第36話 ヴェロス 其の二

文字数 1,942文字

 親を亡くし、森で一人暮らしをしていた俺を、街の最長老が引き取った。俺の弓の腕前に目を奪われたのだという。

 街の名前はニンプ=エッセ。

 その頃の俺は、森での一人暮らしから突然街中に放り込まれた所為もあって、他の者と交流を持つこともままならなかった。環境は変わったが、やっている事は森にいた頃と何も変わらない。射撃と隠密の腕を磨くため、朝一番に狩りに出る。木々の間を素早く移動しながら、獲物を弓で仕留める。そして、夕暮れになると、最長老の屋敷へ帰り一人で食を摂る。孤独で味気ない生活の繰り返し。俺はどんどん頑なになり、どんどん無口になっていった。

 そんな俺にも友人はいた。子狼のガントだ。森で一人暮らしをしていた頃に出会った、数少ない俺の理解者だった。

 ある日、狩りから戻ると、ガントの姿が見えない。焦った俺は屋敷中を隈なく探し回った。食糧庫や倉庫なども含めて、一通り見て回ったが見つからない。冷静さを失っていたためか、彼の足跡を追うということも失念していた。

 俺が途方に暮れていると、声を掛けてきた者がいた。「どうしたの? 探し物?」
 あの小鳥のさえずりの様な綺麗な声は、今もまだ忘れられない。
 後ろを振り返ると、そこにはうら若き乙女がいた。
 最長老の一人娘、サプリナ。
 俺は涙ながらに訴えた。“ガントがいなくなった。ガントがいなくなった”と。

「馬鹿ね。助けが必要ならそう言わないと」彼女はそう言うと俺の手を引き、自分の自室へと連れて行った。

 彼女の部屋の中には、暖かい日の光が射し込む窓が一つ、鈴蘭を活けた花瓶を乗せた机が一つ、それと様々な書物で埋め尽くされた本棚が一つあった。
 そして、その部屋の中央に、椅子を挟んでじゃれ合う二匹の子狼がいた。

「この子がガントじゃない? ごめんなさい、私のリタが連れて来たみたいなの。」

 ガントが見つかった事と彼女の優しい声の所為もあって、俺は安心してつい泣き出してしまった。人目も憚らず泣き出した俺の姿を見て、彼女はおろおろしながら俺の隣に座り、一緒に涙を流してくれた。「ごめんなさい。お願いだから泣かないで。何だか私まで悲しくなっちゃう」

 それからだ。俺と彼女の仲が近くなったのは。何をするにも一緒に行動することが多くなった。食事をとるのも一緒。弓の練習も一緒。彼女の魔法の練習も一緒。流れゆく雲を二人で追い、木々の葉が様変わりする様子を一緒に眺めた。永遠とは何か。それを肌で感じられるようになった頃、俺はとうとう彼女の守り手となった。

 森の奥で行われた神聖な儀式。木々の葉の間からこぼれ落ちる日の光を浴びて、厳かに立つサプリナ。彼女の前で片膝をつく俺。その周りを囲む長老達。俺の新たな友人、賢者セシルを立会人として述べられた誓いの言葉。

「日出ずる時から、日沈むその時まで、貴方を守る盾とならん。貴方に害なす者は我が矛に屈さん。我ここに誓う。我が弓、我が矢にかけて」

 俺は幸せの絶頂だった。森の動物達が見守る中、セシルが俺の肩を抱き、リタとガントは興奮の遠吠えをあげていた。いつもは厳しい長老達の目にも、この時ばかりは俺を祝福する優しい眼差しがあった。

 日の光を浴びて輝く黄金の髪を風になびかせ、サプリナは俺の手を包み込んで言った。「私の手を絶対に離さないでね。お願いよ、私の守り手さん」

 だが、そこから俺達の周りで暗雲が立ち込め始める。人間の二つの国、ブリガンドとフローレシアの間で戦争が勃発したのだ。馬鹿な人間どもがお互いに土地を取り合い始め、その戦火が俺達の森にまで及び始めた。それぞれの国から援軍を要請する旨の書状が届いたが、長老達はそれを無視した。あくまで中立を保とうとしたのだ。

 エルフが奴らに手を貸すかもしれない。
 お互い疑心暗鬼に陥った二国は、それぞれニンプ=エッセに宣戦布告をした。これを機に、とうとう戦は、エルフも含んだ三つ巴へと発展していった。

 最長老は俺を呼び出し、サプリナをグリーンエルフの住む西の島々へ送るよう命じた。

「一応、娘の安全のためにな。なに、戦争が終わるまでの間だ。心配はいらん。我ら光の民。神が我らを見捨てることなどありえん。人間には我らを怒らすとどうなるか、少し痛い目を見てもらわねばならん」

 サプリナはこれに反対した。あくまで人間と話し合い、お互いの誤解を解こうと主張したのだ。これに対し、父親である最長老はこう言った。「奴らが耳など貸すものか。欲深い人間どもめ、腹を満たすということを知らんのだ」

 俺の他にセシルも護衛として選ばれ、俺達三人は西へ向かうため森を出た。後ろを振り返りながら、森を眺めてサプリナはこう言った。「どうして理解し合えないの。人間もエルフも同じ神から造られた者同士じゃない」

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