?」

 アキラは純粋な疑問を、勝者の背中に投げかけた。与次郎は振り返らず、小声で答える。

「ユイちゃんに――」

「?」

「ユイちゃんに、振り向いてもらいたかったから」

「……ああ、なるほど」

 アキラは少し考えた後、その意味を理解した。分かってみると、ずいぶんと可愛らしくて、とても強い理由だ。
 何より、

「笑える――くははっ」

「な、何で笑うのさー! ぼくだって必死だし、今回ばかりは真面目なんだぞー」

「いや、ごめんなオトヤ君。そっかー。ユイが俺のこと、『初恋の人』とか言ったから、か」

「な、何だよ? つーか、アキラさんにはその気があるのかよ? その、ユイちゃんを幸せにする覚悟っつーか、なんっつーか」

 口を尖らせる与次郎に、アキラは半笑いで答えた。

「ああ、俺だって好きになった女の子を、本気で幸せにしたい気持ちってのはあるよ。まあ、ほら――俺に何が出来るのかは分からないけどさ」

「っ!?

 倒れそうな与次郎の前にやって来たアキラが、何かを見せる。スマートフォンだった。その待ち受けには、短髪の美女が映っている。与次郎の知らない人だ。

「これ、俺の彼女」

「え?」

「いやー、ユイから告白もされたんだけどさ。去年の秋ごろだから……もう10か月くらい経つかな。でも俺、そん時ちゃんと断ったんだよね。『他に好きな人がいるから』って」

「え? ええっ!? そ、それじゃあ、ユイちゃんの初恋ってのは――」

「うん。もう終わった話だぞ。それも結構前に」

「そ……」

「そ?」



「そんなーあああああ」



 幼馴染とはいえ、片思いの相手とはいえ、そのすべてを知ることは難しい。
 まさか恋だとか男だとかに無縁だと思っていたユイが、初恋どころか失恋まで経験しているとは、与次郎には思いもよらないところだった。
 ――というより、

「だったら何でぼく、こんな必死に戦ったんだよー!!

 勝ったはずの与次郎が、地面に膝をついて泣き崩れている。
 負けたはずのアキラが、そんな与次郎を指さして笑っている。
 あまりに奇妙な光景に、後から来た選手たちや、沿道で応援していた観客たちも混乱するしかない。
 その理由は、本人たちのみが知る。
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