第60話 予想外の救援

文字数 2,083文字

 マーサはしばらくの間、立ち上がることが出来なかった。ビリビリとした感覚が全身を包み込んでいる。体内で無数の小さな蛇がのた打ち回っているようだった。シルヴィアの魔法、電撃の矢(ライトニングボルト)の影響で周囲の空気がぴりついている。喉が焼けるように熱く、堪らず彼女は咳込んだ。

「やったか?」
 
 ロッコの声が聞こえ、視線を上げると、白目をむいたゲイルの顔が見えた。ユニコーンを模した仮面から湯気が出ている。そして周囲には腐臭の入り混じった肉が焦げたような匂いが溢れ、その発生源である目の前の魔物はというと、生命機能が麻痺したかのように微動だにしなかった。
 一方、馬上のタウロスに目をやれば、あの煌びやかな鎧は今では所々黒ずんで、見るも無残な姿をさらけ出していた。だらりと投げ出された手足はピクリともしない。あの青白く揺らめいていた美しい顔も、跡形もなく消え去っていた。

 マーサはゆっくり立ち上がると、ゲイルに触れてみた。ずるりと仮面が落ち、その下にある醜悪な顔が露わになる。ボロボロに崩れ落ちた皮膚とそこから覗く骨。ぞっとするほど透き通るくらい白い。“こつん”とつま先で何かを蹴った感覚がして、彼女がおそるおそる見下ろすと、そこにはゲイルの左眼窩から零れ落ちた眼球が転がっていた。

「そのようだけれど……」
「全身を鎧で固めているのがアダにあったな」ロッコが彼女の隣に来て呟いた。

 それにしても……、
 マーサは黒焦げになったタウロスと彼の愛馬を見て思った。シルヴィアの魔法の威力が以前よりも格段に上がっているような気がする。以前、試練の洞窟で彼女がオーク相手に放ったライトニングボルトよりも、こちらの方が鋭く、そして速い。魔法を唱える際の精神集中が上手くいっている証拠だろう。彼女の頭の上のマインドフォーカスの輪が一役買っているのかもしれない。

 地面に伏せるタイミングが少しでも遅れていたら、今黒焦げになっているのは自分だったかもしれない。そう考えて、マーサは背筋が凍る想いがした。

 彼女はシルヴィアに小言の一つでも言ってやろうかと思い、後ろを振り返った。

「シルヴィア、あなた……」
「マーサ、ダメ!!

 シルヴィアの悲鳴にも似た叫びが、これまで流れていた穏やかな空気を切り裂いた。大きな黒い影がじわじわと彼女を飲み込もうとしている。頭の中でがんがんと警告音が鳴り響き、彼女が素早く振り向くと、彼女を踏み潰そうとするゲイルの両前脚が眼前にまで迫ってきていた。

『まだ、動けるの⁉』

 ゲイルの脚が彼女の額を砕こうかとしたその瞬間、彼女は突然横へ吹き飛ばされた。咄嗟にロッコが自分の体ごと彼女を押し倒したのだ。ズドンという地面を砕く音がすぐ隣で聞こえ、大地が震えた。彼女達の真上ではタウロスがフレイルを振り被っている。

 ヤマトはすかさずスリングに炸裂弾をセットし、タウロスに狙いを定めた。だがその時にはもうその首から上のない騎士は、ロッコとマーサの二人にフレイルを叩きつけようとしていた。

『間に合わない!』

「ピュィーーー‼」

 ヤマトが息を呑んだ、その時。
 甲高い鳴き声が周囲の静寂(しじま)を突き破ってどこからともなく聞こえてきたかと思うと、小さな猛禽が空から急降下しタウロスに襲い掛かった。黄金のくちばしとナイフのような鋭い鉤爪、それとシミ一つない真っ白な翼。マスターウルラのホワイトフクロウだ。

 ホワイトフクロウはタウロスが一瞬怯んだのを見て取ると、再び空へ舞い上がり、上空を旋回しながら彼を牽制して、それからマーサのもとへと静かに降り立った。

 と、同時に。
 牛のようなどっしりとした力強い鳴き声とともに、何者かがバリバリと草木を掻き分けてこちら側に近づいて来る音が聞こえてきた。何か巨大な生き物がやって来る。それはその足音からも分かった。

 するとタウロスはその声を聞いて、急に動きを止めた。攻撃の意志など持たないかのように武器を降ろし、ゲイルとともに直立不動の姿勢をとっている。

 何事かとマーサ達が唖然としていると、タウロスの出現時に発生したものと同様の濃い霧が、にわかに四人を取り囲み始めた。

「ヤマト! シルヴィア!」

 慌てて二人はロッコとマーサのもとへ駆け寄り、彼らに肩を貸して立たせた。それから四人はホワイトフクロウを中心に円陣を組んだ。だが彼女達の不安をよそに、マスターウルラの使役獣は“心配するな”とでも言わんばかりに小首をくるくると回している。マーサはその暢気さに呆れたが、不思議と安心感も覚えた。

 息が詰まるような時間が流れ、霧が晴れていく。今回霧はすぐに晴れた。拍子抜けた彼女達の前にタウロスの姿はなく、そこには以前見たものと全く変わり映えのしない枯れ木が林立していた。

「展開の速さについていけないな」ヤマトがため息をついた。
「まったくだ」
「シルヴィア?」

 シルヴィアが獣道の奥をじっと見つめている。暗がりの中に浮かび上がる人型のシルエット。ひょろりとした長身の裸体に、地面にまで届くかと思われる髭と髪。そのぼさぼさの前髪の奥に隠れた一対の緑色の瞳。

「レーシー」シルヴィアがぽつりと呟いた。

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