第59話 タウロス戦 其の二

文字数 2,985文字

 ロッコが闘志を剥き出しにしながら、猪のような格好で頭を下げ、一直線に自分に向かって来るのを見たタウロスは、その鬼火のような青白い顔に微笑を浮かべた。

 タウロスは彼との戦闘の最中(さなか)、かつての自分自身との邂逅を果たした。名誉を賭けた一騎打ち。武器と武器がかち合う音。生死を分ける瞬間。そして、血の匂い。戦の匂い。自分の存在意義。

 それら断片的な過去の記憶が、彼(彼の記憶を持つウイルオウウイスプ)の奥底で深い悲しみに埋もれ眠っていた、ある感情を刺激した。

 それは一種の幸福感とも呼べるようなもので、戦士としての純粋な喜びだった。侵入者をただ排除するだけの死刑執行人としてではなく、一騎士として強敵と死闘を繰り広げることのできる喜びを彼は感じていた。眠たげに瞼を開けたそれが、徐々に彼自身の中で覚醒し始めようとしている。

 それを知って、彼は打ち震えた。そして感謝した。ロッコのような強い戦士と相まみえたことに。

 彼は顔に喜悦の表情を浮かべて、ゲイルの横腹を軽く蹴った。主人の興奮が馬にも伝わったのだろう。ゲイルは棹立ちになり、空に向かって雷鳴のような鋭い嘶きを一つ上げた。それからその銀化粧した雷雲のような黒い巨体を降ろすと、狂気に駆られたようにロッコに向かって突進していった。

 ロッコはものすごい勢いで疾走してくるゲイルに怯むことなく、自分の走る速度も緩めずに敢然と立ち向かっていくと、その黒馬の鼻面と衝突する寸前で自身の身体を倒し、その巨体の下に滑り込んだ。そしてそのまま仰向けの状態で地面を滑りながら、その獣の所々腐乱した、鎧で覆われていない下腹部を、“双子”のスラッシャーの刃で遮二無二切り刻んでいった。

 ロッコの全身がゲイルの血で深紅に染め上がっていく。
 
 生身の生物ならとっくに息の根は止まっているだろう。しかしゲイルは体をズタズタにされながらも、痛みを感じているような素振りは見せず、背後へ滑り出たそのドワーフの戦士に向けて両後ろ脚を蹴り上げた。

 ロッコは自分のあばら骨の軋む音を聞きながら、数メートル後方へ吹き飛ばされていった。彼は滑落していく登山家が命綱を掴むように、必死の思いで今にも途切れそうな自分の意識にしがみついた。そして空中でなんとかバランスを取ると、両足を踏ん張って無事に着地することに成功した。

 着地の瞬間、胸の真ん中にずしりと重い激痛が走って、彼は顔を歪めた。肺に酸素が上手く送り込めない。自分の鎧を見下ろしてみると、トロールのこぶし大ほどの凹みが出来ていた。シルヴィアの魔法がかかっていなかったら、今頃ただでは済まなかったに違いない。

 ロッコは苦虫を噛み潰したような顔をした。ドワーフは魔法というものをあまり好まない。彼らが戦闘において信じるものは確実性だけで、それ故己の肉体を鍛え上げる事だけを主眼とし、魔法などという得体の知れないものに頼る者を心底軽蔑していた。ドワーフとエルフの仲が悪いのもこれに起因する。

 この点、ロッコは他のドワーフと異なり、柔軟性があって、戦いに使えるものは何でも使うという立場をとっていたので、魔法使いを憎むなどということはなかったが、シルヴィアに魔法をかけられた時は、自分の中にあるマナを弄られた様な気がして、あまり良い気分はしなかった。

 その気色悪さと不本意ながらも彼女の魔法に救われたという感謝の念が、複雑に入り混じって彼の顔に出た。

『シルヴィアめ。魔法をかけるならかけると断ってからかければいいものを』
 彼は何度か深呼吸をして息を整えると、再びタウロスに向かって行った。

 タウロスはゲイルの下を(くぐ)るなどというロッコの意表を突いた攻撃に少し面を食らった様子だったが、すぐに手綱を操りロッコに向き直ると、彼の頭上目がけて何度も何度もフレイルを叩きつけた。それもただ叩きつけるのではなく、ゲイルを旋回させながら、あらゆる方向からその武器を繰り出した。

 振り下ろされるタウロスのフレイルをロッコの斧が受ける。その都度、鋭い火花が飛び散り、美しい金属音が奏で出た。

 マーサはこのタウロスとロッコの攻防を呆然と見ていた。見惚れていたといってもいい。さながらその光景は二人の名高い舞踏家による壮大な演舞のようだった。彼女は彼らの華麗な舞の中に自分が入り込む余地などないような気がして、そこに踏み込むのに二の足を踏んでいた。自分の侵入により彼らの間にある均衡が崩れてしまうのが怖かったのだ。

 かといって、このままじっとしている訳にもいかない。何しろロッコはタウロスとは違い、生きているのだ。そのうち疲労を覚え、消耗しきってしまうに違いない。

 彼女が見たところ、タウロスの意識は完全にロッコ一人に向けられていた。それならば彼女のやる事はただ一つ。ゲイルの注意を自分に向けさせることだ。

 そこで彼女はゲイルの視界に自分が絶えず入るようにした。隙あらば攻撃の構えを見せ、ゲイルの意識が自分に向くよう仕向ける。そうすることで馬とその乗り手の間に意識の齟齬が出来ることを期待した。

 また彼女はゲイルが足を上げる瞬間、ロッコによって切り裂かれた傷口が露わになるのを見計らって、そこにメイスを叩きつけた。彼女の一撃など蚊に刺されたくらいのダメージ量にしかならないだろうが、それも積み重ねていけば、小さな穴からダムが決壊するように、いずれ奔流となってゲイルを襲うだろう。いくら疲れなしといえど、宿り主は実体ある肉体なのだ。ロッコの言うようにそれを叩き潰しさえすれば、勝負は決まる。

 そうやってしばらくの間、辛抱強く戦っていると、タウロスとゲイルの息の合ったコンビネーションに狂いが生じてきているのが、マーサの目にもはっきりと見えてきた。

 明らかにゲイルはマーサの動きを警戒していた。彼女の攻撃は寄せては返す波のようで、捉えどころがなく、その攻撃を躱そうにも騎手であるタウロスがロッコに執着しているせいで、躱し切ることができなかった。

 今までのように危うくなったら距離を取るというようなこともしない主人に対し、次第にゲイルは苛立ちを募らせ始めた。

 糸が切れた操り人形にようにゲイルの動作がぎこちなくなり、やがてはタウロスもそれに気づき始めた。彼が周囲を小うるさく飛び回るマーサを彼が煩わしそうに見た、その瞬間。

 “ドーーーン!!”という耳をつんざくような爆発音が聞こえたかと思うと、タウロスが煙に包まれながら横へ傾いた。

 驚いてマーサがそちらに視線を向けると、タウロスから左手に少し離れた所、ヤマトがスリングを片手に立っていた。

 炸裂弾。これが今回の任務のため、ヤマトが出発する前に用意した秘密兵器だった。ギリアムに紹介された武器商人から大金をはたいて購入したものだ。スリングの弾丸として扱うことができ、対象者に直撃すれば内部の火薬と魔法の炎が融合し、大爆発を起こすというものだった。ヤマトは合計五発の弾丸を懐に忍ばせていた。

 ロッコとマーサが唖然としていると、後ろからシルヴィアの声が聞こえた。「伏せて!!

 マーサが咄嗟に地面に伏せると、それこそ光のような速さで彼女の頭上をシルヴィアのライトニングボルトが越えていった。

 そして……。
 濛々と立ち込める煙の中、タウロスとゲイルは目も眩むような光の塊をもろに食らって、動かなくなった。

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