第45話 合宿開始

文字数 2,300文字

『九条殿ぉ~』

「お、おお、どうした? ユイ?」

 夏休みを自分なりに満喫していた九条は、突然の電話で起こされていた。時計を見ればもう23時。充分に深夜と呼べる時間だ。
 で、何の用かと思えば……

『暇でござる~』

「はぁ?」

『いや、拙者が務めているバイト先、労働基準局から『バイトを働かせすぎだ』と指導があったらしくて、の。調整のために拙者に1週間の連休が与えられたのでござるが、いざ時間が空くと何をしていいのやら……』

「お前さ。それ、この時間に相談することか?」

『え?』

「……」

『……』

 やや沈黙が流れて、スピーカーがユイの吐息だけを聞かせてくる。昨今の技術は凄い。マイクの収音範囲も、電波の周波数も、ノイズへのシールドも、全てが高水準だからこそ息遣いまで聞こえるわけだ。
 で、

『あ、しまった。もうPM11時でござったか! てっきりAM11時だと思っていたでござる』

「ああ、そっちは12時間で時間表示してんのか。それにしても、12時間もズレてて何で疑問に思わないんだよ? 外真っ暗だぞ」

『いや、天気予報では、今日は台風が来るかもしれんと言っていたからでござる。鎧戸を締め切っていたので、外が見えなかったのでござるよ』

「……その台風って、昨日の話だよな?」

『え?』

「……」

 どうやら、日付も1日ほどズレたらしい。普段から何の予定も無くても生活リズムを崩さない九条と違って、ユイはバイトがないとどこまでもダメになるタイプのようだった。

「まあ、いいや。それじゃあ暇つぶしに、いつもの連中でも誘うか」

『む? ファッションカオスのみんなでござるな』

「その呼び方は認めたくないけどな」

 最初こそ面白がって採用したが、あとになってみると恥ずかしいものである。

『それじゃあ、合宿なんかどうでござる? 拙者、部活とかやったことが無いでござるから、憧れていたのでござるよ』

「合宿か。まあ、いいけどさ」

 九条にとっても、合宿なんて初めてだ。中学の時は何かの部活に入っていたのだが、序盤からずっと幽霊部員を貫いていたので、自分でも何の部活に所属していたのか分からないほどである。

『では、他のみんなにも予定を訊いてくるでござるよ。ちなみに、九条殿はバイト大丈夫なのでござるか?』

「ああ。大丈夫だ。もう辞めたからな」

『え? ついに愛想が悪くてクビでござるか?』

「ふざけんな。俺は元々辞める予定だったんだよ。ただ人手が足りないから継続して手伝ってたって、前にも言っただろう」

『覚えていないでござる』

「そうかよ」

 なんにしても、九条にしてみれば充分に……いや、それ以上に稼がせてもらった形になる。突然の出費も大して痛くはない。

「じゃあ、俺はいつでもいいから、あとは他の連中と日程でも組んでくれ」

『うむ。夜分遅くにすまんでござる』

「ああ」

 電話を切って、ついでにもう片方の手で牛乳の入ったカップを持つ九条。

(それにしてもユイのやつ、俺に真っ先に連絡してくるなんて、どういう風の吹き回しなんだろうな)

 暇というだけであれば、それこそイアやらアミやら誘う友達はいくらでもいただろう。その中で自分が一番に選ばれる理由は――

(まあ、寝ぼけてただけか)

 と、結論付ける。

「やれやれ。急に電話だもんな。俺も少し驚いたぜ。いや、少しだけどさ――」

 と、誰に言い訳をしているのか、独りぼっちの自室でそうつぶやいて、スマホをベッドに投げる。柔らかいベッドに『ぽすん』と着弾する音を聞いた九条は、安心して牛乳を飲もうとして……

「ん?」

 その手に持っていたのが、牛乳ではなくスマホであることに気づいた。いつの間にか入れ替えられていた?……いや、そうではなく、単純に間違えたのだろう。

(右手に持っていた方がスマホだったのか。……え? じゃあ牛乳は?)

 恐る恐るベッドへと振り返った九条は、その惨劇を見て膝から崩れ落ちた。
 ユイの電話は、彼を大きく動揺させていたらしい。



 ――翌日。

「まったく、昨日の夜中に決定した話だってのに、どいつもこいつも暇人ばっかだな」

 九条が頭を掻くと、他のみんなもそれぞれに目線を反らしたり、笑って見せたりした。

「それにしても、ユイ。今回の思い付きは、いつもより唐突だったんじゃないかしら?」

「え? あー、いやー……まあ、そんな時もあるでござるよ」

「?」

 カオリが首をかしげる。ユイは何かをごまかすように、大きく2回手を叩いた。

 パン! パン!

「さ、それより合宿を開始しよう。カオリ殿。今日はよろしくお願いしますでござる」

 例によって、この合宿に場所を提供してくれるのはカオリだった。なので前回の練習と同様、あの散歩道を使うのだろう。と、誰もが予想して集まったのだった。
 ただ、カオリは全く違ったことを考えていたらしい。

「さあ、行きましょうか」

「え? 行くって、どこへでござるか?」

「家の前にレンタカーを待たせているわ。手配済みよね? 爺や」

 カオリが訊くと、隣にやってきた爺や(?)が恭しく礼をする。

「はい。必要と思われる物資も含めて、2台到着しております。ユイ様の自転車も、こちらへ」

「う、うむ」

 ユイがチーム用に購入した自転車を渡すと、爺やは丁寧な手つきで受け取った。

「まあ、私だけ自分の家じゃ、合宿って感じが出ないからね。みんなもどうせ楽しむ方がメインでしょ」

「おいおい。せめて行先だけでも教えてくれよ」

 九条が戸惑う。その問いかけに答えたのは、カオリではなく爺やだった。

「キャンプ場を手配しております。まずはそちらに移動して、練習をしながら拠点の設営を、と思いまして――」

 本格的な夏休みの到来が、この瞬間だったのかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み