第16話 ヤマトの気掛かり
文字数 2,601文字
マーサは震える右手を使い神聖魔法を唱えながら、自分の左腕を回復した。彼女の横にはぐしゃぐしゃになった盾が転がっている。我ながらよくあの攻撃に耐えられたものだと感心した。盾の上に描かれたモリガンが彼女をじっと見つめている。“次はないわよ”戦乙女がそう言っているような気がして、マーサは身が竦む想いがした。
マーサはシルヴィアの方を見た。シルヴィアの傷は彼女のよりもさらにひどい。包帯で額の傷は止まってはいたが、彼女の右腕と両膝は深い裂傷を負っていた。自分の傷が完璧な治った事を確認し、マーサは直ぐにシルヴィアに駆け寄った。
「だめじゃない。無理をしちゃ」マーサは眉間に皺を寄せた。
「あなたの方こそ」シルヴィアが面白そうに彼女を見て笑う。
「あんなデカブツに立ち向かっていくなんて。何、考えてたの?」
「何も。ただ仲間を守らなくちゃって。ただそれだけ」
シルヴィアが床にぽつんと転がるマーサの盾を見て呟いた。「モリガンね。彼女、敵を葬った数の分だけ戦士に加護を与えるらしいから。祈りも満更じゃないわね」
マーサが手を貸しシルヴィアを立たせると、ヤマトとロッコが二人のもとへやって来た。
「あとは、戻るだけだな」ロッコの顔には満面の笑みがある。手に入れた金貨は合計二百枚あった。四等分しても一人五十枚になる。彼は膨れ上がった自分の財布を見て、笑いが止まらないようだった。
「だが“証”には用心しろと書いてある。最後まで気を抜くな」ヤマトが厳しい顔をした。
四人は“証”に書かれていた指示に従って、用心深く洞窟の入口へと戻ってきた。その道中、どこからかやって来たコウモリの群れに襲われたが、ヤマトとロッコが難なく撃退した。扉を抜け、地上へと戻る階段の下に立って初めてマーサ達は一息ついた。
「やっと、ここまで来れたな」ロッコが被っていた兜を脱ぐ。
「街に帰ったらまずミギーのミートパイをたらふく食うぞ。それから新しい鎧を買うんだ。こんな使い古しのレザーアーマーなんかじゃなく、ピカピカのプレートアーマーを」
「いや、駄目だ。まずギルドへ行く。そこできちんと手続きをして正式に冒険者になる。街の住民の中には、パーティーを襲って“証”を強奪し、違法に売りさばく奴らもいるんだ」ヤマトがランタンを地面に置き、背伸びをしながら言った。
「フン! もしそんな奴らがいれば俺がこの斧で血祭りにあげてやる」
「それより、マギーに報告にしに行かなくちゃ。彼女きっと喜ぶと思うなあ」シルヴィアがニコニコと笑いながら言った。
三人の会話を聞きながら、マーサもこれからの人生について色々思いを巡らせてみた。冒険者になり旅をしていれば、自分の村に寄ることもあるかもしれない。いや、それだけじゃなく依頼を受け、直接村を救いに行くことだって出来るだろう。それからあの人も。コボルトから村を救ってくれたあの戦士。冒険者をやっていればいずれ会えるかもしれない。冒険者になった私を見て、またあの愛嬌のある笑顔で笑ってくれるだろうか。
そんなとりとめのない事を考えながら階段を上っていると、ヤマトから小声で声を掛けられた。「マーサ、少し気になることがあるんだが」
「何? 悪い事かしら?」
「いや、そういう訳じゃないんだが。シルヴィアの事だ」
ヤマトの声が一段と低くなった。顔が暗く見えるのはフードの陰の所為だけではないようだ。傍から見ても分かるくらい彼女の事を心配しているのが窺い知れる。
「オーク戦での彼女の変容ぶり、お前も気づいていただろう?」
ヤマトからそう言われ、マーサは視線を落とした。確かに彼女の様子は変だった。戦闘後の彼女のあの表情を失った顔と何も覚えていないかの様な素振り。
「ええ、もちろん気づいていたわ。でも彼女、エルフでしょ。オークと戦う時は彼女達、皆ああいう風になるんじゃないの?」彼女は絞り出すように言った。
「もちろんそれもあるだろう。だがあのオークに対する異常なまでの闘争心が気に掛かるんだ。彼女、ここに入る前に言ってたよな? 『私は弓と魔法で援護する』って。だが俺が彼女に距離を取るよう叫んだ時、彼女、離れるどころか奴に向かっていったんだ。お前、彼女から何か聞いていないか? 彼女がどこの部族の出身なのか、とか」
「ごめんなさい。詳しい事は何も聞けてないの。私達まだ知り合ったばかりだし……。でもどうして? それが何か関係あるの?」
ヤマトが前を行くシルヴィアをちらりと見る。「俺がいた東方の国でよく使われる呪術の症状と似ているんだ。お互いの憎悪を煽る為に、戦争状態にある国々の前線で使われていたものとな。まず憎むべき者の血液を採り釜に入れる。そこにコウモリの羽、魔女の皮膚の一部、黒ヤモリの心臓を入れ、最後に狼人間 の血を一滴足し、三日三晩、日の当たらない地下で眠らすんだ。その間、魔術師たちがその釜の周りで呪詛を唱える。それを新しく生まれて来る赤子に飲ませれば、自分の都合の良いような奴が出来るって訳さ」
マーサは絶句した。教会では人々にこう説いている。光神ルシフェルと闇神ダルクが協議した結果、お互いの性質を受け継ぐものとして人間が創り出されたのだと。ウヌス神のような均衡のとれた存在。善意もあれば悪意もある。しかしマーサはそれでも、人間というものはほとんどの場合、善意に従って行動するものだとばかり考えていた。まさかそのように人を強制的に憎悪に走らせる方法を、自分と同じ人間が行っているとは考えてもみなかった。
言うべき言葉が見当たらず絶句しているマーサを見てヤマトが笑みを浮かべた。「お前は、本当に気持ちの優しい奴なんだな。ゴブリンやオークにすら祈りを捧げるんだから。だが覚えておけ。神は人間に光と闇、双方の性質を与えはしたが、愚かな人間は自分に都合の良い方を取るもんだ。とりわけシルヴィアは光の民。闇の民と戦うことを宿命づけられている。とにかくシルヴィアの事は俺もマギーに訊いてみるが、お前からも彼女に色々訊いてみてくれ」
彼はそう言い残すと、ロッコとシルヴィアの後を追い階段を上って行った。
マーサはまたしてもヤマトの魔術の造詣の深さに驚いた。彼のあの知識は一体どこから来るのだろう。そして時折見せるあの全てを憂う表情も。このパーティーには解らない事が多すぎる。シルヴィアならきっと喜ぶだろう。また解明する謎が一つ増えたと言って。
マーサはシルヴィアの方を見た。シルヴィアの傷は彼女のよりもさらにひどい。包帯で額の傷は止まってはいたが、彼女の右腕と両膝は深い裂傷を負っていた。自分の傷が完璧な治った事を確認し、マーサは直ぐにシルヴィアに駆け寄った。
「だめじゃない。無理をしちゃ」マーサは眉間に皺を寄せた。
「あなたの方こそ」シルヴィアが面白そうに彼女を見て笑う。
「あんなデカブツに立ち向かっていくなんて。何、考えてたの?」
「何も。ただ仲間を守らなくちゃって。ただそれだけ」
シルヴィアが床にぽつんと転がるマーサの盾を見て呟いた。「モリガンね。彼女、敵を葬った数の分だけ戦士に加護を与えるらしいから。祈りも満更じゃないわね」
マーサが手を貸しシルヴィアを立たせると、ヤマトとロッコが二人のもとへやって来た。
「あとは、戻るだけだな」ロッコの顔には満面の笑みがある。手に入れた金貨は合計二百枚あった。四等分しても一人五十枚になる。彼は膨れ上がった自分の財布を見て、笑いが止まらないようだった。
「だが“証”には用心しろと書いてある。最後まで気を抜くな」ヤマトが厳しい顔をした。
四人は“証”に書かれていた指示に従って、用心深く洞窟の入口へと戻ってきた。その道中、どこからかやって来たコウモリの群れに襲われたが、ヤマトとロッコが難なく撃退した。扉を抜け、地上へと戻る階段の下に立って初めてマーサ達は一息ついた。
「やっと、ここまで来れたな」ロッコが被っていた兜を脱ぐ。
「街に帰ったらまずミギーのミートパイをたらふく食うぞ。それから新しい鎧を買うんだ。こんな使い古しのレザーアーマーなんかじゃなく、ピカピカのプレートアーマーを」
「いや、駄目だ。まずギルドへ行く。そこできちんと手続きをして正式に冒険者になる。街の住民の中には、パーティーを襲って“証”を強奪し、違法に売りさばく奴らもいるんだ」ヤマトがランタンを地面に置き、背伸びをしながら言った。
「フン! もしそんな奴らがいれば俺がこの斧で血祭りにあげてやる」
「それより、マギーに報告にしに行かなくちゃ。彼女きっと喜ぶと思うなあ」シルヴィアがニコニコと笑いながら言った。
三人の会話を聞きながら、マーサもこれからの人生について色々思いを巡らせてみた。冒険者になり旅をしていれば、自分の村に寄ることもあるかもしれない。いや、それだけじゃなく依頼を受け、直接村を救いに行くことだって出来るだろう。それからあの人も。コボルトから村を救ってくれたあの戦士。冒険者をやっていればいずれ会えるかもしれない。冒険者になった私を見て、またあの愛嬌のある笑顔で笑ってくれるだろうか。
そんなとりとめのない事を考えながら階段を上っていると、ヤマトから小声で声を掛けられた。「マーサ、少し気になることがあるんだが」
「何? 悪い事かしら?」
「いや、そういう訳じゃないんだが。シルヴィアの事だ」
ヤマトの声が一段と低くなった。顔が暗く見えるのはフードの陰の所為だけではないようだ。傍から見ても分かるくらい彼女の事を心配しているのが窺い知れる。
「オーク戦での彼女の変容ぶり、お前も気づいていただろう?」
ヤマトからそう言われ、マーサは視線を落とした。確かに彼女の様子は変だった。戦闘後の彼女のあの表情を失った顔と何も覚えていないかの様な素振り。
「ええ、もちろん気づいていたわ。でも彼女、エルフでしょ。オークと戦う時は彼女達、皆ああいう風になるんじゃないの?」彼女は絞り出すように言った。
「もちろんそれもあるだろう。だがあのオークに対する異常なまでの闘争心が気に掛かるんだ。彼女、ここに入る前に言ってたよな? 『私は弓と魔法で援護する』って。だが俺が彼女に距離を取るよう叫んだ時、彼女、離れるどころか奴に向かっていったんだ。お前、彼女から何か聞いていないか? 彼女がどこの部族の出身なのか、とか」
「ごめんなさい。詳しい事は何も聞けてないの。私達まだ知り合ったばかりだし……。でもどうして? それが何か関係あるの?」
ヤマトが前を行くシルヴィアをちらりと見る。「俺がいた東方の国でよく使われる呪術の症状と似ているんだ。お互いの憎悪を煽る為に、戦争状態にある国々の前線で使われていたものとな。まず憎むべき者の血液を採り釜に入れる。そこにコウモリの羽、魔女の皮膚の一部、黒ヤモリの心臓を入れ、最後に
マーサは絶句した。教会では人々にこう説いている。光神ルシフェルと闇神ダルクが協議した結果、お互いの性質を受け継ぐものとして人間が創り出されたのだと。ウヌス神のような均衡のとれた存在。善意もあれば悪意もある。しかしマーサはそれでも、人間というものはほとんどの場合、善意に従って行動するものだとばかり考えていた。まさかそのように人を強制的に憎悪に走らせる方法を、自分と同じ人間が行っているとは考えてもみなかった。
言うべき言葉が見当たらず絶句しているマーサを見てヤマトが笑みを浮かべた。「お前は、本当に気持ちの優しい奴なんだな。ゴブリンやオークにすら祈りを捧げるんだから。だが覚えておけ。神は人間に光と闇、双方の性質を与えはしたが、愚かな人間は自分に都合の良い方を取るもんだ。とりわけシルヴィアは光の民。闇の民と戦うことを宿命づけられている。とにかくシルヴィアの事は俺もマギーに訊いてみるが、お前からも彼女に色々訊いてみてくれ」
彼はそう言い残すと、ロッコとシルヴィアの後を追い階段を上って行った。
マーサはまたしてもヤマトの魔術の造詣の深さに驚いた。彼のあの知識は一体どこから来るのだろう。そして時折見せるあの全てを憂う表情も。このパーティーには解らない事が多すぎる。シルヴィアならきっと喜ぶだろう。また解明する謎が一つ増えたと言って。