第53話 洗い手トリスティアの告解 其の二

文字数 1,815文字

 トリスティアと四人の間に冷たい沈黙が流れた。

 ヴェロスは胸の疼きを覚えた。それと同時に彼らに対する嫉妬も。愛する者同士が最後を共にし死を分かち合うという場面を想像した時、眩暈にも似た狂おしさが彼の体内を突き抜けた。自分には成し遂げられなかったという悔恨、そしてこれからもその瞬間は永遠にやって来ないのだという事実が彼の胸を締め付けた。

 ヴェロスの顔に深い悲しみの色が出たのを見たコールは、咳払いを一つしてこの重苦しい沈黙を破った。「彼女達のせいなの? この森がこうなったのは」

 セシルが頷いた。「彼女達がその一因である事は言うまでもない。井戸の下に流れる地脈を通じて、穢れが森全体を覆ったのだろう。それには彼女達が感じた悲しみや怒りも含まれていたはずだ。この森は彼女達との結びつきが強い。影響は計り知れなかっただろう」
 
 コールは恐る恐る井戸の方を見た。何か邪悪なものが井戸の縁に手をかけ出て来るようなところを想像して。だがセシルが言うような穢れはそこからは全く感じられなかった。むしろそこにあったのは深い静寂だ。泣きたくなるくらいのやるせなさを湛えた孤独がそこにはあった。

 セシルが思い出したように口を開いた。「トリスティア殿、契約とは一体?」

 トリスティアは胸につっかえた物を吐き出すようにして喋りはじめた。「川を渡りさらに奥に進むと、一人の老婆がいます。巨大な老木のうろを住処として。私達はその方と契約を交わしたのです。この森を守るように。この森に足を踏み入れる侵入者を排除するように。タウロス殿が承知したのです」

 コールは離れ離れになったマーサ達のことが心配になってきた。聞くところによるとタウロスは生前、無敵の強さを誇ったらしい。そんな霊体が自分達を排除しようと森の中を探し回っているなんて、考えるだけでも身の毛がよだった。なんとか彼女達と合流して対策を練らなければ。コールがセシルに意見を求めようと彼の方を見ると、彼は一人浮かない顔をしていた。

「トリスティア殿、貴方は我々を排除するように命ぜられたのでしょう? なぜそのような事を教えて下さるのです? 貴方の目的は?」

「私は、私の目的は……」彼女は言い淀んだ。
「私はこの契約を早く終わらせたいのです。私達は囚われの身。私達を彼女から解放して頂きたいのです。それに、この森の出口は主のみが知っています。あなた達はここから出たいのでしょう? そうなのでしょう?」

 セシルが彼女の問いに答える前に突風が巻き起こった。足元の枯れ葉が舞い上がり、頭上を覆う木々の枝が重なり合って薄気味悪い音を出した。
「彼らが来る……」トリスティアはそう言うや否や、井戸に吸い込まれるように消えていった。吸い込まれながら彼女は四人に言葉を残した。「ここを出たいのなら彼女に会って。カリアッハに……」

 四人が唖然としていると、背後からまたもや四匹のバーゲストが姿を現した。
 ヴェロスが短い舌打ちをした。「やるぞ」

◇◇◇◇◇

「信用ならないな」ヴェロスが最後の一匹を矢で射抜いてから言った。
「何が?」コールがブロンコの右肩から飛び降りて彼に尋ねた。
「トリスティアだ。一見、彼女の話には筋が通っているようにも思えるが、言葉の端々に不明瞭さが見えた。セシル?」

 ヴェロスがセシルの顔を窺うと、彼は頷いた。「嘘をついているようには見えなかったが、何か釈然としない。彼女自身、困惑しているようにも見えた。それと彼女が言っていた森の主……」

「カリアッハ」

「カリアッハ・ヴェ―リ。枯れ野の老婦人。彼女は冬の精霊だ。一精霊にしかすぎない彼女に霊体を操れるほどの力があるとは思えない。さらに言えば……」

 セシルがローブの裾についた汚れを払いながら言った。「カリアッハには妹同然の存在がいる。ブリーイッド。常緑の貴婦人と呼ばれる春の精霊だ。彼女達は必ず対となって大陸各地に存在する。カリアッハがこの森にいるとすればブリーイッドもいるはずだ。なぜ、彼女の話は出てこなかったのか……」

 ヴェロスが川の向こう側を見て言った。「直接、聞きに行くしかないな。カリアッハに」
 セシルが自分の右肩を左手の人差し指でとんとんと叩いた。すると淡い色の発光体が出現し、一瞬まばゆく光ったかと思うと、小さなフクロウが姿を現した。マスターウルラの使役獣だ。

 セシルがフクロウの顎を撫でながら優しく言った。「今回はお前にも少し働いてもらうぞ」
 
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