第35話 丘の上での会話

文字数 1,854文字

 夜も更け、闇はその濃さを増してはいたが、夜空は満天の星で満ち、辺りはランタンの光もいらないほど明るかった。風の精霊の加護がまだ効いているのか、ちょうど良い冷たさの風が、丘の上を通り過ぎていく。ロッコとブロンコの大きないびきの合間で、草むらから、昆虫の――スズムシだろうか?――小さな羽根を震わせる音が聞こえてくる。

 美しい夜だった。任務が無ければもっと楽しめただろう。セシルとシルヴィアは飽きることのない魔法談義に花を咲かせ、ロッコはブロンコにミートパイを取られたとぶつぶつ文句を言い、ヤマトとコールはどちらが早く鍵開けが出来るか競い合っていた。皆、楽しそうに夜を過ごしていた。一人を除いては。

 マーサの隣で、ヴェロスがコールから貰った水を口にしながら、周囲に目を光らせていた。その目には一分の隙も無い。そんなヴェロスを横目で見ながら、マーサは彼に話しかけた。「少しいいかしら?」

 彼をちらりと見るが返事はない。マーサは構わず喋り続けた。「少しあなたとお話がしたいの。黙ったままでいいわ。あなたは訊いていると思うから」
 マーサは何から話そうか考えるため、少し間を置いた。

「今夜はいい夜ね。私達、協力し合えそうで良かったわ」
 沈黙。
「ロッコも何だかんだ言ってブロンコと仲良くしてるし」
 沈黙。
「セシルのような賢い人が仲間になってくれて、とても心強いわ」
 沈黙。
「シルヴィアね、実は気にしていたの。あなたに嫌われているんじゃないかって」
 ややあって、短い返答。
「嫌ってなどいない」

 マーサはほっとした。このまま本当に独り言で終わってしまったらどうしようかと考えていたのだ。
「そう、それなら良かった。彼女、自分は故郷を捨てた者だから、エルフの掟を固く守っているあなたからよく思われていないんじゃないかって、気が気じゃなかったの」

 ヴェロスは少し眉をひそめたが、何も言わなかった。

「故郷を捨てた者はもうそこには戻れないでしょう。彼女、何も言わないけれど、きっと他のエルフとも色々と交流を持ちたいんじゃないかって思うの」
「自分の街を失った者と、自分の街を捨てた者か。似た者同士だな」
 彼の皮肉めいた口調に、マーサは少しむっとした。「勘違いしないで。彼はあなたとは違うわ。彼女は自分の故郷を捨てた代わりに新しいものを手に入れた。それが何だか分かる?」

 ヴェロスは肩をすくめた。

 しばらく沈黙が流れた。ヴェロスは不審に思って、マーサをちらりと盗み見た。彼女は眼前に広がる大地をじっと見つめている。ややあって、マーサはゆっくりと口を開いた。
「自由よ。彼女が手に入れたものは。この世界に広がる大地や空のように、何者にも縛られることのないもの」

 マーサはヴェロスに向き直り、彼の目を覗き込むように見た。「あなたは一体何に縛られているの? あなたの目には何が映っているの? 自分の仲間の事をちゃんと見てる? その目には彼らと同じ物を見ているのかしら」

 彼女の言葉にヴェロスはどきりとした。以前、セシルにも言われた事がある。お前は生きながらにして、死んでいるようだと。

「俺は誓いを守れなかった者だ。それに、そもそもの元凶はお前ら人間ではないか。お前ら人間がバカな真似さえしなければ、まだ俺の街は存在しているはずだし、あの美しい森も、生き物達だって生きているはずだ」

 今度はマーサが黙り込む番だった。

 少ししてから、彼女は視線を前方に戻し、考え込むようにして言った。「私にはあなたが言う“誓い”といものが何なのか分からない。それにあなたの言う通りよ。あなたの街を破壊したのは私達人間。でも……、一括りで私達を見て欲しくないの。私達人間の中にも、あの災厄には心を痛め、二度と同じ過ちを繰り返さないよう努力している者もいるわ。私……、私が言いたいのは、シルヴィアが見ている景色をあなたにも見て欲しいの。コールやブロンコの様に、今ある時間を大切にして欲しい。私達にその手伝いを……」

「黙れ」ヴェロスが短く言った。

「あの、お前ら人間が行った魔法の所為で、南方の大地は壊滅してしまった。もはや残っている緑もない。あの災厄を生き残った者が何人いるのかも分からない。エルフで生き残れた者はいないだろう。いたとしても生き延びれるはずがない。森が一つも無いのだから。お前の身に同じような事が起こったらどうする。安穏と毎日暮らしていられるのか。だからもう、御託はよせ」

 彼はそう言うと、さっさと彼女のもとを離れて行ってしまった。 彼女の涙を後に残して。

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